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土星の輪っかⅡ

ΦΦΦ 団子に串もオツなものⅡ ΦΦΦ

どうしろっていうんかい!?

2025年01月06日 20時55分12秒 | 身内ばなし
母のマンションのNTT東の電話に続き
母のdocomoの携帯も 解約することにしました

昨今のことだから これもネットでできるのかな?と
パソコンでdocomoのサイトに行って あれやこれや

母のdアカウントなどは 私が管理してるので
本人ですよ~ということにして 手続きを進めることができました

できました そう 解約はできたのです
ただ 
NTT東の解約に比べると わかりにくくて 苦労した。。。


その中で

解約しましたという書類を 文書で送るか それとも WEBで見るのでいいか?
という選択があって

紙でもらったほうが 今までの書類と一緒にできて はっきりするよね
と 思って そっちにチェックを入れておいたのだけど
よくよく文面を見ると ‘解約申し込み‘?になってる

これは 紙の申込書を送ってもらってそれを返送するとか で
遅くはなるし 手間がかかるのかも と 思いなおし
‘WEBで見ます‘のほうに チェックを入れなおしたのでした


その後 手続きは 順調?に進み
母の携帯は そのとき瞬時!に 解約され 使えなくなりました
(こういうところ なんだかなぁ と ちょっと思うんだよね
 NTTのほうは 解約申し込みしても 3日くらい余裕があったのに)


さてさて 

ともかくも そういうわけで 携帯電話の解約は無事にできました

あとは 
WEBで見ますとした 解約申し込みの書類を ダウンロードしておきましょうか
と 送られてきたメールを見て そこに載ってるURLをクリック

当然 docomoのサイトに行くので
dアカウントと パスワードを入れて・・・ と 進めたら


あれれ? ああ そうか

docomoは 2段階認証の形式なので 
このあと ショートメッセージに送られてくる確認の番号を入れないといけない

ところが

もう 瞬時に解約されて 電話番号は無効になっているもんだから
ショートメッセージが届かない

新しい連絡番号を設定しろ というので 
ならば そうしましょう と 設定画面に行こうとしたら
これまた 2段階認証が必要で 入れない


4、5回これを繰り返して もう 疲れました。。。

あの~~~~~!!
どうしろっていうわけ??!!(怒!怒!怒!)
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NTT解約

2024年12月23日 20時52分03秒 | 身内ばなし
母のマンションには NTT東の電話がひいてあります
厚木に来ることになったときに 新規に契約したもの

母がグループホームに入ることになったとき
普段は ここには人はいないんだけど
でも 親戚などから 何かの連絡が来るかもしれないからと
そのままにして 毎月 電話料金を払っていたのです

ところが

今から考えると もう一年以上は経つかもしれないんだけど

セールス電話などでも とりあえず着信がありましたのランプが点くのに
‘最近は セールス電話さえかかってこないんだなぁ‘と 変な安心をしていたらば

なんとなんと 電話そのものが 通じてませんでした!

受話器を持ち上げると 
通話できるなら ツーー!と音がするはずが しない
電化製品ではあるので そういう ジャーという音がするだけ


むむむ? いったい どこが原因なんだ?

電話機本体か それとも 電話の回線か 配線か


ということで いくつかテストしてみる

まず 私の携帯からこの家にかけてみたら 
ちゃんと呼び出し中の音がする → 原因は回線ではない


次に 電話機をとりはずし 我が家に持ってきて
我が家の回線でつないでみると ちゃんと動く! → 電話機ではない

とすると 残るは 配線のトラブル。。。


そういえば 新規契約したときに
『建物が古いので 中の電話配線も傷んでいるかもしれません』
と 言われたのを思い出しました(そのときのノートにメモしてた)
だけど 試しにつないでみたら使えたので そのまま使ってたんだよね

それが 今回 まさにその現象になっているのかもしれない

さて どうする?

母も ここで電話をかけるような生活には戻らないだろう と思うし
私たちは 携帯で電話すれば それで充分だろうし
誰も住んでない家で わざわざ検査や工事をしてもらう必要もないしね
もし この先 固定電話が必要になったら そのときに工事なりしてもらいましょう

と いろいろ理由を固めて 

もう ここのNTT東の電話は 解約することにしました


ただ・・・ 
契約者は母になってるし 
最近では 本人でないとどうのこうのと うるさいからなぁ 
と それが少々心配だけど 
とりあえず ネットで NTT東の解約のページに行ってみたらば

解約のところ 
契約者本人ではなくても 家族が解約の申し込みができる
というふうな形式になっていて ホッ!

