活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

あなたは内陸の人?それとも海辺の人?

2022-03-28 17:39:58 | 活版印刷のふるさと紀行

     

私は口之津の海辺の宿が好きです。とくに、取材を終えて宿へ入る前のひととき、真っ赤な夕日の中に身を置くとき、一種の高ぶりさえ感じられてたまらなく好きです。

 夕焼けに染まる山や田園風景、あるいは林立するビル群の間に落ちて行く太陽を見る機会はよくありますが、空と海を茜色に染める光景はめったにないからでしょう。私が海辺の人間ではなく内陸人間のせいでしょうか。

 なぜこんなこと申しますかといううと、日本で活字印刷が始まった当時、つまり今から430年前の頃、加津佐と有馬の間の人の行き来を考える場合、私はが陸路を考えての発言しますと、対談相手の口之津や加津佐の人はまず、海路の場合を示唆されるのが当たり前でした。

 もちろん、当時の道なき道をたどるより海路の方が手っ取り早いということからもあろうかとは思いましたが、どうも、そればかりではなく、いろいろな話をするうちに、人間、内陸の人と海辺の人では思考回路に相違があるのではと考えることがありました。

 

 

    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

口之津いいとこ

2022-03-27 11:00:43 | 活版印刷のふるさと紀行

 私の活版印刷紀行の取材地でいいとこナンバーワンがこの口之津です。誰しも、初めての出会いは忘れられないといいますが、グーテンベルク方式の鉛活字を使う活字印刷が日本で最初に行われた活版印刷の聖地、加津佐への入り口の町が口之津で、それからなにかにつけてご厄介になりましたからなおさらです。

 

 

 誇らしげな「史跡南蛮船来航之地」という碑に、1567年(永禄10)のポルトガル船初来航の様子を想像してみても、なかなかイメージがわいて来ません。そのかわり、アレサンドロ・ヴァリニャーノを乗せた南蛮船が到着した1579年(天正7)となると不思議にイメージが湧いて来ます。

 土地の人たちは何度目かになる到着にいくらか慣れて来ていたでしょうし、年ごとにキリシタンの信徒が増えている土地柄、「イエズス会のお偉い神父さんが来られるそうな」という噂も港に物見高い人を集めただろうと想像できます。さらに、はしけが着いて、ヴァリニャーノの後ろに恐ろしく身体が大きく、真っ黒の顔や手足の黒人(のちに信長に仕え、弥助と呼ばれるようになる)を見たときには波止場全体を揺るがすようなどよめきが起きたに違いありません。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諫早を振り出しに25年

2022-03-26 15:25:14 | 活版印刷のふるさと紀行

 いささか自分本位で申し訳ありませんが、今日、私は私の「活版印刷紀行」の最終結果ともいうべきアレッサンドロ・ヴアリニャーノの著作を出版社に入稿してなんとなくホッとしているところです。

 思えば、キリシタン版が印刷されたという長崎県の加津佐を訪ねるべく、はじめて島原鉄道の諫早駅のホームに立つたのは、1997年9月1日でした。写真をご覧ください。なんとその日、オギャーと生まれた赤ちゃんがいたとしたら25歳になろうかというのですからちょっとびっくりです。

 もう、島鉄の電車のボディデザインもすっかり変わっているだろうとてインターネットで調べてみたら、これまたなんと、そのままの姿を見つけて安心いたしました。

 日本最初の活字印刷を追いかけてこの日、加津佐を目指して諫早を振り出しに取材を開始して25年。雑誌や著作で少しずつその成果を発表できたことをうれしく思います。

まあ、ホットしたところで休眠中だったこのブログを再開したいと考えてかんがえております。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする