っていうか働け

~誰からも愛されるエルニーニョ~

職場でコンタクティー

2007-07-31 00:37:49 | Weblog
 今日初めて、職場でコンタクティーになってみた。開始15分前に席に座り、おもむろに鏡を取り出し一気に眼球へ指を突っ込む。それもこれも、昨日コンタクトを外すコツを覚えて、つらかったらいつでも外せるという自信がついたから。
 しかしやはりコンタクトを入れたままでは涙目だし、首を上げて眼を下に向けると楽なので、とても生意気な姿勢になっている。んでやっぱり違和感丸出しで1時間半くらいで外すんだけれども。
 それでも20m離れた人の表情が見えるってのは感動した。眼鏡だとあまり度を高くすると違和感が大きくなるのだが、コンタクトは見え方に対する違和感はとても小さく、強めのものを入れることができる。だから20m先の人の表情。笑顔、つらそうな顔、こっちを見てたり。眼が合ったり。なんてときめきの世界なんだ。
 だからコンタクティーはやめられない。

 ちなみに先日のマリーアントワネット作品、読み返したら結構面白いね。さすが俺様。誰からも愛される男。

食べる

2007-07-29 01:47:37 | Weblog
 金曜日歯医者に行った。想像以上に削られ、口の中違和感丸出しだったのでその夜はほとんど食事をとらなかった。土曜の朝は空腹で早く眼が覚めるた。何の予定もないのに。精神的にも不安定で朝も食べられず、昼になっても食欲はなかった。そうは言っても食べなきゃって気合入れて食べたら、何だか気が楽になった。やっぱり食事は心を安定させる。いいもん食わんといかんちゅうことっすかね。だけど
食えん→食いたーない→鬱→食いたーない→鬱→(始めに戻る)
とか
ダイエット→ダイエット→リストカット→(始めに戻る)
の悪魔の循環に陥ってる人はどうすればいいのか。知らんがな。とりあえず俺は食う、明日を生きるために。なんじゃそりゃ。

コンタクティー

2007-07-24 01:05:55 | Weblog
 コンタクトにチャレンジしている。

 眼科で「コンタクトお願いします。」て言ったら「素人はハードがマジオヌヌメ」とか言われて眼前に例のそれを突っ込まれた。
 入れられた瞬間から異物感丸出しで、動かさなくても存在を強く感じた。「痛くない?」て聞かれたけど痛くはなかった。ただ涙が止まらなかった。その人は泣いている私を、何も言わずただじっと見つめるだけだった。
 30分くらいすると涙が乾いてきて、前を見る余裕もできた。その人は微笑んでいた。笑ったときの顔の動きがはっきり見えて、今までよりその人を近くに感じることができた。
 周りを見渡すと、モノクロだった世界がカラーに変わっていた。世界がこんなに表情豊かで、私に微笑みかけてくれているなんて思いもしなかった。
 だから決めた。私はコンタクティーになる。

 そしてコンタクトを買って、自宅でチャレンジしている。
 眼に入れようとする→恐い→眼が避ける→変な場所に入る→痛い→恐い
 悪魔の循環に陥って、挿入に30分くらいかかる。
 そんで出すのも慣れなくて15分とか平気でかかるから、コンタクト外したら寝ようって淡い夢もはかなく消える。
 しかもまだ挿入感に慣れてなくて、泣いてるのは誰からも気付かれる。それでも少し外に出なきゃ、と散歩したりしている。

 別に昨夜書いてしまったことを後悔なんかしてないし、だから削除なんてとんでもないし、もちろん無意味な日記を書いて下へ下へと押しやろうなんて大人な考えはもってないんだからね!

マリー・アントワネット~永遠に手の届かないもの~

2007-07-23 01:47:15 | Weblog
 かつて私は、自分が所有していた社会的立場を利用することを良しとせず、ひとりで東京で生活し、建築現場での日雇い労働の道を選んだ。そうすることで、プロレタリアートとしての当事者性を獲得し、あらゆる鉄の鎖から解放されるものと信じていた。
 それが嘘だと気付くのには、それほど時間はかからなかった。ただ現場で指示されたとおりに物を運び、穴を掘り、ゴミを片付ける。夜は酒を飲み、仲間と騒いで朝を迎える。その生活は楽しかった。しかし、解放された生活とは言いがたかった。

