25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ギリシャのことから

2015年06月30日 | 社会・経済・政治
ギリシャの「ひらきなおり」はおもしろい。ギリシャ国債の12兆円をドイツの個人個人がもっているというから、ドイツは国民のその国債を税金で買った。ギリシャは42兆円の借金があるというから、踏み倒してしまい、ユーロから離脱すれば、ギリシャ人が国債をもっているわけではないのだから、踏み倒しても自分たちは傷まない、という論法である。そういう政権をギリシャ人は選んだし、その政権は「踏み倒すか踏み倒さないか」の国民投票を7月5日にするという。公務員が25%いて、給料が民間社員の3倍、最低年金は日本の約2倍強。どんな国だと言いたくなるが、日本の1000兆円を超える借金から見れば小さなものだ。

 日本は国民から銀行がお金を集めて、銀行が国債を買っている。この頃は警戒心もでて、国債の引受を渋るようになり、日銀が直接に国債を買い、異次元の金融緩和を行っている。物価が上がれば、借金の実質価値も減り、税収も増えるという論理である。
 日本が立ち行かなるときは、借金の返済ができなくなったときで、それは国民の貯金を没収せざるを得ないか、マイナス金利などを導入して、消費をさせにさせることを続けるかであろうが、このままでいくと、2030年代で、貯蓄と借金がトントンとなる勘定だ。外国から国債を買ってもらっていないから、日本は大丈夫だ、と言っているが、国民の貯蓄を担保にしているわけだから、被害を被るのは国民である。ギリシャとはまるで逆のパターンである。

 僕らは高みの見物といったところである。
 借金まみれの状態で、2500億円もする新国立競技場をつくるというのも、オリンピックをするというのも、呑気なギリシャ人とあまりかわりはないし、こういうことは個人の生活でも同じで、大きな借金は債権回収会社に売られ、小さな借金はしつこくとりたてるというのと同じだ。

 それにこういう公共の建築物を建てるときなどは自分のお金ではないから、政治家も審査員も呑気なものだ。税金というのは、その意味ではかき集めたもので、自分の所有ではない。使い方は政治家が決めるのである。

 民法には「個人破産」というのがあるから、お金で死ぬことはない。
 しかし、困窮して、一家心中してしまうというニュースは未だにある。僕はこれをいつも不思議だ、と思う。心中をリードするのは親のうちのどちらかなのだろうが、借金まみれでとりのこされた子供を不憫に思うのだろうか。子供は何とかして生きていくものなのに。やがて、成長したら、たいへんな社会貢献をする人になるかもしれない。生きる権利を殺してしまう、ということをあえてやってしまう。

 人間なんて、生きていて、社会に入っていけば、なんらかの縁があって、やってけるようになっているのだ。
 ギリシャだって、出稼ぎもするだろうし、なんとかしてやっていくことだろう。まさかソマリアのようにはならないだろう。古代ギリシャ文明の発祥の地である。その遺跡観光でやってきたが底をついた。我慢なら人間は長い間、何万年と我慢してきた。
 そういえば、30年前の村上春樹の「遠い太鼓」を読めば、いずれこうなるであろうことがわかるような気がした。