(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

(増結)国分寺線の夜は更けて

2014年05月03日 | 棲息地は】武蔵野ストラット【多摩川
ちゃんと書くとバス旅の延長になるが
乗った路線に鉄道が入ってるので、そっちに入れて増結扱い。

貨物も走らぬGWでは暇を持て余すだけなので
そんな時はいつもの通り、いつもの如くで
成吉線は1155時の始発で吉祥寺に出る。
(この時刻に出発した車が土休日最終成増行きになる)
何せGWで、人なら掃いても掃いても出てくる。
折り返しにすれ違った石神井公園北口止まりのが満員だとか
あり得ないくらいだから、成増行きなんか何をかいわんや。
歩いても歩いても人だらけでは歩くにも歩けないので
滝山のA7-258が暇そうにしていたのでハナコまでいってみる。
暑゙い…とっても、暑゙い。
日陰を求めてドトで一休み。
落ち着いてからハナコ北口ロータリに戻れば、同じ滝山のA7-184が
清03(本数少なし)の清瀬駅南口行きとして発車待ちしていた。
中々ないので乗ってみる。
滝山、久留米西、竹丘、と団地を巡った後
「東京病院玄関前」「複十字病院前」とかなり深いとこを走る。
まずい…まずい…と思いながら清瀬の駅まで行ったら
次に来たバスがアレだった…久11、久米川北口行き。
あの生を全うする園のすぐ傍を通る系統である。
ついこないだスへ32なんてうんっとディープなことを
Wikipedia開いて調べてた後だけに
このバスには乗りたくなかったのだが…つい吸い込まれてヲタ席へ。
当該は所沢のA3-639、QKGのゲテノンだったような。
ヲタ席で色々考え事をしてる内に当該は終点到着。
久米川の駅は川越から国分寺に抜ける鉄道を作ってた時に
一度仮乗降場として作られたものの、橋が出来た時に廃止され
そこで地元東村山の地主たちが血相変えて
駅の設置を陳情したというエピソードのある所。
後に多摩湖の建設に際しその物資輸送で
東村山は活気づくことになるが
その影で、ある病客輸送の終点ともされた所でもある、ときく。
大正後期のある鉄道局の局報には
「患者は客車ごと最寄り駅まで直送」で実施との通達が出たらしい。
まるで車扱貨物みたいな列車が当時の東村山に着くには
国分寺線1本しかなかった…
ここまで来たのも何かの縁だろう、ついでに久米川から
一度東村山まで行き、国分寺まで往復することにした。

今は3両編成の黄色い爆音電車が行き来するだけの国分寺線。
窓の外を見ながら大正年間はどうだったか、想いを馳せてみる。
…何にもない。多分、畑以外は何にもないとこだったろうが
昼間に赤十字を大きく描いたぶどう色一号の客車が走り回るには
外はとても明るすぎる。
中央線はまだ塩尻大門なんて半端な施設がなかった頃だし
その通達を出した管轄局の最寄り駅からは
東京への直通列車もまだあったろうからそれに繋げてきたのでは。

しかも編成最後尾に。

未明、列車が新宿方向に出てった後に
東村山方向からショボいタンク機があらわれて
いそいそと連結してはさっさと牽いて出ていく。
まだ日の出前、人は滅多に歩いてないうちに駅につき
誰も人目につかぬような時刻に施設入りしてたのではないか?

恐らく駅報とか達の類は焼却処分されて現存しないとは思うが
あるなら国会図書館でもどこでもいいから見てみたいもんだ。
それが多分真実なのかどうかはわからないが。

東村山からは上石神井まで急行で出て、また吉祥寺へ。当該A5-46。
ずっとたちっぱなしのまま駅前ロータリに出て降りた後
いい加減つかれたので、始発から成増まで帰る。当該A7-208。
後ろのガキどもがうるさくて、まるで遠足バスみたいだ。
尤も、この吉60系統の土休日は遠足バスなんだが
今日も今日とて、1650時の公園北口行きを満員で捌いたのに
1700時成増町行きもそれに近い人数が乗ってきては中々降りなかった。
終点成増町までは5~6人残ってたんじゃないか。


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5 コメント

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Unknown (香雪)
2014-06-21 19:40:35
ごぶさたしています。
この記事、大変勉強になりました。
自分でも、バスに乗って行ってみようと思います。
文学を通した自分の想像の範囲でしか知らないので。
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Unknown (ぃょう@某家頁管理人)
2014-06-21 22:17:15
>香雪サン
そういや国分寺はアレですもんね。

「病客車」でググってみてWikipediaご覧になられますと
隠した部分が見えてくる訳ですが
因みに、その受け入れ施設は駅ビルになって影も形も見られないです。
そら、いの一番に潰すでしょう。そういう見せたくないとこだし。
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Unknown (香雪)
2014-06-21 22:37:33
今は記念館になっているのかと思ったのですが、駅から遠いし、線路が敷いてあったようにも思えないし、ヘンだなと思ったら、跡形もなく潰したのですね。
患者の移動(搬送)までは考えたことがなかったので、
いやはや、こういう話は、管理人さんじゃないと、なかなか聞けないんじゃないかと思ったり。
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Unknown (ぃょう@某家頁管理人)
2014-06-21 22:47:44
>香雪サン
駅までは迎えのクルマが来てたみたいですよ>あそこ。
何せ、大勢運ばれたって訳でもなし、いても1人とか数人。
だから駅から遠くに作られても、大丈夫、みたいな感じです。

ただ病気が病気なので、客車の方は運ぶ時もその後処理も、大変だったみたいですよ。

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Unknown (香雪)
2014-06-21 23:14:02
お迎えがあったというのは、なるほどです。
日の出前の人目に付かない時刻に、というのも、きっとそうだったのでしょうね。

最初、萩山か?と思ったのです。わりと最近まで国分寺からの終着だったし。近くに大きな病院がありますし。
あと、多摩湖建設物資が運ばれたというのも、へえー!でした。

萩山・八坂・東村山・久米川あたりは線路が交錯し過ぎていて、方向感覚を失いますね。タクシーの運転手さんも、「わかんね」と言ってました。
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