450ページ読みました。最後の主人公である「悼む人」坂築静人(さかつきしずと)の母親・巡子の死と妹・美汐の出産がクロスして、一気に読んでしまいました。最後の数ページは臨終の枕元に極楽浄土へお迎えにくるという「阿弥陀如来来迎図」を連想して読みました。阿弥陀如来は悼む人・坂築静人です。
天童荒太謝辞より。「そして、読者へ。あなた方は、わたしの小説への姿勢を信じて、きっと待っていてくださる…。あなた方とのあいだに存在している信頼関係が、先の見えない執筆を根っこのところで支えてくれました。あなた方のような読者を得られて本当に幸せです…」
多くの事件や事故、病死や自死などで亡くなれた方を報道あるいは直に耳にするたびに「では、ここで悼ませていただいてもよろしいでしょうか?」という悼む人の声が聞こえてきます。
人の世は無常とは言え、その人を忘れずに心に刻むことが「悼む」ということなんです。仕事にも「悼む人」の気持ちを忘れずにいたいものです。
人の亡きあとばかり悲しきはなし。去る者は日々に疎しその形だになくなりぬるぞ悲しき(徒然草)
※画像は本の表紙で筆者が直接撮影した彫刻家・舟越桂氏の「スフィンクスの話」です。「悼む人」の精神的なシンボルだそうです。
天童荒太謝辞より。「そして、読者へ。あなた方は、わたしの小説への姿勢を信じて、きっと待っていてくださる…。あなた方とのあいだに存在している信頼関係が、先の見えない執筆を根っこのところで支えてくれました。あなた方のような読者を得られて本当に幸せです…」
多くの事件や事故、病死や自死などで亡くなれた方を報道あるいは直に耳にするたびに「では、ここで悼ませていただいてもよろしいでしょうか?」という悼む人の声が聞こえてきます。
人の世は無常とは言え、その人を忘れずに心に刻むことが「悼む」ということなんです。仕事にも「悼む人」の気持ちを忘れずにいたいものです。
人の亡きあとばかり悲しきはなし。去る者は日々に疎しその形だになくなりぬるぞ悲しき(徒然草)
※画像は本の表紙で筆者が直接撮影した彫刻家・舟越桂氏の「スフィンクスの話」です。「悼む人」の精神的なシンボルだそうです。
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