Dream-Speaker

有縁の方々のインタビューを通じて、共感と共有の種を播き、育てたい。

ここにおるんじゃけえ。映像作家・下之坊修子さんインタビュー1

2010年11月07日 | インタビュー

広島市で24時間介護を受けながら、“自立した生活”をしている佐々木千津子さんという女性がおられます。「生きたい!」「したいことがいっぱいある!」と、野球場に広島東洋カープの応援にも駆け付ける。脳性マヒで体が動かないことを、できないことの理由にしないという姿勢が多くの人を惹きつけています。佐々木千津子さんの日常を淡々と追ったドキュメント映画『ここにおるんじゃけえ』の作家・下之坊修子さんに、「人間という存在の魅力」についてたずねました。(映像発信てれれ主宰・大阪市浪速区日本橋西1-4-11カタオビル3F・http://www.terere.jp/)(平成22年10月)



自立、自由について考える

――今回のインタビューが、作品中に登場する日本最大手の家電量販店、あるいは行政各関係者であるとか、そういったところに、障がい者との接点がもっと広まっていくきっかけになればと思っています。また、この作品の上映会をする寺院が出てきてほしいと思っています。上映会をした後に、僧侶がいのちについての法話をするという2つの要素がセットになって事が運べば、双方の言いたいことも伝わるし、受け手も心地よく受け入れられると思うのです。ですから、私は縁のある僧侶に対して、この作品を「生かしてください」とお話ししています。

下之坊さん 佐々木千津子さんの人生に迫るには、強制不妊手術の話が出てきます。それは、ご本人が生後1週間で脳性マヒになり、介助が必要な体になったこと。そしてコバルト線照射による強制不妊手術を受けたこと。という流れがあるからです。この強制不妊手術に関しては、4年前に『忘れてほしゅうない』という映画にまとめ、日本だけでなく韓国や台湾でも上映されました。
 今回は佐々木さんの素顔に迫りたいと思った。今作のために、私も彼女と2年ほど付き合い、撮影をしました。彼女は本当の意味で自立をしています。自分の生き方をつかんで実践している。私たちが単純に考えると、彼女は介護なしでは生きられない。物理的に人の助けを借りているが、実はしっかり者で、人との付き合い方などもしっかり考えている。どうでもよいところは妥協するが、譲れない線は守る。そこがある意味では本当の自由。自分が責任を持っているところ。私たちの付き合いの中でもそういうところが、じわじわと感じられた。この部分を皆に伝えたい。というのが、今作の意図なのです。

人間の魅力とは何か

――作品の冒頭、佐々木千津子さんは野球場で広島東洋カープの応援をしていた。金髪にピンク色のアクセントをつけたヘアスタイルで、ポップでしたね。まず、ここで話題にしたいのは、人間の魅力とは何だということです。佐々木さんの金色やピンク色の髪の毛を見て、ぎょっとする人も多いと思うのです。あるいはすぐに賛同しかねると言うか、初見で、野球場で歓声をあげる佐々木さんの姿を観て、大賛成できなかった人がこの作品を通して観ていくと、ショックを受ける。「人間の魅力」ということについて、うわべをきれいに取り繕うことに執着してきた人にとってはショックな体験になると思うのです。