あれやこれや いろいろ入力し 最後に「解約申し込み」をポン!

30分ほどで 解約手続きが完了しましたと メールが来ました


ふ~ん 最近は こんな簡単に解約ができてしまうんだ
と ちょっと びっくり

ともあれ これで 厚木での母の電話番号は 
「この番号は 現在使われておりません」 になりました

まあ ここに電話をかけてきた人ってのは ほとんどいなかったし
これはこれで 自然なことなのでしょう
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アルバム整理

2024年12月12日 21時30分37秒 | 身内ばなし
折尾から持ってきた母のアルバムたち

私ひとりでは判断がつきかねるものも多いので
妹たちと3人一緒に集まって 整理すること これで3回目(?4回?)
いちおう 目標の形にはなりました

20冊以上あったアルバムから 
 母の棺に一緒にいれる つまり 母にお供する写真
 これは ちょっと要らないなぁという 焼却する写真
また 
 お供はするけれど その前に ミニアルバムにして母にみせようという写真
それに 
 これは(各自が)もらって帰りたいという お持ち帰りする写真

一冊ずつ 中身を見ながら 仕分けしていったのでした



右の 茶色の袋は 古新聞の回収袋くらいの大きさ
これの2つ分が 焼却のもの

左が お供するもので
父の古いアルバムや 女学校?の卒業アルバムなどは そのままお供
横の袋 半分ちょっとの高さまで埋まっているのが お供する写真たち


やれやれ これで ひと安心(!?)


残っているのは 写真をはずしたアルバムたち
このあと 表紙と 中の台紙に分けて(留め金も分別)
資源回収や 燃えるごみに出してしまいます

アルバムの冊数が少ないのは 
妹たちが このままもらっていくわ と アルバムごと持っていったのがあるから


この新幹線の表紙のアルバムは 
やはり 博多開業のときの記念品のようです
だけど もう 台紙も茶色になって バラバラと取れてしまうほど
なので 記念に表紙の写真だけ撮っておきました

この頃の新幹線は ほんとに 花形だったな
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爪切り

2024年12月04日 19時27分34秒 | 身内ばなし

photo 亀谷進「ゆかいな野菜たち」から
『 山は初雪だ!いそげゴボウログハウスづくり 』
写真は 記事とは 関係ありません


先日 母の面会に行ったらば 手の爪が伸びてる

たいていは スタッフさんが手入れをしてくれてるんだと思うけど
きっと 忙しかったんでしょうね

ベッドから車椅子への移乗とか そういうのは スタッフさんにお任せするけど
爪を切るくらいは 私でもいいよね と思い 爪切りを借りたのでした

で 車椅子に座っている母の手を取って 一本ずつ爪を切っていたのだけど


そういえば ずいぶん昔 もう大学生ではあったのだが
大学の友達の実家に 行ったとき

そこの おばあさん(友人のおばあちゃん)が
「爪をきってあげましょう」と 私の手をとって 一本ずつ切ってくれたのでした

私の爪が 見るにしのびないくらい伸びていた とか 
そういうことではない のだと思うんだけど

そのとき 切ってもらったのが とっても気持ちよかったのでした


なので 今回も 母の爪を切ってあげよう なんて思ったのだけど

ところが
人の爪って 自分で爪を切るときとは 反対向きでしょ?
それが なんとも やりにくい
どうにかすると 関係ないところまで切ったり 深爪したりしそう

なので 
どうしたって 何ミリか残して おそるおそる切るしかできませんでした(笑)

人の爪を切るって むつかしいなぁ


ところで
そのときに 手に取った(かなり伸びてた)母の爪

さくら貝みたいに 透明で ピンクで とってもきれい

‘あれ? お母さんの手ってこんなだったっけ?‘と 思ったほど


そうか。。。
ここのグループホームに入居した当時は
お皿洗いをしたり あれやこれや 家事に参加していたと聞いていたけど
今は もう やってもらうばかりなのかもしれないね
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Google Pixel

2024年11月13日 20時09分28秒 | 身内ばなし
今日は 下の妹が面会に来たので
先日と同じように 母を 車椅子で散歩に連れだしました

午前中だったので ほんとにおだやかな晴れで
しばし 外でひなたぼっこ

帰ると スタッフさんが 「とっても 気持ちよさそうな顔をしてますね」
と言ってたから
やっぱり 外に出るのは 気分も晴れて いいことなんだと思う


ところで

そのひなたぼっこしているときに 妹がスマホで写真を撮ったのです

で それが びっくり!!

