沼津市若山牧水記念館のラウンジから展示室に歩みを進めます。
すると、入り口右手で入館者が、真っ先に目にするのがこの「幾山河」の掛け軸です。
幾山河
越えさりゆかば
寂しさのはてなむ国ぞ
けふも旅ゆく 牧水
牧水の没後1年、昭和4年沼津千本松原に短歌史上あまりにも有名なこの歌の碑が建てられました。しかし、この歌の誕生は明治40年の夏ですから22年も前のことでした。
早稲田の学生だった彼が宮崎への帰省途中に立ち寄ったいまの岡山県新見市哲西町で詠んだといわれております。この地にも幾山河の歌碑がありますが、当時は備後と備中の国境、かなりの僻地であったにちがいありませんから、いささか感傷的になって、思わずこんな詩情にかられたと推察できます。
この歌は明治41年刊行の第一歌集「海の声」におさめられました。
すると、入り口右手で入館者が、真っ先に目にするのがこの「幾山河」の掛け軸です。
幾山河
越えさりゆかば
寂しさのはてなむ国ぞ
けふも旅ゆく 牧水
牧水の没後1年、昭和4年沼津千本松原に短歌史上あまりにも有名なこの歌の碑が建てられました。しかし、この歌の誕生は明治40年の夏ですから22年も前のことでした。
早稲田の学生だった彼が宮崎への帰省途中に立ち寄ったいまの岡山県新見市哲西町で詠んだといわれております。この地にも幾山河の歌碑がありますが、当時は備後と備中の国境、かなりの僻地であったにちがいありませんから、いささか感傷的になって、思わずこんな詩情にかられたと推察できます。
この歌は明治41年刊行の第一歌集「海の声」におさめられました。
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