茶花(saka)日記

2011年3月、脳腫瘍で旅立った夫とともに。
お茶と花に癒されて、日々の出来事を綴ります。

バイバイ、ケータイ

2012-02-19 22:47:30 | 日記
新しいスマホに少しずつ慣れてきた。
前のケータイは、まだ1年しか使っていなかったので、妹がほしいと言ってきた。

どうしようかなぁ。

このケータイは、1年前夫の入院中に換えたもの。
その前のケータイの調子がイマイチで、急なときに使えないと困ると思って換えた。
そして、悲しい知らせをこのケータイからした。

この1年間ずっと私を見てきたケータイ。

ブログのために沢山の写真も撮ってくれた。
花、青い空、緑の葉、夕焼け、そして天使の雲。
私を少し元気にしてくれた。

そうだね、妹に使ってもらおうね。
いろんな思いは全部小さな小さなSDcardに詰め込んで。

私は新しいスマホ君と歩みます。
渡辺謙も良いけれど、会社が違うし、
竹野内豊がいいかなぁ。(最近見た再放送が良かった!)
それとも妻夫木君?

「何考えてるんだか・・・」
と、夫は言ってるだろう。

今日は、さっそくスマホ君とボサノバ教室へ。

空がきれい!


レッスンの後に、先生の誕生日を祝った。
ハッピーバースデートゥーユーの節で・・・

Parabens pra voce(パラベンス プラ ヴォッセー)
Nesta data guerida(ネスタ ダータ ゲリータ)
Muitas felicidades(ムイタス フェリシダーヂス)
Muitos anos de vida (ムイトス アーノス ヂ ヴィーダ)

おめでとう あなた
この すばらしい 日に
たくさんの 幸せを
たくさんの 歳を重ねましょう


みんな笑顔で歌った。
私も自然と笑顔で歌った。

いつもより少し遅い帰り道・・・





「バイバイ、ケータイ・・・ありがとね」


スマートフォン

2012-02-14 21:22:47 | 日記
昨日まで使っていたカシオの携帯、結構気に入っていた。
特にカメラ機能がデジカメ並みで、何も考えなくても結構綺麗に写っていた。
1年前機種変更するとき、スマホにしようか迷ったが、
メールが打ちにくそうなのでやめた。

昨日、たまたま隣のホームセンターで
「今はどんなスマホがあるのかなー?」って見ていたら、
売り場のお兄さんが寄ってきて、いろいろ説明してくれた。
「でもー、まだ契約期間が残っているからー」と私。
「では、今機種変更すると月々いくらぐらいになるか、見てみましょう」と店員さん。
いろいろ聞いているうちに、とってもほしくなってしまい・・・
写真も綺麗だからって・・・
・・・買ってしまった。

メールが早く打てないー。
写真が大きすぎるー。

やっぱりやめれば良かった・・・。
いやいや、慣れれば大丈夫!

何とか写真は縮小する無料アプリをゲットした。

こんな感じ・・・


あとは、空が綺麗に写ればねっ!


幸福の量

2012-02-14 17:18:52 | 日記
「この地球上で、幸福の量と不幸の量は、いったいどちらが多いのだろう。2008年6月23日付天声人語」
これは、たまたま電車の中で見た朝日新聞の広告だ。
この記事の内容は世界の戦争や飢餓とその報道写真について,
また報道写真家の言葉などだった。
私は全く別の意味で、同じことを思っていたのでちょっとびっくりした。

私は今まで両親の離婚や、子供を授からなかったことなど、
不幸と言えばそうかもしれないが、自分自身はあまり不幸と感じていなかった。
幸福の量の方が勝っていたからなのか。
しかし、夫が病気になり、闘病の末に亡くなったことは、この上なく不幸なこと。

それに比べ私の周りは、みんな幸せそうだなと、うらやましく思っていた。
けれど、時とともに状況はいろいろ変わっていた。
親の介護、夫の病気、娘の病気、孫の障害、家の問題等々。
幸せそうに見えた友人達も何かしら悩みを抱えている。
しかし、そんな中でも幸せな時を皆持っているのだろう。
会うと、他愛も無い話で笑い、深刻な話でお互い眉間にシワをよせ、
そしてまた、他愛も無い話に戻る。

「幸福の量と不幸の量」
私は?と考える。
夫がいるときよりは、だいぶ減ってしまったけれど・・・幸福の量がゼロではない。
残された人生、少しでも幸福の量を増やしたいなぁ・・・増やせるかなぁ・・・。
そもそも自分で増やせるものでもないのかもしれないけれど・・・。
いつか夫に会ったとき、笑顔で「久しぶり!」と言えるようにがんばろう。






