時のたつのは早いもので、来週は彼岸の入りです。今年は彼岸の中日を挟んで、土曜日を入れると5連休になっているようです。私は何処へ行く予定もないですが、海外旅行は各プランともいっぱいとのことです。恒例ではありますが、お墓の掃除をして、墓参りだけは行くつもりです。時間が許せば、どこかへ出かけて、調査でもしてみようかと思っています。
萩
彼岸に供える「おはぎ」はこの萩の葉を模したものだそうです。秋彼岸は「おはぎ」、春彼岸は「ぼたもち」牡丹を模したというのですが、何処がどう似ているのでしょうか
お盆の8/15、残暑が厳しかったので涼を求めて志賀高原のほうへドライブに行ってまいりました。気温17度と下界とは打って変わった涼しさでした。
落差約107m潤満滝
ついでに久しぶりに、草津白根山の湯釜も覗いてきました。霧が巻いていてほとんど見えませんでした。ほのかにコバルトブルーの色がわかるでしょうか。
お盆のちょっと前にお墓の掃除に行きました。家の墓地は、山の中腹を少し平坦に均して築造されています。おおよそ30坪程度の広さかと思います。一軒の墓地としては広すぎます。大変なのは斜面の草刈りで、足を踏ん張って刈るので、相当な体力が必要です。
昔、寺のあったところなので、僧侶の墓、無縫塔がいくつもあります。また古い六地蔵や観音様等もあります。お地蔵さんは首が転げ落ちてしまっていて、何年か前に接着剤で修理しました。また先祖の墓以外の無縁の墓もいくつかあります。ほとんどは仏式なのですが、一番古い先祖の墓だけは神葬です。これは私の曽祖父が神主をしていたためだと思います。
いずれにしても、こんな広い墓は管理が大変だといつも思う次第です。一応綺麗にして盆を迎える事が出来ました。
長篠の戦いに負けた武田勝頼は、天目山近くで自刀しました。その後、徳川家康は勝頼と殉死した家臣を弔うために景徳院を建立させたそうです。長篠戦後、勝頼に味方した田峰菅沼家、長篠菅沼家も没落してしまいました。勝頼公250年忌の文書が家にありました。これも何かを写したもののようです。
忙しく過ごしていると、たまにはのんびり谷川の清流でも眺めたくなります。時の流れと同じで絶えることなくずっと昔から続いていますね。
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