活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

日本に近代をもたらした顔、顔、顔

2010-12-29 18:05:15 | 活版印刷のふるさと紀行
 これが前回紹介した江原素六の顔です。明治史料館の4階が沼津兵学校コーナーにあてられていますが、その約半分がこの学校や付属小学校の出身者、ここで教鞭をとっていた教授陣の顔写真を貼ったパネルで埋まっていました。顔、顔、顔です。

 もちろん、この江原素六さんもその中から撮らせていただきました。
 たしかに沼津兵学校の始まりは静岡藩徳川家が設立した陸軍将校養成学校だったかもしれません。それに3年半で閉校になってしまい、卒業生も200余人にすぎませんが、この人たちが軍人のみならず、国の役人になったり、教育者になったりして、いろいろな分野で日本の近代化に大いなる貢献をはたしました。西欧式教育の源流がここにあったといえます。

 西洋にならって最新の化学・数学・ドイツ語・英語・オランダ語などの語学はもちろん法学・文学・哲学など兵学以外もかなり充実した内容で教科が組まれていたようです。実生活でもビーフステーキを食したり、牛乳を飲むこともあったようです。
 全国の各藩から留学生も受け入れましたが「御貸人」(おかしびと)という名で各藩に教師をはけんしたといいますからよほど優秀な人材が集まっていたものと思われます。

 木口学芸員のはからいで昭和14年に今井正監督が撮った映画『沼津兵学校』を見せていただきました。黒川弥太郎、丸山定夫などおそらく若い人では名前すら知らない名優が幕臣から兵学校生という環境の変化の中での青春を演じていました。兵学校が閉校になり、いまの防衛大学生よろしく凛々しい軍服で隊列を組んで沼津を去るところがラストシーンでした。

 

 



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