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第249話 「看板に偽り・・・」

胃を取って3年が経過した。食べ方にも随分と慣れてきて日々結構な量を食べていると思うのに、体重は57-58㎏で一向に増えないし、腹もへこんだままだ。

病気になる前まで来ていたスーツやジャケットはことごとくぶかぶかで、皺くちゃの顔に薄くなった頭、筋だらけの首筋と相まって見るからにみっともない。

高齢の域に入ったのだからどうしようもない―と思うものの、個性ある生き方を追求している我としてはこのまま捨て置けない。で、「昔やったスーツ残っていたら返してくれ!」すると二人の弟が、「大方は投げた」と言いながらも何着か持ってきた。

よもや―と思っていたが小躍りする。

あのツイードがあったのだ。もともとはスーツだったのだが、ズボンはきつくなったので投げたと云う。この時代のツイードはもう手に入らない。多少重いもののまったく風を通さず厳寒期にもコートなんかはいらない。

何度も手を通し、洗濯を繰り返し40年を経た今も型崩れなく、正に「看板に偽りなし」。

 

思っていることとやっていること、また他人の見ているところと往々にして食い違いが生じる。それだけにビタッと合うと本当にうれしい。なかなか少ないことに想えるが…。

極端にずれていない限り、時に口で言い含めて、心のどこかでどちらかが妥協するからだろう、時間の経過とともに納得しているわけではないが大体は治まったようにみえる。これが―考える動物となった人間―の大きな特徴なのだろう。

そんなことからか、我が身を諌めるように―と先達者が様々な諺を生みだし、自信のある人は、それらをもじって○○語録なるものを世に出すのもその類と思う。

自在に・・・いやときには勝手に変化する“命=心”は、ほとんどがどんどん自分の都合のいい方に持って行く。それに大いに翻弄され、振り返ることなくいると知らないうちに歯車が外れ、とんでもない状況に陥ってしまうこともある。

その深奥はやはり『無私』が要で、いろいろ左右する発端なのかもしれない。

もう今年も残りわずか。ものすごい勢いで日々が過ぎ去る。

このままいくときっと、我が寿命もあっという間に尽きるのだろう。

この先は「中身も表も同じであること」を揺るがぬ信条としていこう―と。が、よく考えるとこれまで決意した心情が多すぎる。

どこかで整理し一本化しなければ…。

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