 やがて病気をし、医療費を払うためだけに現場に徹夜する日々が続いた。病院でドクターストップが出ても、そのドクターストップを聞くために仕事をしなければならない、そんな日々が続いた。誰も助けてくれなかった。友達も去っていった。
お金を借りたいとお願いしたら、「お前本当に困ってるから貸せない」という理性的な回答もあった。助けてくれたのは、行政だった。

 そして私は要保護者として国家の庇護の下生活することとなった。病気はもはや慢性期に移行し完治の可能性は天文学的になってしまっていた。それでも年月が過ぎ、上手くいったりいかなかったりして、なんとか就職することができた。

 僕は地方公務員として、適応することを常に考えていた。場に即した発言、求められている仕事を感じ取ること、それは苦しくもあり、楽しくも合った。その中で不本意な異動があった。小ボスは「大人になれ」と言った。だからそれから3年間、職場では余計なことは何も話さず、笑わず、言われたことだけを無言で行う、それを徹底した。残念なことに、この姿勢はとても評価された。3年もたつと、それが自分の自然な姿と感じられるようになる。気付くともう、その前の自分には戻れなくなっていた。本社に戻っても、被っているネコは取れなくなっていた。私は地方公務員に過剰適応してしまった。

 そのとき現れた女性は、空を飛んでいた。本当は歩いてきて、椅子に座ったはず。「どっこいしょ」くらい言ったはず。だけど僕には空を飛んで見えた。自由な発言、自由な行動を繰り返し、空を飛び続けるあの人は、僕が捨ててしまったものをすべて持ち合わせ、空を飛べるまで昇華させてしまっているようだった。

 僕は汚れてしまった。時間はもう戻らない。だけど僕が失ったものを彼女はすべて持っている。僕がどれだけ手を伸ばしても手にできないもの、それが彼女。

同じ音を9回、最後を長く鳴らしてごらん、それがアナーキー・イン・ザ・UK

2007-07-16 22:24:49 | Weblog
最近夢中のTha Back Horn てバンドの「コバルトブルー」
http://www.youtube.com/watch?v=z5tjSw4vAXs
パフォーマンスを見た印象は、「結局私が好きなバンドって。。。。」

そしてX-JAPANのTOSHI、「アゴは悪くない」
http://www.youtube.com/watch?v=Qnc1MHeGIzc

先述の日本国政府を(略)Aさんオヌヌメのネハンベースもあったので載せときます。
http://jp.youtube.com/watch?v=Q5UBzx88q3o
この後半の曲はなぜか超ノリノリになれます。

手に入れられないもの

2007-07-12 00:44:26 | Weblog
 先日のこと。日本国政府を暴力によって転覆しようとする団体にかつて所属していた元メンバーのAさんと食事して色んなことを話した。この人とは気が合って色々お世話になりながら、もう10年以上のつきあいになる。だから今気になっている女性がいることも話した。
 Aさんは、その人のどこがいいのかと私に聞いた。だから私はこう答えた。例えば食事に行ったとき、彼女は以前介護の仕事をして、そこでのオムツ交換の話をした。普通の人は食事中にそんなことを言わないんだけれど、彼女は堂々と言ってしまう、そんなところにときめいているんだと。
 Aさんは、その感覚はよくわかる、と言ってくれた。だから私は、この人とはずっと友達でいられると思った。同時に、多分ふたりとも幸せになれないだろう、そう思った。

 普通な人と例えばお見合いをして、例えば職場で知り合って、結婚して子供もふたりくらい作って、郊外に一軒家を買って犬なんて飼ったりして、そんな温かい家庭を作る可能性は、まだ私に残されている。ただし時間は少ない。まっとうな生活を送り、人並みの幸せを手に入れることは、多分まだできる。だけどそのためには急がなければならない。そんな事実は分かってる。だけど、「温かい家庭」がイメージできない。温かい家庭のひとりとして食事をしている自分がイメージできない。それは多分幸せなはず。私も少し大人になったので、ありきたりな幸せが本当は一番大切なんだってことは、一応分かってるつもりだ。
 だけど私は、普通でない女性に惹かれてしまった。その普通でなさに惹かれてしまった。この恋がどういう結果になろうとも、私にはありきたりな幸せは多分手に入れられないんだろう、そう思う。