茶花(saka)日記

2011年3月、脳腫瘍で旅立った夫とともに。
お茶と花に癒されて、日々の出来事を綴ります。

2年前のこと(6)

2011-06-17 16:24:57 | 病気1(発病・大学病院)
2009年5月30日の手術後、病理検査の結果、
左側頭葉神経膠芽腫グレード4と診断された。
摘出率は95%。余命18ヶ月。

余命に関しては私のみ承知。
始めはショックだったが、18ヶ月の間に画期的な治療法が、
見つかるかもしれないし、奇跡的な回復をするかもしれないと
考えるようになった。

2009年6月26日から8月7日まで、
強度変調放射線治療 計60Gy
テモダール 1日120mg

術後、2週間ほどしてからだろうか、理学療法(PT)、作業療法(OT)、
言語療法(ST)の先生が、ベッド上でリハビリを開始。
と言っても、ほとんど寝たきりの状態だが、少しずつ身体を動かしてくださった。
嚥下が出来るまでは、鼻から流動食で、
テモダールもりんごジュースと共に鼻から入れていた。

手術から2ヶ月弱の7月22日、やっと口から刻み食を食べられるようになった。
左手でスプーンで食べた。
8月に入り、車椅子で病院近所を散歩できるようになった。
PTも順調で、4点杖で少し歩けるようにもなった。

言葉は回復の兆し無し。
「パキー」とか「マキー」とか意味が不明。
夫には手術前からのことを、ノートに書きながら話したが、
どこまで理解しているかよくわからない。
お見舞いの人とは、解っているように笑って頷いたりしている。

しかし、手術直後の顔が2倍以上に腫れて、目も痙攣していたことを考えると、
すばらしい回復力。
私は毎日病院に行っていたが、夫は自分の状態に対して、
悲しんだり、嘆いたり、落ち込んだりする様子が全く無かった。
摘出部分によるものか。
淡々としていて、誰か来れば、笑って応対していた。
その様子には救われた。

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2 コメント

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貴女の克明な記録を拝読しな (そよかぜ)
2011-06-18 21:59:45
がら、病院で開示してもらった姉のカルテの一部を読み込んでいます。姉が旅立って数ヵ月後
小生のブログを始める前に入手したものです。
カルテを読んで、看護記録に綴られている姉の想いの一部を知りました。オペの記録、治療方法、服薬は小生が介護の仕事をしているのでとても学ぶことが多かったです。姉のケアに関わる者が少なかったこともあり、もちろんそれだけではありませんが、姉の想いをどれだけ汲み
取り、ケア(介護)を出来ていたのか反省しきりでした。もちろん自分では精一杯したと思いますが、看護記録を拝読すると、ドクターはもちろん看護師さんのみなさんが小生に対しての
心配りがあったことも知りました。姉や小生の心のケアをどうするかということでした。今、もう一度カルテを読み込めばコピーする箇所は違っていると思います。先日姉の病棟を訪問したのですが看護師の多くの方は他の科に異動されて、小生の姉がお世話になった看護師さんはごく少数でした。
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そよかぜさんへ (茶花)
2011-06-19 23:51:32
私も、ブログに書くに当たって取ってあった資料を読み返しています。
手術をする前の説明書を読んで、「ここで、なぜ質問をしなかったか?」とか、冷静になってみると、いろいろありますが、そのときは聞いているだけで精一杯でした。
家族は、みんなその時の精一杯、最善と思われることをしているのですよね。
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