っていうか働け

~誰からも愛されるエルニーニョ~

「鋼の錬金術師」鑑賞記・中間のまとめ(雑感)(1)

2007-01-10 01:45:27 | 鋼の錬金術師
 等価交換の原則は、「人は、何かの犠牲無しに、何も得ることはできない。何かを得るためには、同等の代価が必要となる。」てこと。だけど、逆に何かを犠牲にすれば、それなりの代価を支払いさえすれば、世の中のものが何でも手に入る、何でも自由になるってわけじゃない。人体練成が禁忌ってとこから、私はそこがテーマなんだろうって勝手に想像していた。
 どんなに代価を払っても手にできないもの、人の命、失った体、時間、美しさ、思い出。4話がすばらしい作品だったのは、美しい思い出を取り戻そうとして失敗し、すぐそこにある大切なものに気付かない悲しさが表現されていたからなんだと思う。

 ヒューズ中佐の死、あっけなかった。それまでの役割の大きさ、主人公との距離の近さ、お約束かもしれないけれど、こういう立場の人が死んでいくのはつらい。ずっと親バカキャラで押していたのも、このオチがあったからかって葬儀のシーンで強く感じた。最期の瞬間、敵が嫁に変身するのも悲しい、しかしここはもう少し見せ方があったように思う。

 誰にでも変身できるキャラ、エンヴィーはかなり卑怯な立場。彼女が出てくれば何でもできてしまう。誰だったかが一度変身を見破ったけど、基本的に弱点はない。どうやっても最強キャラ。話が分かりにくくなるし、強引に進められるので、こういう人は苦手。
 ラストは美しい。ルジョンを殺すシーンは美しかった。「おまえは私の小さな汚点だ」。強い女性はこうやって過去を断ち切るんだろう。私にはできない。
 グリードの死はやはり印象的。エドワード君が初めて殺した相手。殺しちゃえって言ってた私も少しエド君の苦しさがわかるような気がした。自分の現在は、多くの誰かの犠牲の上に成り立っている。大人ならそれは自覚していなければならないんだけど、ここまで露骨に見るのは、やはり苦しい。
 最初の頃、殺人者に追いかけられて、エドワード君が「死ぬかと思った」というシーンも印象に残ってる。このドラマは人の死を大きく大切に扱ってるな、そんな感じがした。

 エルリック兄弟の先生の話、ラースってホムンクルスが出てきて、手足がエド君のだって分かったとき、面白い話になりそうだって期待した。だけど話は先生のラース君への一方的な愛情、先生の思い込みを中心に進み、結局中途半端で逃げられてしまった。先生とラース君の関係は、エド君とお母さんの関係によく似ていて、もうそういうのいいよ、二回目だしって思っていた。等価交換に対する疑問等、ストーリー的には大切な部分だけどね。

 今日で35話まで見た。説明的すぎる(特にラース君が自分について語る語る)部分もあったけど、嫌いじゃないよ、このアニメ。エロパワー抜きにしてもね。アニメ見るのエヴァンゲリオン以来だからちょっとしんどいけどね。

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