虎(黄にゃんこ)と馬と猫

競馬とタイガースと時たまねこのお話

「ルールはルール」~浅田真央

2005-12-19 20:20:11 | Weblog
懲りずに続けるぞ。

ざっと見た各種ブログなどの半分ぐらいで見られるのが
「ルールはルール」
これは一面の真実ではあるが全てではない。

少なくとも「ルールの正否、妥当性」の論議を封じるセリフではない。

例えば刑法が、後から改正されて、それ以前の事件に遡って適用される……なんつーのは当然駄目だ。

しかし、そもそも今回のルールがある時点で新たに作られたものであるのと同じように、スポーツのルールの考え直しは日常茶飯事である。
不都合と思えば変えようとするのは当然。これはなにもスポーツに限らず、上に挙げた刑法その他だって、どんどん変えるor変えるための論議はされていいのである。
それを「ルールはルール」の一言で納得して引き下がるのも、相手の言葉を封じようとするのも、間違いだ。

塩野七生の「ローマ人の物語」でも……脱線が長くなるからヤメ。


そして、ちょいと話がぶっとぶが、今回の件には国際スケート連盟にも2つの弱みがある。
ひとつは五輪に出さないのならば、どうして他の国際大会などにも出場を禁止しないのか。夕方のニュースの特集を見ていたら、浅田真央は12歳で日本選手権に出て7位に入っていると言うではないか。
もうひとつはちょいと下世話な話で、商業的な問題。五輪の運営としても、スケート連盟としても、客を呼べるスターは欲しいはずなのである。

僕からすると、国際スケート連盟から「異議申し立てしてよ」というメッセージぷんぷんな気がするんですけどね?
むしろ日本国内的な理由で動きたくないんでしょうか。

フィギュア・スケートの年齢制限~浅田真央続き

2005-12-19 20:06:56 | Weblog
[ちびた]

やはり、この問題は反響が大きいようで、うちのような弱小ブログにも続々とトラックバックがされてくる。
その中で、こちらのブログを読んで書き漏らしに気がついた。
SEABLOGスポーツ

日本スケート連盟が特例申し立てをしない「理由」である。
「浅田真央は次の次の五輪のための強化選手で、トリノのために強化してきた選手のモチベーションが云々」
ただの、事なかれ主義である。

普通の家庭で、「今回はお姉ちゃんに譲ってあげて」と親が言うこともあるだろう。それだって、子供の短い人生にとっては、大事件である。
それが、実力が問われるはずのスポーツの世界で聞かれるセリフとは!?

「特別扱い」というのは、実力が劣るとか、あらかじめ規定されていたポイントに届いていないのに、枠にねじ込むようなことを言うのであって、力のあるものを排除する時に言う言葉ではない。
乗馬の選手が、仲裁機関に異議申し立てしたことがあったが、あれも事前の規定からするとおかしいのではないか? 「選考基準が正しく適用されていないのではないか?」という論旨であったはずだ。
新聞に載っていた代表選考ポイントでも堂々のトップ。それも最近2試合でトップトップの合計というもので文句のないもの。
女子ゴルフの宮里藍や諸見里しのぶが3試合程度でシード権を確定したことにも負けない偉業だ。(シード権は何十人もいるが、試合数も多いので単純比較は危険)

アスリートとして、今回の安藤や中野や村主たち五輪候補当人たちが、浅田が選ばれたことに抗議するなどと考えているのか?
個人的な嫉妬はともかく、負けておいて文句を言うなど、自らを貶めるような行為を?
選手の名を借りて、言い訳の材料とする協会こそが、選手を馬鹿にし、貶めているとは考えられないのか?

穿って考えるとすれば、どこかの選手の背後の有力者が暗躍……ということもないではないが、いずれにせよ、政治的な思考・問題であって、スポーツの実力主義とはかけ離れた問題。


そもそも「強化選手」とは、「五輪に出してあげるために強化する」のではなく、「五輪で好成績を挙げられるように強化する」というもの。あくまでギブアンドテイク。力及ばず五輪に出られなかった選手が、文句を言う筋合いでないのは当然。
どう考えても協会の物言いは、訳が分からない。

アメリカ大統領演説

2005-12-19 11:20:51 | Weblog
ちょっと気になって出かけるのが遅れた。

最後の締めは「善が勝って悪が滅び、世界に平和が満ちる」そうだ。

中身と根拠は非常に薄弱。
さすがは小泉のお友達である。

フィギュア・スケートの年齢制限~浅田真央

2005-12-19 09:40:47 | Weblog
[コリコリコリコリ]

フィギュアの世界に年齢制限があることは、今回初めて知った。まともに見ていたのは伊藤みどりや八木沼純子の時代だったから当然か。
浅田真央も、たまたまフランス大会が目に留まっただけだ。

で、その制度だが愚かとしか言えない。
個別の問題、彼女がオリンピックに出られないから、というだけではない。

スポーツは「その時だけという瞬間」にこそ価値がある、ということが一つ。
プロ野球より高校野球、リーグ戦よりトーナメント。
見ている側にも、より緊迫感を強い、勝者と敗者のコントラストを深め、より感動を高めるのは、言うまでもなく後者。
来年行われるという野球のワールドカップに関しても「投手の球数制限」という、《今、この時に全てを燃焼する》という状況にほど遠いルールが課されるそうだ。興醒めである。

特にフィギュア・スケートのような特殊な採点競技では、確かに年を経て体力や技術が上がるところだってあるだろうが、15歳の時にしか表現できないもの、19歳になって失われるものも、確実にあるのだから。
それに浅田真央だって、四年後無事か、故障していないか? なんてことは誰にも分からない。例え無事でも、背が伸びてバランスが崩れているかもしれない、なにかの拍子に太ってしまっているかも知れない。
「今度がんばりなさい」なんてのは、人生全般についてもそうだが、「今、この時」の燃焼に価値のあるスポーツに対して、失礼とさえ言える言葉だ。

「今、この時」という問題は、出られない浅田真央だけでなく、「浅田真央が出ていれば」という《仮定》の問題に追いかけられる出場選手に対しても不幸である。


もう一つの「愚か」は「科学的根拠」という欺瞞。
若くして頂点に上り詰め消えていった選手がいたことは確かであろう。
ただ、それは体力がないのに無理をしたから、消えたのだろうか?
単純に「可憐さ」を武器にしたことにより、ピークがその年齢だっただけではなかろうか?
「科学的」と言うならば、対照実験に相当するデータがちゃんとあるのだろうか?
結局、大会には「出さなく」ても、若年選手の強化を続けているのならば、世間の見えないところに隠して批判を逃れるだけ、自己満足に過ぎないのではないのだろうか?

失笑モノ、としか言えない。

ただ、ひとつ願うのは、浅田真央が四年間のさまざまなことを乗り越えて、全てを杞憂に変えてくれることだけ、である。