私は、10代、20代、30代前半と持病(重度のアトピー性皮膚炎)で苦しんでいた時期が長くあり、普通より多い時間、死を意識していました。
「普通よりも多い時間」 という表現は実に主観的で曖昧でありますが、「皮膚の状態が日常的に悪く、定期的に自殺を考えていた 。」と表現すれば、その意図をご理解頂けるのではないかと思います。
30代前半を過ぎ、以前のそれよりも体調は回復し、定期的な通院と日々の軟膏治療は継続しておりますが、かつての 「死んでみよう」とか、「死にたい。」、などと思うことは一切なくなり、「出来るだけ長く生きたい!」と生に対しての執着が日々増すばかりです。
こんな私は、世の中には相反する2つの事象が常に存在していることを、つまり、真剣に死のうと思っていた後に待っていたのは、生きる事への飽くなき執着心であるということから感じています。
そして「可能な限り長生きしたい、どうせなら家族と一緒に幸せに、やりたいことはできるだけやりたい!」などと、際限なく欲が出ながら生きることに精一杯になっているのですが、1つ大変悩ましい問題に直面しております。
それは、年を取ることへの恐怖の感覚です。家族や親しい友人にこの悩みを相談すると「お前、まだ若いのに何言ってんの?気合が足りんわ。他に考えることがあるでしょう。」などと取り合ってももらえません。
私は、心の中で、「あんたらと違って10代、20代、30代前半、人生の大半、死を意識してここまで来てるんだ。今度は、精一杯生きようと思って何が悪いのか。年を取ることは、生きる上での最大の問題じゃないの?」と反論したくなりますが、普段から変わり者だと思われているので、これ以上、変わり者らしさに磨きをかけるのは止めにし、いつもここらで話を終えることにしています。
周りの人とさらに話ができないからと言うわけではありませんが、年を取ることで良いことはあるだろうかと自分に対して質問を投げかけ、ここ数年考えこんでいて、やっと年を取って良かったと思えることを1つ見つけることができました。
前段が長くなりましたが、この1つの発見をご紹介させて頂きます。
それは、読書を今まで生きてきた中で最も楽しむことができているということです。
大学に進学するまで本が大嫌いで、まともに本を読んだことがありませんでした。背伸びして流行りの本を読もうとしたこともありましたが、全くおもしろさを感じることができませんでしたのですぐに読むのを止めました。
今はどうかというと、自分の部屋にある本棚に目をやると、最後まで読んで楽しかった本がたくさん並んでいて、ジャンルも様々です。
小説は、20代から30代前半まで当時興味の中心にあったスキルアップやキャリアップとは関係ないから読む必要が無いと決めつけて読まないようにしていました。しかし最近は、小説の魅力に取りつかれ、読む量がどんどん増えています。と言うか、最近は小説を最も多く読むようになりました。
昔は読書が嫌いだったのに、どうして今は読書が大好きになったのか、それは、年齢を重ねて知識や経験がそれなりに集積され、読書を楽しめるだけの自分になってきたからであると気がつきました。
例えば、急に星のことに興味をもって、天文学の本を読んでみても、内容さえビギナー向けの内容を選ぶことをすれば、なんとか興味と好奇心が、今まで蓄積してきた知識がベースとなって楽しんで読むことができました。読み始める時は、昔の自分が「お前が、天文学か?理解できるはずがないだろう。」と意地悪い言葉を頭の中で投げかけるのですが、今の自分は、そんなの気にしないで図太く「読みたいから読むんだ。別にいいでしょ。」と読み始めます。終わったころには、少し賢くなったような気持ちで「今度は、他の天文学の本も読んでみよう。」と思うようになります。
短絡的に読んでも意味がないと決めつけていた小説に関しては、さらに激しい変化が自分の中で起こっています。
読み進めて行くと頭の中で登場人物、情景、雰囲気などを細かくイメージすることができるようになっていて、映像よりもクリアーなビジョンを勝手に頭の中に描くことができます。
作中に起こる様々な人間同士の問題についても、経験的に「これこういうことだよね。」とか、「うそ、こんな時に、こういうことするの?オレだったら、ありえないわ。」などなど、1人で小説を読みながら、ニヤニヤしたり、大笑いしたかと思えば、目頭が熱くなり涙を流すこともあります。悲しい涙だけじゃなくて、嬉しい涙、感動の涙、出てくる涙の種類も豊富です。
あの本嫌いだった私がどうしたものか、読むスピードも若い時と比べものにならないくらい早くなっています。英語の本だって、英語と言う壁をそこまで感じることなく内容を楽しめるようになってきています。
「どうしてだろう?」
と考えていて、やっと分かりました。本の内容は変わらないですが、本の読み手である私自身が変わったことが。
冒頭で上げたようなエクストリームでダークな経験、他にも危機的な経験、反対にポジティブな経験もたくさんしながら、20代前半から興味を持った内容から少しずつ学習を継続しながら年を重ねた結果、読書を楽しめる自分になっていたのです。
これは、年を重ねることでしか、得られない良いことです。
だから年を取ることは決して悪いことばかりではないと感じています。
読書は、本当に楽しいです。
そして、過去の偉大な筆者たちは、私がもっている悩みや問題に関して本の既に題材として取り上げ、とことんそれらに向き合っています。それらが本という作品として現代に残っているのはとてもありがたいことです。年を取ることへの心配や悩みについても世の中には既に大量の書籍が存在していて、それらに助けを求めてみると、新たな価値観と出会うことができ、改めて本はすごいなと思う次第です。
これから年を取ることで良いことを1つまた1つと探し出して、いつ終わるか分からない人生を楽しんでいこうと思っています。