新幹線に乗って

2012-02-08 22:38:35 | 日記
2月6日、義妹と岡山に行った。
夫の祖父母と先祖のお墓参り。
夫と両親は東京のお墓に入っていて、岡山に行くこともなくなりそうなので、
一度お参りに行かなくてはと思っていた。
場所はだいたい覚えていたが、少し迷ってしまった。
義妹と「おかしいねー、確かこの辺だよねー」と言いながらウロウロ・・・。
やっとたどり着き、祖父母やご先祖様にいろいろ報告することができた。

その後、叔母(義父の妹)のところへ挨拶に行った。
叔母は87歳。
食事や病院がついているケアライフセンターに一人で住んでいる。
物忘れがあるようだが、まだまだしっかりしていた。
義妹と三人で笑いながら昔話。

ひとしきり笑った後、義妹は母親が亡くなったときのことを話した。

今から2年半ほど前、夫が病気になって半年ほどたっていた。
当時義妹は、要介護2になっていた母親の世話をしに、週3日ほど家を訪ねていた。
その日は、途中で入院中の父親のところに行ったという。
その間に母親はベランダで倒れた。
洗濯物を取り込もうとしたようだった。

「私が洗濯物を干していかなければ・・・もっと早く帰ってきていたら・・・
母は亡くならなかったかもしれない・・・」と声が震えた。
亡くなった直後から言っていたこと・・・。
私は、「そんなことはない。○○さんがいたからすぐに救急車を呼べたんだから」
と心からそう思って言ったことを覚えている。
しかし、まだ義妹の心の傷は癒えていなかった。
私も悲しくなって涙が出た。

私は夫のことを叔母にもきちんと話してお礼を言いたかった。
何度も話そうと思ったが、言葉が出なかった。
義妹も叔母も、夫のことは一言も話さなかった。
唯一、叔母が「今は一人で住んでいるの?」と私に尋ねた。
3人の中での暗黙の了解というか、私に対する気遣い、優しさが有難かった。

夜は義妹とホテル近くの炉端焼きで夕食。
ままかり、鰆、アナゴ、シャコと岡山の味を堪能した。
そして、ビールとちょっと日本酒を。。。
あー美味しかったー。

翌日は、義母の実家のお墓参り。
義妹とまたウロウロ。

ずっと気になっていたことができて良かった。
夫との思い出がたくさん残っていた。
何度も涙が出そうになったけれど。
懐かしく愛しい思い出。
また、いつか来よう。

帰り道、曇り時々雨だった天気が一瞬晴れた。


乗り物三昧

2012-02-03 23:49:35 | 日記
子供だったらきっと喜ぶだろうなぁ。
今日はいろんな乗り物に乗った。

妹の夫のMちゃんから食品フェアのチケットをもらったので、
りんかい線で東京ビッグサイトに行った。


あー、ここも懐かしい場所だった。
2008年の東京マラソンで夫が走って、ここでゴールを待っていたっけ。
来る前から分かってはいたけれど、やっぱり涙が・・・。
何でフルマラソンを走った人が脳腫瘍になんかなるんだろう。
何の根拠もないけれど、そう思ってしまう。

結局、あまりの混雑と原則業者対象だったので、入り口まで行ってやめた。

良い天気なので、このまま帰るのはもったいない。
ゆりかもめに乗ってお台場でランチ。


ランチはピザとコーヒー。
一人で食べるには大きすぎた。
美味しかったけど、もう少しチーズ少な目でも良かったなぁ。
多けりゃ良いってもんでもないなぁ。
と思いながら、またゆりかもめに。

球体の横を通った。


それから岡山に持っていくお土産を買いに地下鉄に乗った。
お土産のほかにバレンタインのチョコと恵方巻きを買った。

そして、日も暮れてきたので、帰りはJRで。


家に帰ったら、母に「随分遅かったわねー」と言われてしまった。
そんなとき、53歳の娘は悪いことをしているわけでもないのに、
何故かアタフタする。
「恵方巻き買ったよ」と、ご機嫌をとる。

今年は北北西を向いて食べると良いらしい。
一応北北西らしき方向を向いて一口食べた。
「違ってたら笑えるね」と母と笑い合った。
こんなとき夫もいたらもっと笑っただろうなと、
また泣きそうになった。