- 独立騒動が下火になってスコットランドの新聞記事やテレビ映像が見られなくなってしまいましたが、私にとっては、印象深かった国ですので、もっと見たい気がしないでもありません。
お彼岸、王子へ墓参に。幸い汗をかくほどの好天でした。台湾や中国でひと暴れしている台風が明日あたり日本に大雨をともなってくるとい卯のですがそんな気配は微塵もありません。
せっかく王子まで来たからにはと正午の開店を待って名物の玉子焼きを買いに行きました。たまたま開店直後で時間があったのか第14代の御亭主みずから店の沿革をひとくさり。以前は上に座敷があって割烹「扇屋」でじっくり料理が食べられたのにいまはテークアウトのみとは残念。
御亭主の受け売り。創業は将軍家光の時代で、王子稲荷の門前茶屋として飛鳥山の桜、滝野川の紅葉とならんで有名になり、「江戸名所図会」「江戸砂子」錦絵などに文人墨客の筆で紹介され、たといいます。
明治のはじめ、印刷局抄紙部王子工場に行幸された明治天皇が休息に立ち寄られたことがあるとか。飛鳥山と権現山との谷間を流れる音無川を眺めながら玉子焼きを召し上がったのだろうか。
その音無川のほとりを歩いてみる。夏場、子どもの嬌声が響き渡っていた親水公園もさすがにひっそり。水車のほとりも人影はありませんでした。でも、なんとなく、墓参を終えると、一仕事終えたような気分にかられるのはご先祖様に申し訳けない次第です。
土曜日、暗くなってから芝浦工大横の船着き場に行ってみました。「豊洲水彩まつり2014」が行われているというのをのぞいてみようというわけです。
水彩まつりのネーミングが水彩画の大会みたいのイメージでピンときませんでしたが、豊洲の秋の夕べを彩るという意味のようです。夕暮れの豊洲運河のクルージングや500人の人たちがロウやペットボトルを使ってのランプシェードづくり、ビールやワインを楽しめる一夜限りのキャナルバー、絵本ライブや音楽ライブなどなかなか多彩な内容です。
豊洲にはオリンピック会場や築地魚市場の移転受け入れなど何年かの先の構想もありますが、ここ1~2年でますます新しい街並みづくりが進み、下層階にレストランなどしゃれた店舗、上層階にはオフィスやマンションの高層ビルが次々竣工、大病院が新設されたり、町全体の緑化もだんだん形になってきていい町になりつつあります。
その町並みを水面に映して、晴海運河やこの豊洲運河もいきいきとした表情を浮かべるようになりました。やがて思いっきりメーキャップした船が横付けになった船着き場で手作りのランプシェードとLEDキャンドルでTOYOSU2014の文字が点灯されまつりのクライマックス。水辺の夜風は肌寒いほどで「ちいちゃな秋見つけた」の感じ。そういえば、キャンドルライトを囲んでみんなで合唱でもしたらもっと盛り上がったろうに。
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きょうの印刷図書館倶楽部の勉強会はちょっとだけ畑違い。というのは『日経ビジネス』9月1日号にあったスペシャルレポートー「脳科学」でヒットを創るーを引き合いに出しての侃々諤々でした。
その記事のアタマには頭にヘッドギアまがいのセンサー機器をつけた女性がモニター画面を見入っている写真がありました。これはいま流行りだそうですが、人間の「脳」の反応をリアルタイムで測定して、その結果を製品開発や評価に取り込む「脳科学」の応用で、これを名付けて「ニューロマーケティング」というのだそうです。
つまり、人間の脳細胞の反応が思わぬ売れっ子商品を生み出すという新しいマーケッティング手法の紹介でした。その成功事例は日経ビジネスを見ていただくことにして「こりゃおもしろい。印刷にもこのニューロマーケッティングにあやかる商圏拡大を図れるようなアイデアはナカンベーカ。それが今日の議論のスタート地点だったのです。