せっかくなら3人で写っている写真を撮りたいわけだけど
近くには 他のひとは誰もいない
でも ぜんぜん ノープロブレム!

最初に 2人(母と私)が並んだ写真を撮ったら
そのあと 次に 私がスマホのシャッターを押すんだけど
画面には さっきの 母と私がそのまま写っていて
そこに 横に妹が立っている風な画像になっているわけ
で それでオッケーとシャッターボタンを押すと
なんと 3人で写った写真になりました

え~~~~!

これじゃあ いついつに誰と一緒に居ましたよ とか
アリバイ写真が いくらでも作れてしまうじゃないか!

そのあと 写真に写っていた 背景のジャマなものなども除去して

はい! きれいで楽しそうな3人の写真ができあがり


Google Pixel おそるべし!
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散歩

2024年11月01日 19時58分58秒 | 身内ばなし
母のグループホームも 自室での面会だけでなく
散歩に出るのもできるようになりました

とはいえ 
この散歩の場合は スタッフなどは同行せず 責任も持ちませんよ
とのただし書きつき ですけどね

ともあれ 
ここに入所してから 病院に受診などが数回はあったものの
もう ずっと閉じこもりって感じだからね


散歩がオッケーとなったんだから
お天気がいい日には 少し 外に連れ出したいなぁ と 思っていたのです

ただ このところ 母は歩行があぶなくて 
部屋から 真ん中のリビングに移動したり 戻ったりも 車椅子使用
ともかく 移動は 車椅子 
とすると 散歩に連れ出すといっても 車椅子を押してだなぁ と

それで スタッフさんに相談すると
『部屋で移動に使っている車椅子で そのまま外に出てもいいですよ』
とは 言ってくれたのだけど
まがりなりにも 玄関のあるお家形式の建物だもんね
やっぱり それでは いろいろと申し訳ない

そうしたら

厚木市が ‘車椅子の貸し出しをしてくれる‘ と 
何かの紙に書いてあったのを思いだし
それで 福祉センターまで行ってみました 

らば 


その日のうちに さっと 貸してくれたのです
写真の 奥に見えているのが 総合福祉センターの建物

それも 2ヶ月間 貸しておいてくれるんですって
で べつに 年に何日とか制限もなく
また 借りたかったら 書類を書けばいい とのこと

立派なしっかりした車椅子で 
こんなの 個人ではきっと買わないよ 


たたんで 我が家の車のトランクにも入りました
( 介護者が押すハンドルの部分も中に折りたためるので 小さくなる)


よし これを持っていって 散歩に連れ出そう♪

その日 午後に 妹が面会に来ることになっていたので
かくかくしかじかと 報告し
一緒に 外に散歩に出ることにしました

外に出るといっても 近場で歩いて回るだけ なんだけど
ひさびさに違う景色を見たと 思うんだが
さて 母は どうだったんでしょうね

車椅子 まだ ずっと借りてあるから
また 散歩に行こうね 
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現地集合

2024年10月04日 19時45分42秒 | 身内ばなし
先日 漫画家の伊藤理佐さんが 朝日新聞の土曜日のコラムで
 飲み会でも旅行でも (その場所に着くまでは)
 一人で行きたい 一人で帰りたい
 (現地集合現地解散を提案したら お仲間にドン引きされたらしい)
と書いてましたが・・・・ 


再来週あたり また 北九州の家に 片づけに行こうと思ってます
今度は 妹2(千葉在住のほう)が 言い出しっぺで
‘一人じゃ大変だから 私も行こうか‘ ってことにしたわけですが

この妹2は 一人で行きたい派!

