Dream-Speaker

有縁の方々のインタビューを通じて、共感と共有の種を播き、育てたい。

ミャンマーの「とある村」の僧院における剃髪の様子

2011年11月25日 | ≪ビルマ・メロメロ≫の方々へ
ミャンマーの「とある村」の僧院における剃髪の様子

平成19年、ミャンマーの僧院に使い捨てカミソリを届けてもらいました。
この僧院で普段使っている剃髪用のカミソリは、両刃のカミソリをセットした簡単なタイプです。


日本国内では、ひげそり用のカミソリといえば機能を追求したの3枚刃、4枚刃などの高品質な仕様がはやっていますね。とあるご縁でこの最新式のカミソリを10本ほど入手した時に、ふと、現地の小坊主さんたちの顔が思い浮かび、現地で使ってもらえればと、その時に渡緬予定だった友人に依頼しました。
 にわかに剃髪大会と化した現場を見た友人の報告によれば、頭に石鹸をつけて泡立てても、最初から3枚刃や4枚刃のカミソリで剃髪すると、髪の毛で目詰まりしやすいそうです。そこで、小坊主さんたちが考えて、最初に普段通り、両刃の簡単なカミソリで頭をそり、その後に最新式のカミソリでそる。というスタイルを編み出しました。そうすると、ツルツルに仕上がるそうです。



途上国の支援などと言い出しますと、とかく寄付金を集めて、金額の多寡やプロジェクトの規模の大小で価値を決める風潮があります。しかしそんな風潮から飛び出して、心で動けばカミソリひとつでこんなに楽しい支援(対等な交流)ができます。
きれいに剃って、肌が少し衛生的になる。こうした見えない部分を確保できていれば、あとは、つるつるになったよー。って、笑ってもらえればそれで良いのです。
どんなプロジェクトであっても「貧者の一灯」が置き去りにされるのならば、はじめからする必要はないです。
精神的な支えがなくても、信念がなくても、明りを灯すことはできますが、たとえば私自身が、そうした活動には共感しないのは、そこには、活動した人自身が照らされているという視点が欠如しているケースが多すぎることがあげられます。

とてもすばらしい理想を持って活動するすばらしい人。これで終わるならば私は感動もしないし、共感もしません。
そうではなくて、「自分はすばらしいことをしていると思っていたけれど、実は、助けられたのは自分自身だったんだよ」という感想を素直に抱くことができる人の存在、そしてその想いこそが有難い。

本稿は仏法僧Buddhist On Stageからの転載です。世界各地からのアクセスが多かった原稿です。


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