下之坊さん 佐々木千津子さんという人に魅力を感じたのは、ささいなことがきっかけでした。もう何年も前のことです。前作を撮影する企画が持ち上がった時、彼女と最初に出会ったときに、私は腰が痛かった。何かの拍子に私が彼女の車いすを押すことになって、「私は腰が痛いから、あんまり力が出ない。ごめんね」と言いました。半年後、再会した時に「腰は大丈夫ですか」と聞かれた。この人はあんなことをまだ覚えていたのかと驚いた。最初の時点では私は仕事としての関わりだから、いち業者でしかない。仕事の現場と言うものはそんなドライな関係です。しかし、この人はそう思わずに私を人間として見ていた。気にしてくれていた。また、心の距離が近づいたのは、前作を抱えて東京の議員会館などを回った帰りのこと。
 帰りはなぜか、私たちは二人きりになりました。介護のスタッフがいなくなったのです。私は介護の作業をしたことがない。どうしてよいかわからないので、するべきことを教えてもらった。東京から大阪までは2人で帰り、大阪から広島までは彼女1人で帰りました。途中で、紙おむつを替えてほしいと言われた。どうしてよいかわからないので、体位の入れ替え方法など、言われるがままにやりました。信頼してくれていたのです。そこに居心地の良さを感じ、この人は面白いなと思ったのです。
 前作を撮影するきっかけは、女性問題に取り組む団体です。この団体でも、彼女の想いがあったからこの映像作品を作りたいと決めたのでした。
 佐々木さんは発想も面白い。前作のオープニングは広島弁でアニメーションのように言葉をかぶせているが、そういうのは佐々木さんのアイディア。この人は発想が豊かな人で、一緒に第2弾を作ろうと話していました。その時は直感で面白そうと感じたのですが、何がどう面白いか、具体的には分かっていなかったのです。私は最初、作家の目で、果たしてこの人はどこまでできるのかと思っていることも含めて、多少なりとも上の立場で見ていた部分がありますね。でも撮影が進むにつれて、向かい合いながら、話しあいながら形になっていきました。2人でぶっ飛び映像、面白い映像を作ろうと言いあっていたのですが、途中から、お互いが、ありのままを撮ろうという話をし始めました。ありのままが一番面白い。ということになっていったのです。
 そういった前作でのコミュニケーションを経て、取り組むことになったのが今作ですが、制作の前半は戸惑いました。前作から4年ぶりくらいに撮影しに行くと、ガリガリに痩せていて、言葉も聞き取りにくくなっていて、体も力がなくなっていた。昔は首がガクンと落ちても自分で持ち上げることができていたのですが、今は人にやってもらわないと動かない。
 映像的に必要なピントや構図の距離をとってカメラを構えると、佐々木さんの言葉が聞き取れない。これでやれるのかと思ったこともありましたが、じっくり構えるというスタンスは決まっていたので、その中で今までにない何か出てくるかもと思い、企画がスタートしたのです。
 前作は、強制不妊手術に関する啓発ビデオでした。佐々木さんの日常もあわせて少し撮影したが、それがすごくおもしろかった。その時、もっと日常をどっぷり追っかけたいと思った。

――前作は、強制不妊手術という答えが先にあって、皆がそれを目指したのだと思います。今作は、日常に比重があった。私の感想としては、不妊手術の是非については私には計りようのないものであって、これを絶対悪としてとらえた場合、では、その絶対悪しか選択できなかったお母さんはどれくらい打ちのめされていたのか、そういう大切なところを知りようがない。ですから、そうではなく、人間の身体的機能や、容姿、障がいの有無などを超えてつながっていく人間のあり方、あるいは、相手の魅力の引き出し方、そういうものの見方を伝える作品だという観方を提示することが、私にできれば良いと思うのです。

