茶花(saka)日記

2011年3月、脳腫瘍で旅立った夫とともに。
お茶と花に癒されて、日々の出来事を綴ります。

2年前のこと(7)

2011-06-26 14:59:36 | 病気1(発病・大学病院)
8月に入り、そろそろ退院か転院を考えるよう病院から言われた。
かなり回復はしていたが、まだまだベッドの中にいることが多かった。
一番心配だったのはトイレのこと。
その時点ではまだ紙おむつだった。
夫には込み入った相談はできないので、私の判断でリハビリ病院に転院することを希望した。
病院の医療連携相談室のソーシャルワーカーさんに相談し、
なるべく近いリハビリ病院を探していただいた。
しかし、ほとんどのリハビリ病院は、発症や手術から1ヶ月~2ヶ月の患者が対象で、
主に脳血管障害の回復期のリハビリを目的としている。
条件的には入れそうでも満室というところもあった。

いろいろ探していただいた結果、1週間ほどして少し遠いけれど転院できる病院を紹介された。

早速、その病院へ見学に行き、担当の医師と面接をした。
担当の先生は神経内科の30歳代くらいの医師で、夫のMRI画像を見て、
「リハビリをしてもあまり効果は期待できない」ようなことをおっしゃた。
また、脳腫瘍の治療はできないので、万が一腫瘍の症状が悪化したら、
すぐに治療ができる病院へ移ってもらいたいということだった。
あまり積極的には受け入れたくないような雰囲気だったが、
なんとか入院させていただくようにお願いをした。

ただ、環境は良さそうだし、とにかくもう少し日常生活ができるようになってもらい、
その間に帰ってきてから不自由がないよう家の中を整えておこうと考えた。

転院の前日、担当してくださった看護師さん、理学療法、作業療法、
言語療法の先生方にご挨拶をした。
約3ヶ月間、病院の皆さんに支えていただいた感謝の気持ちと、
夫のがんばりに、胸がいっぱいになった。

2009年8月24日転院。

2年前のこと(6)

2011-06-17 16:24:57 | 病気1(発病・大学病院)
2009年5月30日の手術後、病理検査の結果、
左側頭葉神経膠芽腫グレード4と診断された。
摘出率は95%。余命18ヶ月。

余命に関しては私のみ承知。
始めはショックだったが、18ヶ月の間に画期的な治療法が、
見つかるかもしれないし、奇跡的な回復をするかもしれないと
考えるようになった。

2009年6月26日から8月7日まで、
強度変調放射線治療 計60Gy
テモダール 1日120mg

術後、2週間ほどしてからだろうか、理学療法(PT)、作業療法(OT)、
言語療法(ST)の先生が、ベッド上でリハビリを開始。
と言っても、ほとんど寝たきりの状態だが、少しずつ身体を動かしてくださった。
嚥下が出来るまでは、鼻から流動食で、
テモダールもりんごジュースと共に鼻から入れていた。

手術から2ヶ月弱の7月22日、やっと口から刻み食を食べられるようになった。
左手でスプーンで食べた。
8月に入り、車椅子で病院近所を散歩できるようになった。
PTも順調で、4点杖で少し歩けるようにもなった。

言葉は回復の兆し無し。
「パキー」とか「マキー」とか意味が不明。
夫には手術前からのことを、ノートに書きながら話したが、
どこまで理解しているかよくわからない。
お見舞いの人とは、解っているように笑って頷いたりしている。

しかし、手術直後の顔が2倍以上に腫れて、目も痙攣していたことを考えると、
すばらしい回復力。
私は毎日病院に行っていたが、夫は自分の状態に対して、
悲しんだり、嘆いたり、落ち込んだりする様子が全く無かった。
摘出部分によるものか。
淡々としていて、誰か来れば、笑って応対していた。
その様子には救われた。

2年前のこと(5)

2011-06-14 16:33:52 | 病気1(発病・大学病院)
手術後もJBTAの当時の担当の方にメールを送っている。(一部省略)

「この1ヶ月、もっと早く治療に入る方法がなかったものか、
夫自身の的確な判断能力が落ちてきていたことを察知して、
私がもっと良い選択をすべきではなかったか、悔やんでも悔やみきれません。
A大学病院の初診で「ガンマナイフのビデオを見ていって」と言われ、
“ガンマナイフで治療できるのだ!”と安易に舞い上がったことが悔やまれます。
ただ、手術自体は執刀医師には大変感謝しています。
今後は、機能の回復と共に、5パーセント残った腫瘍に負けないよう、
病院に対してももっと積極的になり、また、情報収集等をしたいと思っています。
親戚のおじさんくらいにしか思っていなかった夫が、実は大切な大切な存在だったということを思い知らされました。
定年後のいろいろなプランは思うようにいかなくなってしまいましたが、
友人達の暖かい心に囲まれて、プラン以上の人生を一緒に過ごしたいと思っています。
今後も、頼らせていただくことと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。」

「お忙しい中、丁寧なお返事を毎回いただき、感謝しています。
夫は、ICUから一般の病室に移りました。
まだ、鼻に管が入っており、苦しそうですが、意識は少し戻っているようです。
残った腫瘍の治療も大切ですが、失語症が少しでも良くなればと思っています。
思ったことが言えないと今後の治療にも影響すると思うので。
発病してから、amazonで本をたくさん買いました。
今日は脳の可塑性の本と、音楽療法の本を買いました。」

毎回、よく調査をした上で、誠実に返信をくださった。
また、心のケアの部分でも励ましていただき、一人で悩んでいた私にとって大変ありがたい存在であった。
この場をお借りして、改めて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

2年前のこと(4)

