
お雛様といえば桃の節句ですが、もとは上巳(じょうし)の節句といい、3月はじめの巳の日に邪気を払う風習が中国から伝わり、日本で人形と結びついたといわれています。雛人形は、厄を移す形代(かたしろ)の紙人形や子供の人形遊びなどから発展して、次第に立派なものになりました。
特に江戸時代にはさまざまな特徴をもつ豪華な人形が作られ、そのなかで公家装束を写した有職雛があらわれました。
有職雛については、江戸後期の公卿(くぎょう)・野宮定晴(ののみやさだはる)の日記『定晴卿記』のなかで、宝暦8(1758)年に「衣紋道(えもんどう)の山科家で実物通りの装束を着た男女の人形を見た」という主旨の記述があります。
ほかにも同じころの宮家による注文を記した資料や人形の遺品があることから、江戸後期には宮家や公家の注文で精巧な有職雛が盛んに作られていたようです。
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