茶花(saka)日記

2011年3月、脳腫瘍で旅立った夫とともに。
お茶と花に癒されて、日々の出来事を綴ります。

2年前のこと(4)

2011-06-14 15:46:04 | 病気1(発病・大学病院)
2009年5月26日、NPO法人脳腫瘍ネットワーク(JBTA)にメールを送り、その後も数回やり取りをした。(一部省略)

「JBTA様
ご連絡をしましてから、夫の容態が急激に悪くなってしまい、A大学病院で、昨日(5/30)手術をしました。
手術に至るまでの経過が、これでよかったか、夫に対して申し訳ない気持ちが非常にあります。
今後どなたかの参考になればと思い、手術に至った経緯を再度お知らせします。(重複しますがお許しください)

5月2日(土):B病院の脳神経外科で、MRIの結果、悪性の腫瘍の疑いとの診断(悪性は妻の私のみ聞く)。
B病院では、治療が難しいので、転院先を決めてほしいと言われた。
また、連休中で造影剤でのMRIができないとのことで、連休明けまで入院(痙攣などの心配があるとのことで)。
この間、転院先の病院を探す。
5月7日(木):造影剤でのMRI。
5月8日(金):MRIの結果、やはり悪性と断定。予後は月単位で変化するかもしれないと言われる(私のみ)
5月9日(土):B病院に紹介状を書いてもらい、A大学病院を受診。ガンマナイフの説明を受ける。
また、PETの検査が15日しか取れないので、その日にまた来院するようにとのこと。
5月14日(木):便秘が続いたのでA大学病院総合診療科を受診。
脳神経外科でのことを話したが特に考慮していただけたのかどうか疑問。
便秘の薬を処方される。
また、B病院で処方された痙攣止めの薬がなくなったので、
その後脳神経外科を再診し、処方してもらう。
外来医師による診察でこちらも特に配慮は感じられなかった。
5月15日(金):PET検査
5月16日(土):便秘が治らないので、近所の内科で座薬を処方してもらい、少し解消する。
5月18日(月):PETの結果、脳以外の部位にはないが、胃が少し怪しいとのこと。
家の近くの病院などで内視鏡検査をするように言われた。
会計をすませていたら、再度診察があるので待つように言われた。
生検をするので、病室が取れしだい連絡するとのこと。
5月21日(木):入院。この日より、急激に体調が崩れる。
(右手足に力が入りにくく、失語症も出始めた)午後、医師より生検の説明。
5月22日(金):生検。
5月23日(土):生検の正確な結果は1週間以上かかるが、転移性の可能性が少し大きいと言われる。
胃の内視鏡も25日にするとのこと。
5月25日(月):胃の内視鏡の検査予定だったが、看護師への連絡不足で朝食をとってしまったため、5月29日に延期。
5月27日(水):A大学病院では初めてのMRI。腫瘍はかなり大きくなっているとのことで、
転移性、原発性どちらにしても、手術しか方法はなくなったと医師より説明を受ける。
5月28日(木):手術のための脳の血管造影を行ったところ、容態がまた悪化し、嘔吐。
5月29日(金):内視鏡の予定だったが、中止。もし、これ以上容態が悪化したら緊急手術をするとのこと。
明日まで落ち着けば、MRI等設備した手術を行うと説明を受ける。

夫の場合、生検でも転移か原発かの判断がつきにくく、
この段階では手術をしてもっと多くの組織をとるしか判断材料がないということでした。
このような状況の中、夫への手術に関してのインフォームドコンセントはできる状態ではありませんでした。

5月30日(土):開頭手術。基本的には無事終了。
術後ICU内にて、「右運動機能を10のうち1でも残すため、腫瘍の95%の切除となった」と医師からの説明。
組織を見た結果、ほぼ「原発」で間違いないとのこと。
ただし、病理診断後でないと確定はできないとのこと。
今後2週間の安静期間、その後6週間放射線・化学療法等の治療、
平行してリハビリをやり、計2ヶ月の入院予定。
5月31日(日):意識は回復。右手足にもわずかながら反応あり。
術後のCTでは特に問題ないとのこと。

手術前に『樹状細胞』の免疫治療ことを医師に伝え、○○クリニックへの『組織』の提供について了承を得ました。
術後、クリニックへ持参し、『プライベートがんバンク』へ保管をお願いしました。
A大学病院での標準治療後、さらにA大学病院で別の免疫治療をするか、
クリニックでするか検討することになりました。」

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