「ヘッドギアかぶったって正直に反応するとは限らないよ」、「近江商人の三方よし、売り手良し、買い手良し、世間よし」、「富山の薬売りの薬以外の仲介サービス、」、「松下幸之助の売りたいものを作るな、客が欲するモノを売るな、客に役立つモノを作って売れ」、「出光のカネやモノや組織にひきずられちゃいかん」 出るわ出るわ江戸時代から現代まで日本のビジネスのDNAともいうべき事例が。脳科学旗色悪し。
結論からいえば、脳科学やニューロマーケティングに頼るよりも印刷は印刷業の置かれている利点、すなわち受注産業的性格から顧客と双方向的コミニュケーションが容易にとれる立場というポジショニングをおおいに活かしていくべきだ。顧客を起点に顧客価値を創造し、提供するために対話を深め、この対話いうなれば、コミニケーションサービスプロバイダーになるべきで、そこから製品開発も新事業領域も出てくるではないかということでした。
いささか凡庸、陳腐な結論かもしれませんが、残念ながら印刷産業の多様な活動内容が一般にまだ知られていません。もっと印刷企業・印刷業界がパブリシティに力を入れるべきではないでしょうか。それが足りない。ただし、顧客を起点にといっても、顧客の言いなりになってのサービス過剰や受注獲得のための値引き競争にひきこまれたり、いつまでも「印刷屋さーん」の呼称に甘んじていてはならないという自戒も含めて盛り上がった次第です。
三連休の中日。日本列島あちこちで大雨による出水騒ぎ、東京のデング熱騒ぎ、このところ、明るい話題がありません。わずかに錦織選手のテニスの健闘、レスリング吉田沙保里の世界15連覇、巨人ファンにとってはマジック点灯などスポーツの話題で愁眉をひらく程度です。
しかし、今日は朝から快晴、蒸し暑さが去って気温も最適、さらに秋雲のひろがる空がなんとなく気分を晴れやかにしてくれます。
さらにうれしいのは、東北からの到来物2点。ひとつは友人の持って来てくれた久慈の松茸。あの『あまちゃん』の舞台、久慈の袖が浜はテレビでさんざん見知っていますが、松茸のとれる山があるとは知りませんでした。「道の駅にたくさん並んでいるよ」とのこと。さっそく土瓶蒸しで一杯。松茸ごはんに吸い物、見た目は小ぶりでしたが味は最高でした。
もうひとつは気仙沼のサンマ。震災前は木箱で送ってくれていた知人でしたが震災で中断、このところ以前ほどサンマが気仙沼に寄りつかないと いうことでしたが、ようやく現われだしたのでしょうか。
それにしても大震災から三年、少しずつ東北が
元気をとり戻してくれているのはうれしいことです。
松茸とサンマ、日本の秋、こころなしか、今年は秋 が早い気がします。
今朝ひさしぶりに快晴、ベランダで新聞をひろげるとスズメも元気。
その新聞一面トップに「本社、記事取り消し謝罪」の大見出し。さらにその隣に社長名で「みなさまに深くおわびします」とありました。おどろきました。「天下の朝日新聞」がこんな紙面をつくらねばならなかったとはさぞかし、全社こぞって苦衷と無念のかたまりであっただろうと想像します。
福島第一原発吉田調書の記事取り消しや慰安婦記事撤回遅れの問題については各メディアがこぞってとりあげていますし、いまさら私がここで触れるようなことはしません。ただ、祖父の代からの読者としては信じがたいことでした。
しかし、ここで私の想像を許してもらえるとしたら、こうした事態を招いたのは朝日新聞の内部の老・若の力関係にあるのではないでしょうか。若い記者の力の方が強くて、老練なベテラン記者の意見や配慮が押し潰されたのではないだろうかという想像です。というのは、最近、どこの組織でも若い人が年配者を「敬して遠ざける」傾向があるような気がします。そうでなくともメーカーなどで団塊の世代の退職頻発でトラブルが多発しているようです。日ごろ、サポートされていたことを気づかずに自分たちの力を過信していたのではないでしょうか。
