私は想像します。己の生死を賭けて遣唐船で唐に赴いた
留学生や留学僧は「学ぶこと」に想像以上に貪欲であったと思
われます。彼らが「印刷術」に興味を示さなかった筈がありま
せん。
むしろ明にしても唐にしても技術流出を恐れて日本人留学僧
に印刷された経本は手渡しても、印刷ノウハウは教えなかった
のではないでしょうか。
しかし、滞在年数が長い留学僧にとって見よう見まねで「印
刷」を自分たちのものにすることは可能だったはずです。
やがて、その留学僧たちが五山など出身寺に戻ってきて、
彼らが持ちかえった経本の復刻を志すのは当然の成り行きです。
ヴァリニャーノの指示で日本での印刷開始にそなえて準備を
進めている留守部隊には、まだ、西洋式の活版印刷の知識はわ
ずかしかありません。来日修道士たちから伝え聞いただけで
なかなか具体的なイメージはつかめなかったと思われます。
そこえゆくと、唐わたりの「印刷」は現実味を帯びたもので
より身近に感じることができたでありましょう。
活字版を うえじー植字と呼び、書写によらずに文字を同時に
大量に複製できることが知られ始めたのがこのころだったので
しょうか。とにかく、日本文字、仮名や漢字の版下づくりが唐わ
たりの影響下で着々と進められたものと考えます。
留学生や留学僧は「学ぶこと」に想像以上に貪欲であったと思
われます。彼らが「印刷術」に興味を示さなかった筈がありま
せん。
むしろ明にしても唐にしても技術流出を恐れて日本人留学僧
に印刷された経本は手渡しても、印刷ノウハウは教えなかった
のではないでしょうか。
しかし、滞在年数が長い留学僧にとって見よう見まねで「印
刷」を自分たちのものにすることは可能だったはずです。
やがて、その留学僧たちが五山など出身寺に戻ってきて、
彼らが持ちかえった経本の復刻を志すのは当然の成り行きです。
ヴァリニャーノの指示で日本での印刷開始にそなえて準備を
進めている留守部隊には、まだ、西洋式の活版印刷の知識はわ
ずかしかありません。来日修道士たちから伝え聞いただけで
なかなか具体的なイメージはつかめなかったと思われます。
そこえゆくと、唐わたりの「印刷」は現実味を帯びたもので
より身近に感じることができたでありましょう。
活字版を うえじー植字と呼び、書写によらずに文字を同時に
大量に複製できることが知られ始めたのがこのころだったので
しょうか。とにかく、日本文字、仮名や漢字の版下づくりが唐わ
たりの影響下で着々と進められたものと考えます。