25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

地震ーオウム-酒鬼薔薇ー今

2015年03月22日 | 文学 思想
小さなオウム的なものはどこにでもある。ある言葉で「信じ込んでしまう」というものだ。あるAという水を勧められて飲んだら癌が消失してしまった。するとこれは「癌に効く」と普遍化しようとする。そんなセールス集団も多々ある。小さな宗教も、小さなブラック企業も、学校の中のクラブ活動でも、どこにでもオウム的なものがある。

 個人の世界では、風水を信じ込んでいる人もいる。血液型による性格を信じ込んでいる人もいる。個人の脳の中にさえ、そのポケットの中に入り込めな、安心ができる、気持ちのよい妄想を描くことのできる場所がありそうに思える。

 人は一人では生きていけないことはわかっている。この人間が作る社会での居場所がないと感じる人は、他者を必要とする。その他者は自分の疎外感を理解してくれ、生きる希望を与えてくれれば脳のある場所が安心する。あるいは幼い子でさえ、逃げる場所を求めるために脳に気持ちのよい場所を作ることができる。その世界に現実的に足を踏み込みたいとも思うようになる。オウムがひとつの象徴であるし、神戸の酒鬼薔薇事件もそのひとつである。根底ではつながっている。これらの事件が阪神淡路大震災から、3月の地下鉄サリン事件、翌年の酒鬼薔薇事件へと根底で連動しているように思える。

 その時代は日本はバブルが崩壊して、近代都市が一瞬で崩壊し、経済の停滞が始まった時期である。今はどうか。ますます経済的な格差は徐々にひろがりつつ、子育ての倫理観が個人的な理由でか、対幻想(夫婦の関係、母子、父子の関係など)の捻れによるものか、希薄になりつつある。個人の自由な恋愛、過剰な個人主義による節度の希薄さも背景にあるのかもしれない。確実にオウムの時期よりも時代は悪くなっている。特に女性はどう生きたらいいのかわかりにくくなっている。若い男性も、どこに目標をおけばいいのか、その隙間さえ見えにくくなっている。

 今日、おもしろいことを知った。しゃがむ、かがむというのは屈筋を使う。背伸びする、万歳をする、背筋を伸ばすは伸筋を使う。伸筋を使うと元気にするホルモンが脳からでるということだ。逆に屈筋を使うと、反対の元気をなくすホルモンがでるということであった。そのホルモンの名前を忘れたしまった。テステステロンではなかったかと思う。