いっぽう、年配者の方も遠慮しすぎて、ついつい目をつぶったり、直言することを避けがちです。
敬老の日が間近かです。敬して遠ざける風潮についてはなんとかしないとと思います。
- 久しぶりにオーバー・ドリンキング、おまけに宵の口から12時近くまで議論していたのでグロッキー。うとうとして目覚めたら酔眼に中秋の名月ならぬ1日前のおぼろ月が飛び込んで来ました。はっきりしないのはまた、台風14号が近づいて曇天のせいでしょうか。
銀座7丁目のDNP銀座ビルの前にSo Frenchと書かれた縦長のフラッグが揺れています。なんと訳しましょうか。「これぞフランス」でしょうか。このギンザ・グラフィック・ギャラリーで9月3日からはじまったミシェル・ブーヴェのポスター展です。
ミシェル・ブーヴェこそ、まさしくフランスのポスター男、フランスきってのポスターアーティスト。会場に足を踏み入れると誰しも圧倒されること請け合いです。どのポスターもまわりを黒の太いラインで囲み、イラストというか主題を彼独自の
ドローイングできわださせています。たとえば、この舌ベロのポスターは2007年制作の劇場ポスターで、演目の
「リゴレット」を大きな唇と舌で訴求しています。ミュージカルポスターとしてはあまりにも大胆で鮮烈な印象を受けます。
会場には1階と地階で42点のポスターが展示されていますが、どれをとっても強烈で、シンプルで、大胆で、個性的。、それでいて計算しつくされたヴィジュアルです。
一度見たら忘れられない、何十枚もあるポスターの中からブーヴェ作品を選び出せといわれたら誰しも即座に選び出せる特徴的な作風です。いずれもシルク印刷でほとんどが5色か4色、サイズが176×120cmという大きさですからとりわけ迫力があります。パリなどには大きなポスターが貼れる広告塔や地下鉄構内にも掲示スペースがあるからポスターはまだまだ重要な媒体です。
地階ではブーヴェの制作や作品の印刷光景などを収めた興味深いビデオも映写されています。彼は1955年生まれ、とくに演劇・オペラ・音楽・舞踊・美術館など公的機関の文化滑動に関わる作品も多く、個展も世界各国で開催されています。なお、この展覧会は9月27日までです。
誰しも寿司というと、まず、「握り寿司」を連想するのが普通です。鮨という字も当てられるぐらいですから、見るからに旨そうなマグロやヒラメやイカなどがのっかった握りが多くの人の食欲をそそるのは当然ですし、最近は外人さんまでスシ、スシと日本食の代表のようにいいます。
たしかに、握り寿司は寿司の王者、魅力ですが私の場合、「五目寿司」いわゆる「ちらし寿司」も大好きです。いや、馴染みの度合いからいったら「ちらし」の方かも知れません。子どものとき、お祭りや誕生日などには母がよく「五目ちらし」をつくりました。それも箱ずしで専用の箱があってギュッと圧をかけて仕上げる類の寿司でした。ハレの日の食べ物だったわけです。
大学に入学して、父の知人の作家の家を訪問したときです。出前で実に立派な握り寿司が届きました。豪華な江戸前です。どこから箸をつけようかとドギマギしていたら,ご夫人から「残してもいいわよ」といわれて、これが東京風かと面くらいました。
前置きが長くなりました。昨日、はじめて網野名物「ばらずし」と対面しました。網野といえば野球の野村監督のふるさと、いまは京都府京丹後市というのですが、この地方独特の寿司だそうです。甘く煮た鯖のおぼろをメインに椎茸・かんぴょう・たけのこ・錦糸たまごなど数々の具が入っていてなかなか美味でした。
たぶん、作り方は箱寿司と同じだと思います。ばら寿司には岡山でも富山でも出会ったことがありますが、長崎の大村寿司も具の上に錦糸たまごが壮大にのっていましたが、あれも、ばらずしではなかったでしょうか。私が網野名物「ばらずし」を食べながら考えたのは、日本全土に五目寿司やばら寿司があることから日本の寿司の原型は箱寿司ではないだろうかということでした。