この(道中は)一人で行きたい ってのは 私も気持ちはわかるから
それでいいよ~ ってことにしました

ただ
この妹は 乗り物ってのは ただの足である という派なんだよね

「途中 (ひかりからさくらへの)乗り換えの新大阪でたこ焼き食べるよ」
と言っても
「いや 私は のぞみで ロス時間なく ツーーーっと行きたい!」

ということで 折尾の家に現地集合 ということになりました

前回 一緒に行った 妹1(横浜在住)は
‘え~~!? 一人で行くなんて いやだ‘ というほうだから

姉妹でも ほんとに違います
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FAMILY HISTORY

2024年07月17日 21時47分06秒 | 身内ばなし
妹が折尾の家から送ってきた 母のアルバム20冊余り

中身は 私たち家族と一緒の写真とか
自分が誘われて行った旅行の写真とか
毎年行われている自分の同窓会の写真とか 
いろんなのが いっぱい貼ってあります

その中で 母の棺に入れてあげようというものを ピックアップしておこうと
妹たち2人も集まって3人で アルバム整理大会を行ったのでありました

だけど ぜんぜん 終わらなくてね
今までに 3人集まるのを3回やったけど まだまだです

ともあれ 棺にお供する写真をピックアップだけできれば
あとは ゆっくりでいいから とにかく 頑張ってたんですが

そのうちに 

棺に入れるだけじゃなく
まだ元気な母に 昔の写真を小さいアルバムにして持っていこう!
という話になり 厳選10枚を選ぶことになりました

それで 
古い古い 紙もボロボロなアルバムも そお~っと封を開けてみたらば


父の結婚前のアルバム
父は出征しているので そのときの様子かなぁ


こっちは たぶん 国鉄に入社したときのものだと思う
それっぽい制服を着てるし


わ~~! あったよあったよ♪
母と父の 結婚式の記念写真
かぶせてある和紙の薄紙が もう しみだらけの茶色になってます


これの他にも
まるで映画俳優だねというような 気取ったポーズの父とか
文学少女だったという 本を読んでいるのを撮ったお嬢さんの母とか
当時流行ったとはいえ サザエさんのようなパーマ頭の母とか
もちろん
母の年代の人は 写真に写っている姿がとってもきれいです
昭和初期の女優さんがきれいな あんな感じの写真がたくさん

かすかに記憶にある 父方のおばあちゃんのお葬式の写真とか
 (昔は お葬式のときに 全員での記念写真を撮っていたようだ)
ぜんぜん元気な 若々しい父や母とか 叔父とか叔母とか

母方のおばあちゃんは 3人とも すぐにわかるけれど
おじいちゃんは 私はわかるけど 下の妹は記憶があいまい とか


セピア色になった古い写真
これって 我が家のファミリーヒストリーだね と 
誰ともなく言い出したのでありました
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面会制限緩和

2024年07月16日 17時15分06秒 | 身内ばなし

photo 亀谷進「ゆかいな野菜たち」から
『 音色もさわやかピーマン風鈴 』
写真は 記事とは 関係ありません


母のいるグループホーム 
やっと 面会制限を少し緩和してくれることになりました

といっても コロナ禍以前に比べたら ほんの少しだけですけど

なにせ 入所したときから 玄関より中には入れなかったからね

面会も 玄関でだったし 
5分間 とか (実際にはもっとしゃべってたけど)

それが 自室での面会に変更になる というので
さっそく 行ってきました


スタッフさんに連れられて おじゃましま~すと玄関を上がり 階段を2階へ

木質な感じの手すりや 壁など
想像していたよりも「家」な雰囲気で ちょっとホッ

部屋に入ると ベッドに母が待っていました
‘ごゆっくり~‘と スタッフさんもいなくなり
ほんとに 久々に じっくりと 母と対面


厚木のマンションに来たのは 5年前
あの頃は まだ 元気で
新宿の都庁にオリンピックの聖火とメダルを見に行ったりもしたし(4時間並んだ)
平塚の七夕まつりにも行ったし
折尾の家にも 2回も 戻ったりしたんだけど

