神田川大曲塾の沼津研修旅行2番目の訪問先は若山牧水記念館。
沼津といえば、千本松原、その一画の瀟洒な建物に辿りつくまで一行は結構苦労したのでありました。
牧水は九州日向が生誕の地ですから沼津と直接のかかわりがあったわけではありません。酒と旅を愛した彼が愛鷹山の峰越しに眼に飛び込んでくる端麗な富士山と千本浜の
浜辺にこよなく魅かれたからにほかなりません。大正12年の関東大震災が招いたトタン屋根だらけの東京に愛想をつかしたこともあったでしょう。
それにしてもイケメンではありませんか。これは沼津兵学校に集まった明治の顔とは明らかに違います。都会的で自信に満ちた顔で、彼の詩歌の憂愁には程遠い印象を受けます。
眼の輝きはたぶん、「円熟期」にさしかかって、さらに羽ばたこうとする意欲を秘めているのでしょう。
ペンは一本、箸は2本、文士ではなかなか暮らしが立ち行かない時代に、牧水には「揮毫旅行」という奥の手があったのです。その話は次回。
沼津といえば、千本松原、その一画の瀟洒な建物に辿りつくまで一行は結構苦労したのでありました。
牧水は九州日向が生誕の地ですから沼津と直接のかかわりがあったわけではありません。酒と旅を愛した彼が愛鷹山の峰越しに眼に飛び込んでくる端麗な富士山と千本浜の
浜辺にこよなく魅かれたからにほかなりません。大正12年の関東大震災が招いたトタン屋根だらけの東京に愛想をつかしたこともあったでしょう。
それにしてもイケメンではありませんか。これは沼津兵学校に集まった明治の顔とは明らかに違います。都会的で自信に満ちた顔で、彼の詩歌の憂愁には程遠い印象を受けます。
眼の輝きはたぶん、「円熟期」にさしかかって、さらに羽ばたこうとする意欲を秘めているのでしょう。
ペンは一本、箸は2本、文士ではなかなか暮らしが立ち行かない時代に、牧水には「揮毫旅行」という奥の手があったのです。その話は次回。
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