「普通よりも多い時間」 という表現は実に主観的で曖昧でありますが、「皮膚の状態が日常的に悪く、定期的に自殺を考えていた 。」と表現すれば、その意図をご理解頂けるのではないかと思います。
30代前半を過ぎ、以前のそれよりも体調は回復し、定期的な通院と日々の軟膏治療は継続しておりますが、かつての 「死んでみよう」とか、「死にたい。」、などと思うことは一切なくなり、「出来るだけ長く生きたい!」と生に対しての執着が日々増すばかりです。
こんな私は、世の中には相反する2つの事象が常に存在していることを、つまり、真剣に死のうと思っていた後に待っていたのは、生きる事への飽くなき執着心であるということから感じています。
そして「可能な限り長生きしたい、どうせなら家族と一緒に幸せに、やりたいことはできるだけやりたい!」などと、際限なく欲が出ながら生きることに精一杯になっているのですが、1つ大変悩ましい問題に直面しております。
それは、年を取ることへの恐怖の感覚です。家族や親しい友人にこの悩みを相談すると「お前、まだ若いのに何言ってんの?気合が足りんわ。他に考えることがあるでしょう。」などと取り合ってももらえません。
私は、心の中で、「あんたらと違って10代、20代、30代前半、人生の大半、死を意識してここまで来てるんだ。今度は、精一杯生きようと思って何が悪いのか。年を取ることは、生きる上での最大の問題じゃないの?」と反論したくなりますが、普段から変わり者だと思われているので、これ以上、変わり者らしさに磨きをかけるのは止めにし、いつもここらで話を終えることにしています。
周りの人とさらに話ができないからと言うわけではありませんが、年を取ることで良いことはあるだろうかと自分に対して質問を投げかけ、ここ数年考えこんでいて、やっと年を取って良かったと思えることを1つ見つけることができました。
前段が長くなりましたが、この1つの発見をご紹介させて頂きます。
それは、読書を今まで生きてきた中で最も楽しむことができているということです。
大学に進学するまで本が大嫌いで、まともに本を読んだことがありませんでした。背伸びして流行りの本を読もうとしたこともありましたが、全くおもしろさを感じることができませんでしたのですぐに読むのを止めました。
今はどうかというと、自分の部屋にある本棚に目をやると、最後まで読んで楽しかった本がたくさん並んでいて、ジャンルも様々です。
小説は、20代から30代前半まで当時興味の中心にあったスキルアップやキャリアップとは関係ないから読む必要が無いと決めつけて読まないようにしていました。しかし最近は、小説の魅力に取りつかれ、読む量がどんどん増えています。と言うか、最近は小説を最も多く読むようになりました。
昔は読書が嫌いだったのに、どうして今は読書が大好きになったのか、それは、年齢を重ねて知識や経験がそれなりに集積され、読書を楽しめるだけの自分になってきたからであると気がつきました。
例えば、急に星のことに興味をもって、天文学の本を読んでみても、内容さえビギナー向けの内容を選ぶことをすれば、なんとか興味と好奇心が、今まで蓄積してきた知識がベースとなって楽しんで読むことができました。読み始める時は、昔の自分が「お前が、天文学か?理解できるはずがないだろう。」と意地悪い言葉を頭の中で投げかけるのですが、今の自分は、そんなの気にしないで図太く「読みたいから読むんだ。別にいいでしょ。」と読み始めます。終わったころには、少し賢くなったような気持ちで「今度は、他の天文学の本も読んでみよう。」と思うようになります。
短絡的に読んでも意味がないと決めつけていた小説に関しては、さらに激しい変化が自分の中で起こっています。
読み進めて行くと頭の中で登場人物、情景、雰囲気などを細かくイメージすることができるようになっていて、映像よりもクリアーなビジョンを勝手に頭の中に描くことができます。
作中に起こる様々な人間同士の問題についても、経験的に「これこういうことだよね。」とか、「うそ、こんな時に、こういうことするの?オレだったら、ありえないわ。」などなど、1人で小説を読みながら、ニヤニヤしたり、大笑いしたかと思えば、目頭が熱くなり涙を流すこともあります。悲しい涙だけじゃなくて、嬉しい涙、感動の涙、出てくる涙の種類も豊富です。
あの本嫌いだった私がどうしたものか、読むスピードも若い時と比べものにならないくらい早くなっています。英語の本だって、英語と言う壁をそこまで感じることなく内容を楽しめるようになってきています。
「どうしてだろう?」
と考えていて、やっと分かりました。本の内容は変わらないですが、本の読み手である私自身が変わったことが。
冒頭で上げたようなエクストリームでダークな経験、他にも危機的な経験、反対にポジティブな経験もたくさんしながら、20代前半から興味を持った内容から少しずつ学習を継続しながら年を重ねた結果、読書を楽しめる自分になっていたのです。
これは、年を重ねることでしか、得られない良いことです。
だから年を取ることは決して悪いことばかりではないと感じています。
読書は、本当に楽しいです。
そして、過去の偉大な筆者たちは、私がもっている悩みや問題に関して本の既に題材として取り上げ、とことんそれらに向き合っています。それらが本という作品として現代に残っているのはとてもありがたいことです。年を取ることへの心配や悩みについても世の中には既に大量の書籍が存在していて、それらに助けを求めてみると、新たな価値観と出会うことができ、改めて本はすごいなと思う次第です。
これから年を取ることで良いことを1つまた1つと探し出して、いつ終わるか分からない人生を楽しんでいこうと思っています。
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