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motoの徒然なるままに…

日々是好日日記

「青森大空襲」

2011年07月28日 | 日々徒然


今から66年前の1945年7月28日~7月29日にかけて青森県青森市が空襲を受けました。東北地方で最多の犠牲者を出しました。北海道産の石炭の本州陸揚げ港であった港町を狙った空襲ででした。1945年7月27日深夜、2機のB29が青森市に飛来し、照明弾とともに6万枚程のビラを撒きました。ビラには数日の内に、青森市を含む11の都市のうち4~5つの都市を爆撃するから、避難するようにと書かれてました。しかし憲兵隊、警察によって読むことを禁止され、さらに回収されたため、警告が伝わっていなかったのです。7月28日21時15分。青森県地区警戒警報発令。それから間もない22時10分空襲警報発令。この頃、前進基地の硫黄島を離陸したB29は、仙台湾から男鹿半島へ抜け、鰺ヶ沢町附近から青森市に向かいました。 そして暗闇に包まれた青森市に現れた62機(内1機は投下失敗)のB29は、照明弾で市内を照らしたのち、22時37分、焼夷弾の投下を始め、23時48分まで続いた。
死傷者1767名。焼失家屋18045戸(市街地の88%)。罹災者70166名。(諸説有り)
M74焼夷弾は、従来型に黄燐を入れ威力を高めた新型焼夷弾で、青森市がその実験場となりました(米国戦略爆撃調査団は「M74は青森のような可燃性の都市に使用された場合有効な兵器である」と結論している。)。また、バケツリレーや手造りの防空壕は全く役に立たず、防空壕での死者も多かったのが判明しました。

焦土と化した青森の街並みを復興した先人達のご尽力にあらためて敬意を表し、あとで平和公園に行きモニュメントに恒久平和を誓ってきました。いみじくも、1914年の今日、第一次世界大戦が勃発しましました。
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