茶花(saka)日記

2011年3月、脳腫瘍で旅立った夫とともに。
お茶と花に癒されて、日々の出来事を綴ります。

生きていることに感謝

2015-04-14 21:40:38 | 日記
4月9日(木)、85歳の母と観劇で渋谷へ行った。
その帰り、恵比寿までタクシーに乗って、恵比寿から山手線で品川へ。
階段の近くで降りてしまったので、エスカレーターの方にホームを歩いた。
私が前を、母が後ろを。。。
エスカレーターの横はホームが少し狭くなっている。
そして、私がふと振り返ったとき、母がバランスを崩しているのが目に入った。
手を差し伸べる間もなく、あっという間に引き込まれるように母は線路に落ちてしまった。
内側を歩いてたのに、右側の線路の方に向かって足がもつれた感じたっだ。
その瞬間は私の脳裏に焼き付いている。

私は、必死で線路に飛び降り母を抱えた。
意識がない。
40kgに満たない母でも私一人では持ち上げられない。
このまま母とともに・・・
その瞬間、一人の男性が飛び降りてくださった。
そして、また一人男性が。
三人で母をホームに押し上げた。
ホームからも手が差し伸べられた。
男性二人と私も次々とホームに上った。
私は母に駆け寄り必死で何か叫んでいた。
死んでしまったかと思った。
周りからは、「頭に何かひいて!」「もっと内側に移動しよう!」と
さまざまな方々が協力してくださった。
駅員さんが来て、事情を聞かれた。
その間に助けてくださったお二人の男性は立ち去られたようだった。
私は気が動転して何もお礼を言えなかった。
次の山手線が到着するまでの3、4分の間のことだった。

母は頭から落ちたように見えたが、頭は打ち身だけで脳に異常は無く、
右の手首と肩の骨折だけだった。

普段母はとても元気で、年寄扱いするのをいやがるので、
私が前を歩くのはいつも通りのことだった。
ただ、足はかなり弱っていたし、帰宅途中で疲れていたことへの気遣いが私には無かった。
あの時、私さえ母の横を歩いていればと、とてもとても悔やまれる。

これから骨折が治ったら、リハビリに入る。
強い母だから、元のように動けるようになると思うが、
もっとやさしい娘になって、母を支えなければと心底思う。

なんで、私にばかり辛いことが起きるのかと、事故直後は思った。
でも、救っていただいた命を大切に、みんなに優しく生きていこうと今は思っている。


さくら

2015-04-05 17:00:51 | 日記
今年は咲いているうちにお墓に行ってお花見しようと思っていたのに・・・
あっという間に終わってしまった。

近場の桜を見に行こうと思い、仕事の帰りに千鳥ヶ淵に行った。

暗くなるちょっと前。
今年もやっぱりきれいだった。