ほんとに 大昔のことのような気がする

それでも 写真を見ながら これはどこ この人はだれ と話をしながら 
しばし 時を過ごしていたのでありました

ここのグループホームに入ってからは もう すでに2年以上
その間に どんどん小さくなってしまったような気がするけれど
それでも ときおり ふっと 昔の母を見せることがあって
それをしみじみ感じながら 
私は 今までと同じ風にふるまうのでありました


母と一緒に暮らしている他の方々とは 軽く挨拶はした程度
でも 
母も含めて ああいう老人を 
毎日の生活の面倒をみてくれているスタッフさんたちには
ほんとに 頭が下がるな~と あらためて思ったのでありました

お世話かけますが どうぞ これからもよろしく
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母のアルバム

2024年05月15日 11時54分57秒 | 身内ばなし

先般 妹が折尾の家からこちらに送ってきた 母のアルバム

ほんとに古いものは 別にして
これは 私たち家族の歴史みたいなアルバム

ここから 母が亡くなったときに棺に入れてあげる写真をピックアップしておこう という計画です

中を ぱらぱらとめくると ほんとに懐かしい記憶がよみがえります
ピックアップして 残りは別途処分する予定だけど

その前に 妹たちに連絡して
ピックアップするものを選んでもらうことと 
これはもらって帰りたい ってものがあるだろうから
そういうのを 見に来てね と 依頼しました

これだけの冊子があるから かなり 時間もかかるだろうからね
ぼちぼちでいいとは思うけど


実は まだ さらに 何冊かは折尾に残っているし
それに 厚木に来てからの写真もあるからね
まだまだ ピックアップ作業は続きます

写真の左端 新幹線の表紙のものは
たぶん
山陽新幹線が博多開業した 昭和50年(1975年)の記念品だと思うんだ
新幹線九州総局のおえらいさんのメッセージなんぞもはさんでありました

その手前のアルバムには 大阪の万博(1970年)に行ったときの写真も
このときは 当然 新幹線は走ってないしね
そうだ 寝台特急「月光」で行ったんだった と 思い出しました
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昔の記録と記憶

2024年05月12日 21時21分22秒 | 身内ばなし
GW前ですが 妹が折尾の家にいろいろ片づけに行き
そのときに あちらにある古いアルバムを送ってきました

古いアルバムといっても ほんとに いろいろ
私たちが子供のときのものから 小学校・中学校・高校と
そのときどきの写真や卒業アルバム などなど

そんなもん もらっても困るけどなぁと 思ったけれど

妹いわく
処分するにしても 折尾の家に置いてあったのでは
誰も手がつけられない
だから こっちに運んで いらないなり 保管なりすればいい と

母が 友人たちと一緒に行った旅行の写真や
父と母で行った 海外旅行の写真のアルバムとかもあるしね
たしかに ある段階でこちらに持ってきておくのがいいかも

この中から
母が亡くなったときに 棺の中に一緒に入れる写真を
今のうちから ピックアップしておくことにしましょう


妹が 我が家に送ってきたのは5箱
(我が家には置き場所もないので 母のマンションに持ってきた)
この他 妹のものは それぞれの家に送っているらしいので
送るだけでも 大変だっただろうね


ともあれ 開けてみる

古~い 母の高校(高等女学校)の卒業アルバムなんてのもある


あれ? これは? もしかして・・


私が赤ちゃんだったときのアルバムだ 
このページは 生後2ヶ月の頃だって


きゃー かわいい♪
これは 百日の祝い と書いてある
赤ちゃんって ほんと 誰でもかわいいよね

そんなこんな 中身まで見ているとぜんぜん仕事が進まないので
( この日の目的は 箱を開けて とりあえず人別に分類 )
どんどん 次の箱に進みます


と ビニール袋に入った これは?
たぶん もうボロボロなので 妹が袋に入れたんだと思うが


これ たぶん 父の若いころのアルバムだと思う

父は 母と結婚するときに「趣味は写真です」と答えたとかで
その後 母が 「ぜんぜん写真なんて撮らないじゃないか」と
非難めいて言ってたのを ふいに思い出しました
その 趣味だといってた写真のアルバムがこれじゃないかな

そのうち 見てみる?
いや これは そのまま棺に入れて 
天国の父のところまで持っていってもらうのがいいかもしれない


ともかくも 大量のアルバムが来ました
だけど 簡単に分類したところ
ほとんどは 母の 旅行やお仲間で集まったときの写真とか
そういうアルバムが多かったからね
それは また 時間を作って 写真を選んでいきましょう

