土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

「環状線の虹」(五・六)

2011-12-21 02:28:14 | 短編小説(創作)
「あー、やっと出たっ! 良かった!」
「こっちもすぐ、かけたんだけど全然繋がらなくってさ、大丈夫だった?」
「全然! 全然!」
「何? え、何?」

 母は、お使いから帰ってきたばかりの時だった、と言っていた。立っていたのですぐには気づかなかったらしく、それも荷物を下ろして頭を上げた、その時に来たものだから、自分が、かと最初思ったらしい。すぐに立ってられない程の揺れになったから、そのまま玄関で下駄箱に掴まった、というか押さえたのだろうけど。とにかく、右に左に振られる凄まじい揺れの中で、靴の箱がバタバタと上から落ちてきたことしか覚えていない。興奮覚めやらぬ勢いで、そう話した。
 電話が繋がったのは退社前の、午後四時半頃だったろうか。四時間以上前に聞いた、同じ話をまた聞かされている。都合二度……三度、繰り返してしまうのも無理はない。「バスで帰る」と連絡が入った父は、まだ帰っておらず。弟は、仕事の関係で今日から家を空けている。今の今まで、同調してくれる、話を聞いてくれる相手が傍に居なかったのだから。
「何か倒れる音がして食器の割れる音が聞こえてたから、揺れが治まってから、恐る恐る見に行ったじゃない。そしたら、冷蔵庫横のスリム棚が向かいの吊り戸棚に突っ伏してるのよ! もう流しの中も外も割れたものだらけで、ほんと、ぞっとしたわ」
「やっぱり上の階の方が揺れるよね。会社は、ここまで酷くなかった」
 台所の端っこに置かれたポリバケツ二杯分の残骸を見てそう言った、私の声のトーンが母の気に障ったらしい。
「あんたは見てないから解らないでしょうけど、ほんっと、大変だったのよ!」
「解ってるって」
 あれからずっと、テレビは休み無くニュースを流し続けている。余りにも大きな被害を目の当たりにしてるから、大したことが無くて良かったと思ってしまうだけだ。
「酷いよね……」
「恐いわよ、恐いわよね。お気の毒に。あ、またっ!」
「やばっ! 家、大丈夫かな」
「もうそろそろ、お父さんも帰ってくるだろうし。いいわよ、あんたもう帰っても」
「じゃあまた。ご飯、サンキュ」
 住まいは御茶ノ水駅に近い駿河台というところに有って、実家とは目と鼻の先で大した距離ではないのだが。一〇キロ歩いてきた足には、この坂は堪える。遠回りでも、明大通りを、選べば良かった。なにせこれは、坂とは名ばかりの、急勾配の、階段なのだから。今頃気がついても後の祭。膝から下がガチガチになった足を引きずって、這々の体で、私は部屋に辿り着いた。上がってきたがらない場所を、わざわざ選んだのだから仕方無い。それに何よりここは、昔よく遊んだ友達の家が、と言っても子供の頃の話でとうにビルになってしまったが、ブランコが置いてあった立派な広い庭の有った、昔からのお気に入りの高台なのだ。
 エレベーターから降りて、息を整える。ゆっくりとノブを回し、ドアをそおっと引いてみる。さっきの、母のようなことも有りうる。薄く拡げた隙間から、中をうかがう。
「空き巣に入られたみたいだった」。先に帰り着いた友人からのメールには、そう書かれていた。そっとうかがっている、自分の後ろ姿が目に浮かんだ。
 廊下から射し入る光で見る限り、取り立てて変わった様子は見られない。大丈夫か。一息ついて、電気を点ける。玄関の明りが奥のリビングに突き当たる。
 さすがに、生まれてこのかた経験したことの無い、あのもの凄い揺れで何事も無くとはいかなかった。
 丸椅子が転がってる。文庫本が散らばっている。鉢が落ちてる。中身がこぼれている。クロスごと振り落とされたのか、間仕切りに置いたキャビネットの上に乗せてあった、植木鉢と、マグが床に投げ出されている。白い陶器の鉢は、土を抱えたまま二つに割れていた。
 ようやく蔓が枝垂れて形になってきたところだったのに。まるで、糸が切れて弾けた、グリンピース。
 一つ、二つ。拾った粒を中に入れようと、傍に転がるマグを拾い上げる。フランスのアンティーク雑器のような雰囲気を持つこのマグは、白い釉から引き上げる際に出来るムラを、そのまま残した塗りの不均一さが魅力で私は買い続けている。
 今度は平気、だったのか? 石膏像のような肌の下に灰茶の地が数ミリ覗く、これは、買って幾日も経たないうちにうっかり縁を欠いてしまい、落胆のあまりに捨てられなかった、如雨露がわりに使っていたものだった。
 そうだ。水が少し、残っていた筈。水は、どこに行った? 
 水は本が吸い上げていた。図録でなかったのが、せめてもの慰めか。刷を重ねている画集なら、また買い直すことも容易だ。わずかに小口が波打つ『DE CHIRICO』を見て、私は溜め息をついた。
 あの秋の、六年前の展覧会の図録の重さには、この三二二ページ、急遽行けなくなった友人の分、合わせて六四四ページの道すがらには閉口した。その厚さ故にフラップには収まらず、ディスプレイ出来なかったのだが。一体何が禍い、幸いするか解らないものだと、引っ張り出した図録を返しながらつくづく思った。
 そういう訳で下ろしていたフラップ扉のおかげで、仕舞ってあった本は無事だった。本は重い。キャビネットがずれないのも道理というものだ。窓際に転がった、丸椅子と見比べながら私は考えた。
 壁を背にして置いてあった椅子は、ずれて有らぬ方を向いていた。その椅子を元通り壁に寄せて、丸椅子を間に戻す。木製の椅子の円い輪郭にかすかな、へこみが出来ている。よくよく見ると、焦げ茶の地に肌色のすじが、脚の付け根にひびが一本入っている。テーブルとして使ってる分には支障ない、もう踏み台の役は担えないけど。定位置に並んだ椅子を見て、かぶりを振った。
 口を開けたダンボールのような座面に、スチールパイプの四本脚。このモスグリーンとダークブラウンの二脚のウレタン製のチェアは、地元の、とあるビルのラウンジに同じものが置かれている。そこに併設されているカフェを利用したのは、この椅子に一目惚れしたためだったのだが。いざ座ってみると、このエッジの効いた外見からは予想出来なかった、しっくりとした座り心地の良さに、いよいよ私は心酔してしまった。そして、何回か通ったのち、その素性を聞き出すにまで至ったのだった。
 業務用とはいえ今はネットで手に入るものも多い。椅子としては、けして安い部類ではなかったが、これだけは、とオーダーを入れてしまった。
 値段にかかわらず、自分にはこだわりの、思い入れの有るものが多過ぎる。椅子も、マグカップも、本も画も、緑も……
 代わりの無い、多くの……
「博多人形が、こなごなに割れちゃって」。そうだ、忘れてた! 人形は? 玄関には何も落ちてなかった筈。
 ガラスケースは引っ掛かっていた。シューズボックスの上段と下段の間のスペースに、いかにも無理矢理押し込まれていた格好の、母が「お土産」とよこした博多人形は、ずれてそっぽを向いていた。倒れてガラスに寄りかかってはいるものの、どこも、欠けた様子は無いようだ。
「念」だな。
 九州なら、他にも何かしら有るだろうに、自分の趣味で同じものをよこすとは。「可愛かったから」と、言い切る母に考えた跡は見られない。かといって突き返す訳にもいかないから、一番差し障りのない玄関に置いてあったのだが、狭過ぎて動きようがなかったとは。何が幸いするか解らない。良かった。
「明後日、持って行くよ」、私は早速電話をかけた。それを聞いて喜ぶ声に、少し胸が痛むのを感じながら。比べようのない、多くを、失った人達のことを思い起こした。

