(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

ぃょぃょ、改正まであと1ヶ月。

2009年02月14日 | ぎゃらりぃ「チラ裏」
 タイトルとは全く関係ない話。

 思い起こすこと、13年前の3月31日。
 知り合いやら何やら、いろんな連中に囲まれて、津久田の鉄橋でこんなのを撮った。


 今見ると、位置取りからしてあんまし上手くないが、たびたび今日のこの日が来るたびにトップに飾る写真。
 話はそれに先立つこと1ヵ月半前。
 2月16日、仕事中に交通事故に遭ってしばらく鉄が出来なくなっていた。大好きだったシュプール撮影も、行きたかった急行「東海」の最後の撮影も、まるっきり撮りにいけなくなって、正直とても悔しい。でも事故っても命あっての物種だから、とにかく先に足を治そう、まず病院に通院して怪我した足を治そう、それで良くなったら足慣らしにカメラ担いで出掛けよう。そういう風に考えた。
 幸い、直り具合が思ったよりもよくて、1ヶ月後には松葉なしでもなんとかペタペタと歩けるようになった。
 丁度その頃友人から、1本の雑誌非公開団臨の運転の予定があるという情報をもらった。上野⇒水上⇒(高崎まで回送)(ョ)⇒(回送)水上⇒品川と辿る、某趣味団体の団体臨時列車が走るらしい。本務はもちろんロクイチで、これを撮影する前日の30日には高崎から先頭にEF55 1がつくという。
 「これは行かなきゃ」と思った。しかし骨折した足は思った以上に筋肉がやせて、足の裏がグリグリ痛い。ちょっと当たると「折れたか?」と思うほどにとても痛かったりする。それで月末の本番前に、シーズン最後のシュプールとか、あるいは大宮駅先とかに出掛け、文字通り「足慣らし」をやっていた。
 さて31日本番。上越線で「ムーミン」のつかない、ロクイチ単機牽引シーンが撮れるのはこの日だけ。出来れば朝から晴れて欲しかったが、この日の昼は曇りの状態。このまま夕方の9704レまでこの天気では、露出がなくて何にも撮らずに帰る悪寒・・・
 けれどもD51「奥利根号」の前後から次第に陽が差しはじめ、9704レ通過直前にはほぼ快晴の状態に。そして、下り線の鉄橋の影がいよいよ上り線に被りはじめた1630時に奇跡が訪れた。津久田の土手には同業者およそ80人が集結しており、自分も含めた皆が皆確かな手応えを感じて帰り道を急いだのはいうまでもない。
 そうして、この「ロクイチ+東サロ」はこのような素晴らしいアガリになって手元に戻ってきたが、怪我してしんどい思いして、ようやく直る見込みが出てきてから臨んだだけに、色々やってきたことが報われた気がしてホロッときた。

(08.03.'18修正再更新)   
(09.03.'18修正再更新)   


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