下之坊さん 強制不妊手術のことは、100%本人が承諾したと言ったとしても、人の身体を勝手に傷つけることはしてはいけないと、私は思っています。佐々木さんは実は、お母さんが大好きです。彼女は大好きだとは言わないが、言葉の節々にその思いが溢れている。ところが自分が体を傷つけられて、妊娠できないことになったのが悔しくて、お母さんを許しきれない。彼女はエッセーには、そういう思いをたくさん書いている。お母さんにお風呂に入れてもらったときに、窓の外に咲いていた花がピンク色で、それで私はピンクが好きになった。などの思いが綴られています。冒頭の映像で観る人にショックを与える髪の毛のピンク色も、そこから来ているのでしょう。
 私たちの子ども時代は、障がい者は家にいればよいと言われた時代です。そういう時代背景で母親が苦労したことも分かっている。お母さんも彼女と住みたかったのにも関わらず、彼女が家を飛び出してしまうので、ショックを受けた。映像作品としてそういうところももっと描きたかった。しかし描き切れないですね。
しかし、社会の問題として、障がい者を隠す風潮、理解が得られない、協力が得られない時代の中でお母さんが押しつぶされていったということは、彼女は分かっている。分かっているが、お母さんは悪くないとは言いきれていない。彼女の気持ちは複雑なのです。また、彼女の場合はご家族との関係も切れている。女性が自立するときの困難で「女は家にいるのが理想」と言われた時代に、それを選択しない彼女は家族の絆を断たれた。そういう血縁にも頼らない、自立した彼女がある。このような複雑な要素が絡まり合って「100%許しているわけではない」と言う言葉になっています。
 そういうことを許した社会に対して、ましてや、原爆を落とされた広島で、不妊手術としてコバルト線放射をしたということ。そのむごさは、見据えないといけない。こうしたことを許したのは、実は私たちだったということも知るべきです。手術しても良いという判断を許した社会は、私たちが作っている。強制不妊手術の件は、このような複雑なことが絡み合っています。
 しかし、彼女の場合は、そういうことを全部引き受けたうえで、なおかつ自由に生きていく。その生き方が素晴らしい。彼女自身の溢れてきてもなお余りある魅力が素晴らしい。


資本とは「四本の手足」のことだと思った

――作品の中で印象深いエピソードがありました。佐々木さんが「自立したい」と言ったときに、「資本があればできるよ」と言われたことを、ご自身は「四本の手足のことだと思った」という話です。これは痛快で、観ていた私の心がパッと晴れました。言われてみれば資本は四本だと思ったのです。

下之坊さん 佐々木さんの発想は自由です。人が前を向いて二歩足で歩いている。ひっくり返っていても良いのに、誰もがそれを選択していない。それを面白いと言う。私は、そんなことは考えもしなかったので、この発想の自由さは素晴らしいと思った。
 もちろん、生きてきた環境もある。彼女が育った施設には、2本の足で立っている人ばかりではないから。施設ではいろんな人がいるのが当たり前。その感性で社会を見たら、普通の人は、なぜ他人と同じことしか選択しないのかと、不思議に思ったこともあるでしょうね。

人が人に共感していくこと

――介護でいうと、老いは個人で引き受けるものではなくて、社会で引き受けないとだめなものだと言います。自分の老いを自分でコントロールできるのは、大きな資産を持っていてしっかりとサービスを受けられる人。そうできない人の方が多い。老いて死ぬという過程は個人の肉体におこる現象だけれど、個人で引き受けるものではない。しかし他人の老いをそうそう受け入れられるものでもない。
 元気に活動して働いて、糧を得ている世代の感性が鈍いこと、知識がなさすぎること。
 私の感想としては、感度が鈍い人が多いと思っています。他人と自分を切り離して、自分の利益の確保にのみ執着する人は、自分が切り捨てられていく要因を自分で生み出しているということに気づかなさすぎる。これは、日常生活の指標がないことが原因だろうと思っています。今は核家族2世代目、3世代目の世界。そうなると、先代から受け継ぐ知恵もない。仏法などの指標もない。家訓などもない。そういう指標がなさすぎる。今の社会の問題は、我々の感性の鈍さゆえに生まれていることだと思うので、感性を揺さぶる表現はどんどん世に出ていってほしいと思っています。
 介護スタッフさんなど、佐々木さんの周囲にいる人が佐々木さんの魅力に感化されていく姿や、佐々木さん自身が人に対して「私は人が好きだ」と言いきってしまえる包容力は、日常生活ではあまり見つからないことです。

