
子供に葬式を見せることがどうして教育上よくないのであろうか。
子供の目からは死は隠さなくてはいけないのだろうか。
まさにイギリスの社会学者ゴーラーの言う「死のポルノグラフィー」化である。
自然なことである人の死が、現代ではセックス同様に社会から隠され、ポルグラフィー化していると語った。
自然死は隠しておきながら、他方では、映画、テレビなどのドラマ、マンガなどで過激に露出されている。
愛は快楽だけをもたらすものではない。辛い悲しみもまたもたらすのだ。あるいはこうも言えるだろう。辛さ、悲しさ、痛みを伴わない愛は存在しないと。
心豊かな人間というのは、悲しみ、痛みもまた知る人間のことだろう。子供とその将来を大人は侮ってはいけない。
(葬祭ジャーナリスト碑文谷創氏)
まったく同感であります。失って初めて大切なことに気づくことがたくさんあります。悲しみ、苦しみ、痛みは人を成長させる肥やしだと思います。死を五感で体験することが命の有り難さを実感できると考えるのは大袈裟でしょうか?
露の世は 露の世ながら さりながら(一茶)
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