さて 問題は 私の 昔のアルバムたちだなぁ
とりあえずは 家に持って帰って 押し入れにでも入れておこう
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歩行器

2023年12月23日 16時07分33秒 | 身内ばなし
母が 歩行時 ‘杖一本では かなり危なくなりました‘
と グループホームのスタッフさんからの連絡

杖じゃなく 歩行器にしたら 両手で身体を運べるし安定するはず
というので そっちの方向で話を進めていくことにしました

歩行器? とすると 街中でよく見かける手押しのシルバーカー?
私も介護用品のカタログなど見て 室内で使えるものは・・・
と いくつかピックアップしたりしてたんですが

ただ 
 室内といっても ブレーキは必要だよね?
 母が とっさに 両手でブレーキ かけられるかなぁ?
とか 考えること いろいろ

そんな中 スタッフさんから 
‘これはどうですか?‘と 薦められたのが これ


ほんとにほんとの歩行器です 
病院とか老人施設で使っているのを見たことはあるなぁ
だけど あまりにも機能的過ぎない?と思ったけど

でも 考えてみれば 
フレームだけのこういうもののほうが 使いやすいかもしれない
それに 母が動けるのは グループホームのフロアだけ だもんね

で 結局 この歩行器を 購入

最初は 機能的過ぎておしゃれ感がないよね とか思っていたけれど

いやぁ やっぱり 機能に特化しているものはすごいです

まず「軽い」! だけど 「安定」してる
この矛盾した二つが 同時に満たされるって すごいと思う

母は メカ音痴というか こういう道具類を使いこなすのが ちと苦手
だけど これなら 
自分のやりたいこと(歩いて進む)だけのために使えばいい
もちろん 幅や高さも母の身体に合わせて調整してくれてます

小さい車輪が前方で コの字型になってる空間のところに自分が入り
それで 両手で左右をつかんで使うのだけど


前輪の車輪 こんなに小さいのに よく回るのです
一方向にしか動かないから それはそれでちょっと安心

そんでもって すごいなぁと感心したのが この後ろ側の2本の脚

これ ストッパーなんですよ そんでもって 歩行もできる
と これまた 矛盾した二つを同時に解決

まだ 私も一度見ただけなので 詳しくは覚えてないんですが


止まっていた本人が動こうとすると
後ろのこの太いほうの脚が 内蔵のバネかなにかで 床から離れます
                         ( 写真の状態 )

そんでもって 動くのをやめて立ち止まると 
太いのがさっと床まで下りてきて ゴム足のストッパーになる

ほんの少し前に体重がかかると また 離れて・・・ 

と ストッパーと補助脚が 絶妙なタイミングとバランスで動くわけ


何をどうしたら こんなことができるんだろ?
と しばらく あちらで あれこれ動かして見てました

スタッフさん
「 こういう介護用品の進歩はすごいですよ 」

まったくです


後日 また 面会に行ったらば
母は もうかなり これを使いこなせるようになっているそうで

さらには 両手で持つので 身体もまっすぐに立つし
動きやすくなって あちこち移動したりして 活動が増えました と

うんうん やっぱり 簡単なのが一番だね
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解約手続き(3)

2023年11月29日 21時41分32秒 | 身内ばなし

photo 亀谷進「ゆかいな野菜たち」から  
『 ハクサイ・シェードのもとで手紙を読む夜 』
写真は 記事とは 関係ありません



妹が 母の面会に来るというので  これはグッドタイミング

書類に 先に 私と母も名前を書いてしまって 妹に渡すことにしました
そうすれば あとは もう一人に回してもらえば 簡単だもんね

ただ 問題は 母   
 ‘ 字 書けるかなぁ。。。? ‘

銀行に問い合わせたら 可能な限り 本人署名でお願いしたい と


なので 面会に行ったときに 書いてもらうことにしたんだけど

いやぁ やっぱり ちょっと 無理でした

年齢も年齢なんだけど 
それよりも
グループホームに行ってから 字を書いたりとか そういうことをやってない!