下之坊さん 面白いことですが、かなり多くの人が佐々木千津子さんという人を知っています。映画のこともありますが、「あの佐々木さんが…」と言う。多くの人が佐々木さんのイメージを持っている。作中でカットになったインタビューでは、自分が介護の仕事をしはじめて佐々木さんに出会ったことで目からうろこが落ちたというような話も出ました。単にお名前を知っていますよという話ではなく、「ああ、あの佐々木さんが」という重みのある、実感のある言葉は違う。佐々木千津子さんという人間を深く感じ取っている人が多い。
 私が会うまでの50年間にはいろんな人が、佐々木さんとの出会いを果たしていたわけです。今の彼女を見ていると、長い時間の積み重ねだと分かる。若いころは社会に対してずいぶんとセンセーショナルな動きをしたのだと分かる。今は、いぶし銀と言うか、じわっと人々に影響を与えています。

いのちの共感はどこから得られる

――強制不妊手術の件について、いのちの誕生と言うことについて考えると、公になっている平成17年度の人工中絶手術数は28万件を超えています。本来は大きな問題だが、もう現代社会では、中絶があってもなくても大差なく、関係ないないよという感じで流されていく。いのちの軽視ということだが、「いのちは大切ですよ」と言っても、これも何事もなかったように流されていく。道徳や正義感で訴えかければ何とかなると思っていた。しかし、いのちの本質は道徳ではないから、こんな安易な方法は通用しない。
 「そもそも、この世界の大前提として、自分のいのちって何?」という、自分が知らない間に抱えている根本の大問題に気づかないと、人は変わらない。
 その気づきは、人との触れ合いの中で得ていくこともできます。佐々木さんが、「私は人が好きなんです」と言えば、それはそれだけでいのちの気づきとして受け取れる。周りにおられる介護スタッフさんもその一言で気づきを得て仕事の質が変わっていく。
 本作品はDVDなので、いろんな人が佐々木さんの言う「人が好き」の「人」を自分こととして受け取れば、自分は捨てたものではないなと思っていける、気づきになる。だから、本作品には教材の意味合いもあると思っています。
下之坊さん 作品をご覧になられた障がい者の方から、「一緒に生きようと言ってもらっていると受け取った」という感想をいただきました。自分に置き換えて、自分を生き直そう。大切にしようと思ってもらえれば最良です。それを狙って作っているのではないですが、そういう風に思ってくれる人がいるのはうれしい。実は、私も、自分がそう思わせてもらいながら作ったのです。作品作りを通じて、自分が今ここで息をしている、日常生活を送っているということの大切さを感じさせてもらいました。

社会との接点について

――社会的な露出と言うと上映会ですね。

下之坊さん そうです。大学で教材になったり、障がい者団体や各地の女性センターなどで上映されたりという動きです。広島と大阪の映画館で上映が決まりました。これはうれしい。この朗報には佐々木さんも喜んでくれました。
――私は、それだからこそ思うのです。広島東洋カープが佐々木さんを応援すれば良いじゃないか。ということです。また、作中に出てくる日本最大手の家電小売業・Y電機の対応についてです。車いす利用者と話すときは、健常者が腰をかがめて、目線の高さを合わせてから話をする。というのは、私は、自分が研修を受けているから知っていること。知らない人にとってはまったく知らない。それは、人間としての感度の問題でもありますが、社会基盤としては、教えていないほうが悪いのです。

※作品中、佐々木さんは広島東洋カープの応援に行かれ、健常者と同じように歓声を上げて応援します。また、日本最大規模の家電小売業・Y電機の広島店に扇風機を買いに行かれましたが、男性店員がカウンターの奥から出てこずに、遠く離れたままで対応するので一向に意思の疎通ができず、佐々木さんがコミュニケーションをあきらめてしまいます。店員の対応の悪さが明らかになりますが、それは同時に、障がい者が安心して買い物をできる店舗運営をしていないという企業姿勢も露呈しています。また、佐々木さんは引っ越し業で著名なサカイ引越センターに依頼して、自宅を引っ越しされますが、ここではY電機のような対応ではなく、若いスタッフが丁寧な対応をして作業がスムーズに進みました。

