
剛健は昔の(もしかして20年くらい前)が残ってたのでそのまま採用。准は昨日、新幹線待ってる間車の中で作ったー。

9月4日からツアーが始まって、それに合わせて、コンサートビデオを見始めたのだった。
記録をみると、どうやらその前に、ガラスペイントの試作を始めている。
最後のコンサート(10/31)に焦点を置いてたら、途中で、宮城のコンサート(10/2)までは時間がない!という事に気付いて焦り始める。ビデオみなきゃー、ガラスペイント作らなきゃー。
で、なぜか仕事中も気が急いて(V6の事考えてるわけじゃないのにね)、疲れる。で、休憩したのが9/15。
で、9/18辺りから悲しくて悲しくて、元気が出なくなる。悲しくなっちゃうからビデオ見れなくなる。今まで元気ないときはV6やカミセンの歌を聴けば元気になったのに、V6の曲を聴いても悲しくなっちゃって、数日間どーにもならなくなる。(9/18 19 21と休日が続いたのも良くなかったんだな、たぶん)
21にグッズの問い合わせもしたの。私より後にTシャツを注文した友人が届いたっていうからさ。そしたら、タンブラーも一緒に注文したが為に、発送が10月中旬になるって言われて。ペンライトとTシャツも買ったのに、宮城に間に合わないじゃーん。で、鬱々としてね。
9/22、仕事前の筋トレ中に、急に元気になる。「V6に恥ずかしくない私でいなくちゃね!」って思ってさ。「よし!がんばろ」って、気持ちを取り直した時に、聴こえてきたのが(V6聴きながら筋トレしてた)
♪君には強い君がいるよ♪
泣いちゃうでしょー。
毎日のように泣いちゃうけど、割と元気に今日まで過ごした。
Tシャツダメなら何着てこ、とか、ペンライトどうしよ?とか割り切ってね。
コンサートの準備は(ホテル取ったり、バスのチケットとったり、ペンライト準備したりね)、終わりを実感させられて悲しいよね〜。
昨日はきちんとは寝れなかった。きんちょーして。
今日も。きんちょーしてて、感傷の気持ちは出てこない。久々のコンサートな上に、デジタルチケットまだ3回目くらいだし、コロナで直通バス走ってないから、車と新幹線で行くし、長袖着ようと思ってたけど、昼は暑そうだから半袖で行って、入場前にトイレで着替えよう。とか、とにかく、うまく入場できるかどうか心配で。ケータイの充電バッチリだけど、念のため予備のスマホもって、充電バッテリーも持って。乱視コンタクト久しぶりだから、念のためメガネももって。コンタクトつけてる時の感染防止用のメガネも持って。入場まで暇だろうから本を持っていこうと思ったけど、荷物が多すぎるのでやめたりとか。
今からトイレ(着替え)→入場です。
ゲームや動画漬けの甥っ子達が心配なの。一般的にいわれている、デジタルの成長への阻害。
「でも、本当にそうかな?私がデジタル世代じゃないからそう思うだけで、新しい時代に即しているだけなのかも知れない。」と思ったのが一つと、
「もしそうだとしても、そのまま言ったところで、甥っ子達は受け入れないだろう。甥っ子達に受け入れられるような、提示の仕方はないものか」と思ったのが一つ。
「あと、物語をデジタルで読むのは、紙で読むのと違うのかな?」ってのも一つ。
そんなことを考えてた日々に、出会ったこちらの本。
紙の本の特徴は、じっくりと深く読めること。書かれている事以外にも想像を膨らませ、物事を批判的にみる考え方を身につけられる。「批判的に」って書いてあったけど、違う言葉の方がいいんじゃないかなぁ?「批判的に」となると、「否定的に」と捉えられがちだから。そうではなくて「分析的に」とか、「自分なりに考えて」とかそういう意味だと思う。それから、人に共感する力をつけられる。これは物語かな。身近でない世界に没入して、登場人物に感情移入することで、現実でも他人の気持ちを想像したり、共感する力をつけられる。
デジタルの特徴は、沢山の情報を次々と処理していく事。仕事は早いけど、自分の考えが産まれる余地がない。そしてとっても刺激的。この次々と与えられる刺激は中毒になる。注意を分散させて、次々と刺激を求めるようになる。これは、いわゆる「戦闘態勢」なんだって。
療育教室でみる子どもたちが、絵本を読んでもらうにしたって、自分から次々とページをめくっていくのはそのためか〜〜。
では、デジタルの物語はどうかというと、デジタル媒体で読むと、動画をみている時の脳の使い方で読んじゃうから、飛ばし読みになるんだって。注意散漫で頭にしっかり入っていかない。自分の読むペースより速いペースで読んじゃう。
デジタル世界に慣れていると、紙の本読む時にもその脳の使い方が適応されちゃって、紙の本も読み飛ばしちゃうんだって。だから、本を読めない子が増えている。かくいう作者も、昔読めていた本が読めなくなったと言っていて、かくいう私も、この本は理解しないまますすんで、もどってを繰り返した。わからないままのところもある。難しかったよ、この本。
これからはイヤでもデジタル世界になるのだから、これから必要なのは、脳のスイッチを切り替える能力なんだそうだ。
簡単に処理できる情報はデジタル脳でさっさと処理して、じっくり取り掛かる必要があるものは印刷してアナログ脳でゆっくり読む。
デジタル脳のまま紙の本を読まないように
、切り替えの能力を磨く。
深く考えたり、共感できたりする力は、ゆっくり読むことでしか育たないから、紙の本を読む時間はやっぱり必要なんだね。
と、ざっとこんな内容だったとおもう。
では、国語が苦手な甥っ子たちには何をどう伝えればいいのか。
「ゆっくり読んでみて」というのは伝えようと思う。私も、それは新しい知識だった。早く読めた方が優秀なんだと思ってた。もちろん、早く理解できればそれは優秀なんだろうけど。自分が理解できる早さで読むことが大切なんだね。それには、努力も時間も必要だけど、そうしなければ得られないものがあるよ。って事だ。
私にとって、本で得ることの何よりの宝は、自分の好きなように、物語の世界を広げられること。これは、ほんとーーーに、楽しい。ほんとーーーに楽しい。この楽しみを、甥っ子たちにも知ってもらいたいと思うんだけどねー。
でも、とりあえずは。
テレビやユーチューブやゲームは、たくさんの情報を一気に処理する事ができるけど、
深く考えて自分で判断したり、人の気持ちを思いやったりする力は、紙の本をゆっくり読む事でしか育てられないんだって。
紙の本を読むのが難しく感じるのは、ユーチューブを見ている時のように、一気にたくさん読もうとするからなんだって。紙の本の良いところは、ゆっくり読むことだから、ゆっくりわかるペースで読むようにしてみたらいいよ。とりあえず、1日10分だけでも、国語の教科書をゆっくり読んだらどうだろう?
こんなもんか。どうだろう、この文章を、デジタル(ライン)で送って、デジタル脳の小学4年生が理解できるだろうか???