  ◯

「牛乳はデカイの四本も有れば充分だろ。ヨーグルトは適当だから見て」
「重かったでしょ、買い占めるような真似させて悪かったわね」
「別に向こうは普通に売ってるよ」
「おかえり」
「来てた? ほい、明太子」
 よしよし、お前は解ってる。
「サンキュー。次は伊万里、古伊万里だな」
「なの、無理だって!」
 解ってないな。今のは、お前にじゃないんだな。
「親父は?」
「風呂」
「そっか。なんかさ、あまり変わってないよな、この家。『倒れた』って言ったって、別に壊れてないしさ、中身がスッカスッカなだけで」
「何言ってんの! 床一面ガラスの海のままじゃ暮らせないでしょ!」
 床一面? 流しの中と……外。まあ、そうか。
「俺の部屋は大丈夫だったんだろ? やっぱさ、突っ張り棒だよ、突っ張り棒!」
「……。見に行ってごらんなさいな」
「平気だったんだ?」
「……棚は、ね」
「ふーん。あ、なんか、変な声上げてるぞ」

 弟のフィギュアは無事だった。盛大に倒れていたようだから傷の一つや二つは付いたのかもしれないが、それでも母の「思い出」よりはマシだろう。
 それにしても、その博多人形を渡した時の、あの表情は何だろう。電話口では泣きそうなくらいの勢いだったのに、思っていた程嬉しそうじゃなかったような。
 同じ、とは言っても、やはり手元に置いてあったものとは愛着が違うか。人形は、そういうものらしいし。
「同じものを持っていて、見て思い出して欲しかったんじゃないの? 家、出たからさ。解ってないな」
 そういうもの? と、尋ねた私に弟は答えた。その言葉は、もしかしたら、母の代弁だけではなかったのかもしれないが、私は気づかないふりをした。
「人形、で? せめて茶碗とか、実用品にして欲しいな」
「だよな」
 互いに、顔は画面に向けたままで私達は話していた。キッチンに聞こえないよう、にしては、必要以上に小さな声だったかもしれない。掻き消すように、弟が話を継いだ。
「明日行ったら、凄いことになってたりして」
「な訳、会社に人居るんだし」
「そうかな。俺、力仕事には自信有るじゃん。残しといて……ないかな」

 その時は、何を台風が来る前の子供みたいな、変なことを、外で言うなよ、と思ったのだが。それ程考え無しな奴でないのは解っていたから、うるさいことを言うのはよした。その後、七日と、奇しくもひと月後にあたる同じ十一日に起こった、大きな揺れを経験するに至って弟の変なテンションはやんだ。十一日には即座に電話をかけてきた。
「七日の夜のもデカかったけど、今のは、もっと凄かったからさ。大丈夫か?」
「前の程じゃないからね。前の揺れは、もっと凄かった」
「……有りえない」
 一人だけ東京に居なかったことが、妙な空回りの原因だろうとは想像していたが。自分だけが知らないことで、共有する言葉を得られなかったことが、傷になっていたのかもしれないと、後で思った。
 余計なことを言わなくて良かったと、本当に思った。


※脚注。(五)『DE CHIRICO』 デ・キリコ。

※2015.3.11。(六)冒頭三行書き足し。
※2015.4.20。(五)部分改稿。