下之坊さん Y電機のシーンでは、店員さんが戸惑っていたのがよく分かりました。

――写真でも、ポートレートなのに被写体の目線よりも高い位置にカメラを構えていたら、それは、被写体に共感していない、見下していると言うメッセージを発信するのも、写真の勉強をしていれば知っていること。あのシーンだけをとらえたら、この店員さんはけしからん。という話になるのですが、その前段階として教えていないのだから知っているはずがないだろう。というのも事実ですよ。

下之坊さん あのシーンは、もっと短く、1分程度に縮めてしまうと、店員が完全に悪者になってしまうシーンです。ところが、長尺にしたことで、客観的に「佐々木さん、それは分からないはずだよ」ということも露呈される。実際に作品を観て、あの店員さんがかわいそうだと言った人もいた。私自身があの店員さんの立場だったら。ああ、私も知らなかったらきっと同じことをしていると思ったのも事実です。

――下之坊さんは自分の作品が、鑑賞目的以外のことに使われるのは構わないですか。

下之坊さん 作ることだけが目的ではないから、構わないですよ。

―― 一方で、サカイ引越センターのスタッフは、きちんとした対応をしていた。あの人はどこかで研修を受けるなりして、知っていたのでしょうね。

下之坊さん あの人はきちんと対応をしていましたね。これはすごいと思いながら撮影していたのでよく覚えています。

――この作品は実は、障がい者と社会とのコミュニケーションの回復を図る手段になるのです。Y電機とサカイ引越センターのそれぞれの対応を比較して、自分の仕事の現場で何が起こっていたのかを知ると、事業主なら背筋に冷たいものが走るでしょう。
下之坊さん 言っても分からない。という苦い経験は当然だれもが経験したでしょう。佐々木さんの場合は、自立というチャレンジがあって、自分の意思を伝えないと、一生、環境が変わらないということを体験しています。車いすでバスに、電車に乗ることが存在のアピールになる。だから、佐々木さんは、別に、その場その場で騒いでいるのではない。電車に乗ろうと思ってホームまで行くと、来た電車の車掌に「次の電車に乗って」と言われる。次に来た電車でも同じことを言われる。そうなると彼女は、自分が乗れる電車が来るまでガンとして動かない。待っている。わめくでもなく、哀しむでもなく、自分が乗る電車は一体どこだと待っている。そこにいるだけで、障がい者のメッセージを発信している。障がいを持つ人のすべてが佐々木さんのようにふるまえるわけではない。やはりどこかで妥協している。

「障がい者は健常者と変わらない」から「健常者は障がい者と変わらない」に立ち位置を替える

――障がい者と対比する言葉としての健常者。ところが健常者も、自分の明日をどう作っていけばよいかわかっている人などいない。自分の明日については分かりませんとしか言えない。老いも若いも、男女も、障がいの有無も、まったく関係がない。皆、明日をも知れぬ身であることにかわりがない。

下之坊さん 私はおばあちゃんに育てられました。女の子は人の言うことを聞いた方が良いと教わった。「こうしたい、でもむり」と思うときは、私の場合は他のできることに替えてしまうことが多い。ところが佐々木さんの場合は、違いました。
 最初、佐々木さんが、「カープの応援に行く」と言うのを聞いたときは「車いすで行けるの?」と聞き返しました。私の心には「無理じゃないの?」という思いもあったのです。でも彼女は「行けるのかじゃなくて、行けるようにするの」と言い、本当に行ってしまった。
 私たちは、自分のしたいことをあれこれと理由をつけてあきらめたりするが、彼女はそれをする。していけるように作っていく。そこがすごい。
 作品にも出てきますが、彼女が引っ越したのは、玄関に大きな段差がある家です。「なぜこんな家に住むの」と言ったが、彼女はそうしたい。そうしたいので、住めるように環境を変える。スロープの改良などをしました。私たちは、お金がないから駄目だ。女だから駄目だ。など言う。佐々木さんは、車いすだから無理なこともあるが自分がしたかったらそうするという理念で動く。このことは衝撃でした。

インタビュー後半に続く


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