2011-06-14 15:46:04 | 病気1(発病・大学病院)
2009年5月26日、NPO法人脳腫瘍ネットワーク(JBTA)にメールを送り、その後も数回やり取りをした。(一部省略)

「JBTA様
ご連絡をしましてから、夫の容態が急激に悪くなってしまい、A大学病院で、昨日(5/30)手術をしました。
手術に至るまでの経過が、これでよかったか、夫に対して申し訳ない気持ちが非常にあります。
今後どなたかの参考になればと思い、手術に至った経緯を再度お知らせします。(重複しますがお許しください)

5月2日(土):B病院の脳神経外科で、MRIの結果、悪性の腫瘍の疑いとの診断(悪性は妻の私のみ聞く)。
B病院では、治療が難しいので、転院先を決めてほしいと言われた。
また、連休中で造影剤でのMRIができないとのことで、連休明けまで入院(痙攣などの心配があるとのことで)。
この間、転院先の病院を探す。
5月7日(木):造影剤でのMRI。
5月8日(金):MRIの結果、やはり悪性と断定。予後は月単位で変化するかもしれないと言われる(私のみ)
5月9日(土):B病院に紹介状を書いてもらい、A大学病院を受診。ガンマナイフの説明を受ける。
また、PETの検査が15日しか取れないので、その日にまた来院するようにとのこと。
5月14日(木):便秘が続いたのでA大学病院総合診療科を受診。
脳神経外科でのことを話したが特に考慮していただけたのかどうか疑問。
便秘の薬を処方される。
また、B病院で処方された痙攣止めの薬がなくなったので、
その後脳神経外科を再診し、処方してもらう。
外来医師による診察でこちらも特に配慮は感じられなかった。
5月15日(金):PET検査
5月16日(土):便秘が治らないので、近所の内科で座薬を処方してもらい、少し解消する。
5月18日(月):PETの結果、脳以外の部位にはないが、胃が少し怪しいとのこと。
家の近くの病院などで内視鏡検査をするように言われた。
会計をすませていたら、再度診察があるので待つように言われた。
生検をするので、病室が取れしだい連絡するとのこと。
5月21日(木):入院。この日より、急激に体調が崩れる。
(右手足に力が入りにくく、失語症も出始めた)午後、医師より生検の説明。
5月22日(金):生検。
5月23日(土):生検の正確な結果は1週間以上かかるが、転移性の可能性が少し大きいと言われる。
胃の内視鏡も25日にするとのこと。
5月25日(月):胃の内視鏡の検査予定だったが、看護師への連絡不足で朝食をとってしまったため、5月29日に延期。
5月27日(水):A大学病院では初めてのMRI。腫瘍はかなり大きくなっているとのことで、
転移性、原発性どちらにしても、手術しか方法はなくなったと医師より説明を受ける。
5月28日(木):手術のための脳の血管造影を行ったところ、容態がまた悪化し、嘔吐。
5月29日(金):内視鏡の予定だったが、中止。もし、これ以上容態が悪化したら緊急手術をするとのこと。
明日まで落ち着けば、MRI等設備した手術を行うと説明を受ける。

夫の場合、生検でも転移か原発かの判断がつきにくく、
この段階では手術をしてもっと多くの組織をとるしか判断材料がないということでした。
このような状況の中、夫への手術に関してのインフォームドコンセントはできる状態ではありませんでした。

5月30日(土):開頭手術。基本的には無事終了。
術後ICU内にて、「右運動機能を10のうち1でも残すため、腫瘍の95%の切除となった」と医師からの説明。
組織を見た結果、ほぼ「原発」で間違いないとのこと。
ただし、病理診断後でないと確定はできないとのこと。
今後2週間の安静期間、その後6週間放射線・化学療法等の治療、
平行してリハビリをやり、計2ヶ月の入院予定。
5月31日(日):意識は回復。右手足にもわずかながら反応あり。
術後のCTでは特に問題ないとのこと。

手術前に『樹状細胞』の免疫治療ことを医師に伝え、○○クリニックへの『組織』の提供について了承を得ました。
術後、クリニックへ持参し、『プライベートがんバンク』へ保管をお願いしました。
A大学病院での標準治療後、さらにA大学病院で別の免疫治療をするか、
クリニックでするか検討することになりました。」

2年前のこと(3)

2011-06-09 22:30:04 | 病気1(発病・大学病院)
5月21日に入院後、生検をした結果、
当初ガンマナイフの予定が急遽開頭手術になった。
焦った私は脳腫瘍に関しての本で紹介されていた
NPO法人脳腫瘍ネットワーク(JBTA)にメールを送った。

「昨日会員の申し込みをしました。
夫の病状につきましては、申し込みの際に簡単ですが記載しましたので省略します。
入院中の○○大学病院で、来週全身麻酔での開頭手術をする予定だということを昨日聞きました。
現在夫は右手足の麻痺と失語症が出ていますが、
何とかコミュニケーションは取れています。
手術をするとさらに麻痺等が進むのではないか、放射線も全脳照射なので、
痴呆状態になるのではないかと心配しています。

手術をせずにもう少しコミュニケーションが取れる状態を続けた方がよいのか、
手術後の状態は確定できないので、やはり手術をし、延命に期待するか、
一晩悩んでいました。
夫は脳腫瘍があるということだけ知っていますが、悪性ということは知らせてなく、
現在の状態もいずれ良くなると話しています。
どこまで理解しているか本当のところはわかりませんが、
穏やかに過ごしています。
担当医師にも今日再度相談してみようと思っていますが、
何かアドバイスいただければと、ご連絡しました。
よろしくお願いいたします。」

5月26日のことだった。