栃木県はが郡の

陶工のつぶやき

決断

2007-06-30 09:22:35 | 陶芸
陶芸家というものに、「幻影」を見ていないだろうか?

自分が好きなのは、趣味だからであって、プロはそんな甘いものじゃないのでは?

いや!好きなことをやって生きていけるのは、最高だぞ。

僕が出会った人たちは、たまたま成功している人たちで、挫折した人たちもいるのでは?

・・・・・

でもやりたい。
やれるところまで、やってみたい。

明確に決断がつかぬまま、でもスイッチを入れなければならない時があるものです。



両親に、益子で陶芸家の修行をしたい、と伝えました。
「それで、食べていけるのか?」

正直わかりません。
でもわからない、ともいえない。

「夢だけで、食っていけるか?」

・・・

夢を追いたい。
僕は夢を追いたい。

ともかく、なんとか両親を説得し、益子に引っ越すことにしました。

晴れた雪の中、リュックを背負って出発しました。

母親は僕の姿が見えなくなるまで、外に立っていました。

冷たい空気を吸いながら、益子に向かって歩き始めました。

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まずアパートを借りて、製陶所の門をたたきました。
最初は断られましたが、お世話になったS氏の助けもあって、なんとか入門。
始めは、はたきがけとか物を運んだりとか下働きでしたが、徐々に仕事をさせてもらえるようになりました。
夕方仕事が終わってから、夜は自由に練習が出来たので、ろくろの練習。
以外に早く、2ヶ月目くらいから、ろくろをやってみろと言われ、サンプルを渡されました。
小鉢でした。

そうして、しばらくたった時、友人が結婚することになりました。
その友人は、工房付の部屋を借りていたのです。

窯もありました。

結婚を機にここを出るというのです。

「誰か入る人いるの?」
「いや誰もいない。」
「入れるかな?」
「大家さんに、聞いてみる。」

と言うことで、めでたくそこに入れることになりました。

昼は製陶所で働き、夜や休日は自宅で作陶できる。
さらに窯で焼くことが出来る!

この窯は、角窯と言っていまではほとんど使われなくなった窯です。
益子では、「いってこい」と呼ばれていました。
火が向こうに「いって」こちらに「もどってくる」構造からそうつけられたのです。
これがなかなか、迫力のある窯でして、
「ゴーーーーー」と地鳴りがするほど炎が出る窯でした。

窯詰め、窯出しも重労働でした。

燃料は灯油。

僕は少しずつ作品を作りためていきました。


続く