(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

国鉄色の頃…EF66 30…

2014年05月07日 | ☆0番台☆☆[:]≡\| EF66 |/≡[:]☆☆100代鮫☆
今から丁度20年前は、成田臨で知り合った静岡の知人の伝で
しょっちゅう丹那トンネルの向こう側
ユイヲキツだのカナキクだの、矢矧川橋梁だのと
ツキイチペースで東海地区に出掛けていた。
何せ、ゴハチの61や89の動きがとても鈍く
「向こう側」の東海所属だった122や157の方が頻繁に走って
盛んにネタを投下していた時だから
ゴハチネタに飢えていた人間は当然それに食らいつくべく
18きっぷの時期でもないのに165系のガキ夜
大垣夜行・375Mに乗って出掛けていた。

20年前、国鉄色の頃。
コキ50000×24車の1070レを牽いて東京タに向かう。


↑の写真は157が「あすか」と「ユーロ(ry」を
同日に牽引すると聞いて打って出た時に
その「あすか」分のアングル合わせに撮ったものだと思う。
場所は下り準拠で西岡崎~三河安城間。
データに列番はなく、代わりに通過時間1318時と記していたので
古い貨物時刻表とか、色々データを探して回ったら
このスジは当時、1200t牽引指定がかかっていて
それでEF66の運用に組み込まれていた
有田(ありだ)発東京タ行き1070レと判明した。
コキ50000だけ24車繋げても95km/hで走れるとは知らなかったから
初めて撮った時は、素直に感動したものだったが
組み合わせでならこの後に走る、コキ100系で編成された
1054レ(現・1050レ)を撮りたかったように思う。
この頃はEF66の0代ったら殆どが特急色で
車両更新はまだ始まったばかりだったから
同じEF66牽引なら台枠が太いコキ50000で編成された1070レよりは
新しくスマートな前者の方が撮り甲斐があったのだ。

その日は追っかけも兼ねていたので
(事実、高塚で折り返し回送発車前のを撮っていた)
そっちは撮らないで移動、静岡から366Mで帰ったが
やはり「ありふれたヒトコマ」だったせいか
スリーブから切り落とししてマウント入れせず
そのまま20年もポジ箱に仕舞っておいていた。
因みにEF66の車体更新が始まるのは同 19からで
30も更新を受け、あのアイスキャンデーみたいな
水色主体の更新色を一度まとった後に
再度の車体更新、全般検査を受けて本線に戻り
何だかんだ言われながら今も現役を続けている。
尤も、ゴハチが全部引退して客車ネタが壊滅し
貨物のネタガマとして今また注目されるとは
あの当時は全く想像していなかったが。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