25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

白い蛇

2015年06月05日 | 日記
 父が死んだときというのは僕が経済面においても、バリ島爆弾テロで被害を受け、道路は半年にわたって閉鎖されたりして、なんとかもちこたえたらと思ったらまた爆弾テロがあった頃で、最低の落ち込み方をしている時だった。父は2005年の12月15日に79歳で逝って、17日には尾鷲の金剛寺で葬儀をした。寒く、どんよりとした曇りの日であったが、幸運にも、雨は最後まで降らなかった。

 父と話すことというのは魚釣りのことぐらいのものだった。幼い頃からほとんど外洋に出てマグロのはえ縄漁をやっていたので、尾鷲に帰ってくるときは年に2回ぐらいのものだった。無口な人だった。酒もあんまり飲まず、タバコを吸うこともしなかった。ただちょっとした賭け事は好きだった。仲間と花札をやっていた風景もおぼえているし、退職後は家の部屋のひとつをマージャン部屋にして、マージャン好きがよく集まっていた。ちょっとした金銭の賭け事だ。この辺はよく抑制のきく人だったのだろう。無駄遣いは母親の方がよくした。母親は着物には目がなくて、バッグやアクセサリー類もよく買っていた。しかし父との付き合い方をあんまり知らないので、現在父になった僕も子供との接し方に戸惑いを感じることがよくある。

 父の葬儀が終えた翌日、白い、大蛇のように太い蛇がマージャン部屋だった軒下から出てきたのを見た。僕は呆然としてみていた。その白蛇は逃げる風でもなく、まるで帰るべきところに帰るように、悠々と道路に出て、家の前をするすると進んでいいた。僕はそれを追いかけるように見ていた。すると、北川に通じる小さな川の中に入っていった。
 家の主がいなくなってもう用はなくなったのだろうか。
 家には一匹の蛇はいるものだ、という話は聞いたことがある。しかし時は12月18日のことだ。もう冬眠していてもいいはずだ。餌はどうしていたのだろう、などと考えた。

 あれから10年が経っった。あの白い蛇のことを時々思いだす。これまで思い出すことはなかったのに、この頃思い出すというのはどういうことなのだろうかと思う。あれは白昼夢のようなものだったのか、本当に見たのか、自信がなくなっている。記憶というのは脳の作用だから、夢だって脳の作用だから、あの時、僕は疲れていて、昼間に入眠幻想に入ってしまったのか、定かではない。

 この頃、よくリアルな夢をよくみる。起きてからもおぼえているほどである。しかし不思議と知らない人は出てこない。アフリカの知らないコンゴさんとか、ジョージアのグルジアさんとか出てこない。言語文字については結構多数出てくる。それを僕は話せるし、読むこともできる。今日なんかは雅子皇太子夫人まででてきた。

 予兆。この頃白い蛇のことを思いだすのは何かの予兆なのではないのか。例えば統合失調症の人の報告例を見ていると、記憶が胎内のころまでさかのぼっていく。あるいはサヴァン症候群の人は、脳の一部の記憶の開閉の鍵である細胞が壊れてしまっていて、遺伝子からの記憶をやすやすと取り出すことができる。僕は記憶のどこかにあの白い蛇をひそかにしまっていて、それが開いてきたのだろうか。あるいは細胞の一部が崩壊しかかっているのだろうか。一体何なのだろう。正体というものは。夢はだいたい朝の7時頃から8時頃にみるようだ。もうからだは7時間も眠る必要はないよ、と言ってくれてそうでもある。

 睡眠時間について全く気にしなくなった。3時間でもいいや、5時間でもいいや、と思うようになったのはつ5年ほど前からのことである。3時間や5時間睡眠ならば出張のときなどは雑誌を読んでいると眠ってしまって自然と帳尻を合わしているような気がする。
 それにしてもあの白い蛇。どこでどうしているのだろう。