義父、行年95歳・満開の桜の中、旅立ちました
4月7日、帰松した長男も一緒に義父を見舞って、その後久しぶりに道後まで出かけて・・・
その後も石手川から眺めた大きな満月と見事な桜に感動した土曜日
4月8日、最終便で東京へ帰る長男、お友だちと花見会に出かける二女、
私は、お箏の先生からのお誘いでK公民館へ出かける予定で・・・夫とも確認しあって午後12時半
家を出ました
携帯がなり、病院から義父の様態が急変した知らせを聞き、それぞれが病院へ駆けつけました
・・・午前中は、呼びかけにも反応があったそうです・・・午後になって血圧が下がり
14時14分、痩せた姿でしたが苦しむことなく優しい顔で亡くなりました
4月9日・通夜 4月10日・葬儀
「葬式もせんでかまん・イランコトスナ」と
夫に言い続けていた義父ですが
「エイコサン、死んだときに写真がないのはフウが悪いけんのナンヤラユーエイコサンが持っとるカメラで写真とっといてくれんかー」
と、言い出したことがあって・・・(他の方の撮影した写真は、いつもどこか別の方向を向いているのに)
私の携帯カメラにもデジカメにも、きちんと目線を合わせて向き合ってくれて私の方が緊張したことを思い出しました
義母と同じ大きな会場ですが、少人数で
こじんまりと義父の希望通り身内で見送ることができました
いつも気にかけていただき、ありがとうございます・・・これからもよろしくお願いします。
「エイコサンの友だちがコウテキテクレタンカー・ウン!これはウマイ!」
「エイコサンはメズラシイモンをヨーモラウンジャノー」
そう言って≪朝鮮飴≫を一緒に食べたこともありました。
棺の中に、ゴルフ用の帽子やメガネ・・・
桜色の金平糖も入れました
(義母とは
西行法師の話をしているのではないかと思います)
95歳ですか。すごいですね。
まだまだお忙しいことと思います。
お体に気をつけてください。
義父は、バレーボールの選手だったそうです
大変な時代を生き抜いてきたのですから心身ともに鍛えられていたのでしょう・・・
肌や髪の色ツヤも骨太な体も、とても95歳とは思えないといわれていました・・・。
・・・はい。気をつけて過ごします。
エイコサンが、お義父様とお別れをされてたときにメールを送っていたんですもの・・・。
≪エイコサン晴れじゃ!≫と話されていると思います。
お義母さまと色々なお話を
されていることでしょう。
栄子ママさんもどうぞ御自愛のほど
お祈りいたします。
「桜が綺麗ですね」のメールは、とても嬉しく
白水台を通って病院へ向かう道でも
病棟から見る桜も美しく優しく本当に綺麗でした。
菜の花の胡麻和えや
蕗の煮物など霊供膳にしましたが好き嫌いが
多かったので・・・
「エイコサン、これはクワン!」と言ってるかも知れません。
さて!と、行動するときには深呼吸をして気持ちを落ち着けてから!というつもりでいますが
相変わらずドタバタママのままデス
ご冥福をお祈り致します。
エイコママさんもお疲れでしょうし、ゆっくり過ごす時間を大事にしてくださいね。
義父は
90歳まで車を運転していましたし
70代のお友だちに送り迎えをしてもらって
ゴルフも楽しんでいました。
ゴルフ場の温泉が最高だと言い・・
年齢別ではもちろんいつも優勝でしたから
カテーテルが必要なこともピロリ菌がたくさんいることも
納得できなかっただろうと思います。
眠るがごとくの表現がぴったりの旅立ちでしたので夫も私もホッとしています。
はまかぜさんの桜の写真を懐かしく拝見しました。
一人でボートを漕いだこともあるんですよ
水面から見上げる桜も綺麗でした!
(今は、もう一人では乗せてもらえないと思いますが・・年齢制限ありますよね・・・)
そのうち出かけていけるものと思っています。