なので ペンを持つ力も弱弱しいし ひらがなは書けても漢字がふにゃふにゃ

結局
同席していたスタッフさんが手を重ねて 一緒にそれらしく書いてくれました が


母はまだ 歩けたり しゃべったりできるけど
ぜんぜん動けないひともいるわけだから
本人署名でお願いしたい なんて ムリな話だよね 

これから というか 北九州市なんて 先んじて高齢化社会なのに
銀行さんも こういうこと しっかり共通認識してくれないと困ると思うよ


さてさて そういうわけで

戸籍謄本も 請求のお手紙を出したし
妹たちに 書類も回したし

忙しかったけど これで とりあえず 私は 手配は終わらせました 
こういうのって やってないと ほんと 落ち着かないからね

やれやれ 
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解約手続き(2)

2023年11月28日 21時57分51秒 | 身内ばなし
憤慨すること 二つ目は

これは 手続きとしては 当然なんだろうけど


契約者が亡くなった父になっている という件が やっかいで

この貸金庫の契約を解約するには
まずは この貸金庫も相続人が相続し その後 その相続人たちが解約するんだそうで

相続人というのが 母と私たち子供で 4人
なので 書類にも この4人全員の署名やら実印やらが 必要


さらには 父が亡くなっているという確認が要るからと
父の 生まれてから亡くなるまでのすべての戸籍謄本 も添付の必要があるんだそうな

書類に署名とか それくらいは どうにかなるけど
父の戸籍謄本(亡くなってるので除籍謄本といいますが)とは・・・


父が亡くなって もう かれこれ20年

たしかに 当時 いろんな相続のために除籍謄本を取り寄せたのは覚えてるけど
でも それを探しだすのは 大変だぞ・・・


ということで もう 探索はあきらめて
新しく 父の故郷(本籍がここにある)の役所に 郵送請求をすることにしました

請求のためのフォーマット書類は ネットでダウンロードできたので よかったんだけど

あれれ?

ずっと 福岡県〇〇郡△町 だったのに 〇〇市になっちゃってる

「どなたの戸籍が必要ですか」の本籍の住所を書く欄に 
何と書けばいいのかわからない。。。。

まったくも~!! と あちらの市役所にお尋ねの電話


北九州銀行にも 書類の書き方などなど 数回電話したし
ここ数日は 電話ばかりしてます
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解約手続き(1)

2023年11月27日 22時23分17秒 | 身内ばなし
折尾の家の近くにある「北九州銀行折尾支店」から お手紙が来ました

ここは 母が銀行口座を持っていて 
北九州市の固定資産税とか そういうものを自動引き落としで利用しているほかに
貸金庫も一つ 契約しているのです

で いったい何?と 封を開けてみると


はにゃ?? 移転閉店??

北九州銀行は 家から駅に向かう坂道の途中にあって
私も 何度も利用してるんだけど 
その折尾支店の店舗を移転するんですと

その引っ越し先の場所は サンリブ(近くにあるスーパー)の中だ というから
なくなってしまうわけじゃないみたいだし それは よかったんだけど


モンダイは これ

その店舗内にある 貸金庫も 当然 もう使えないってことだわね
それで 貸金庫の契約を解約してくれ という お知らせ


ほらぁ!! だから 以前 言ったのに~!!


実は 母がこちら(厚木)に来てしまったから
もう あちらの貸金庫も要らないよね と 解約しようと思い
私が一人で行ったときに銀行に出向き その相談をしたのだけど

そうしたら 契約者が 亡父のままだから
まずは それを 共同利用者である母に契約者変更をしてから
その母が解約する という形式にすればいい と あちらさんと協議

なので そのための書類を送ってくれる というので 待ってたんですが
ぜんぜん 送ってこない。。。

年末で 銀行も忙しい頃だからかな と 問い合わせもしなかったんだけど
そのうちに 母が グループホームに入所してしまい

なので そのまま もう 2年ほど経過してしまったということ

こちらは 使わない金庫なんだから 早く明け渡してあげよう
なんて 思っていたのに そんななので
もう いいや 年間利用料を払っているだけにして 放っておこう 
と そのままにしておいたわけ

ところが

今回 こんな話!

だから あのとき さっさと書類を送ってくれたら 話はもう終わってたのに!!
と 憤慨すること 一つ目
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