①は書いてない。
①は先月、中ごろかな。
V6の解散から、今に至るまでの状況をお話ししてきた。
ボランティアさんは、よく聴いてくれる方で、私が、「自分が人を受け入れられてなかった事にがっかりした」事を、わかってくれたと思った。
②が今日。①の時のボラさんもいたけど、今日は別の方だった。
今日は、私がクライアントセンタードカウンセリングに出会ってから、この間まで、これだけ頑張ってきた話。先日読んだ本にあった、嫌われるタイプを例にだして、自分が当てはまる事は分かっていて、でも、その認知自体が誤っているから、その認知と共に感情も抑えて、表に出さないようにして、頑張ってきたけど、それって、頑張ってただけで、ちっとも他人を受け入れられる自分にはなっていなかった。と、いう、まあ、前回の話を具体的にしたんだけど。
今日のボラさんはあまり話を聴かない人だった。まず、よく喋る。あと、私の話の内容の解釈を間違えている。何度喋っても、また別の解釈で間違える。
きっと、この人の中に、想定している傾聴の流れみたいなのがあって、それに当てはめたいんだなーって、感じました。
あー、でも、今日の傾聴を終えて、しばらく経ってから思いついた事。
つまり、私には、向いていない、という事かも知れない。
コレだけ努力しても、そもそもしょっぱなからその人を受け入れられないんだから、理屈では分かっていてもできないんだから、そもそも、「私には向いていない」と割り切って諦める道もある。
そう割り切れば、今までどおり、努力して、でも、許容範囲が広くはないということがわかったから、無理はしないで、辛くなりそうだったら、何かをやめて、人と深く関わらずに、ほどほどに生きていく、という道もある。
ね。
踏まえておこうと思う。
傾聴・受容できる人になる事は、20年来の私の夢ではあるけれども、踏まえておこうと思う。
その上で、もう少し続けて、傾聴を受けてみよう。もしかしたら、ちがう道がみえるかも知れないじゃん。
今までのやり方ではできなかった道が開けるかも知れないじゃん。