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れすぃむり るーずなーめむ

一個研究現代東北回民史之人的日常記録。

1週間。

2006-05-25 11:57:08 | Lisan-i Etrak
こんにちは。

昨日まで三週続いた(週1ですけれども)発表が漸く終わり、聊か肩の荷が降りた感じです。
もっとも、新しい課題の方も色々と貰ったので、余りのんびりもしてられないのですが。

それでも今週末くらいまでは久しぶりに好きな本でも読もうと思い、
久しぶりにアゼルバイジャン語の教科書なんてのを開いてみました。

ああ、こんなのやったなあ、なんて思いながら頁を捲っておりますと、
曜日名の呼び方などを載せた項目が。
参考としてトルコ語による呼び方も対照して記されているのですが、
似ている部分もありますが、結構違うところもあるのですね。

一応、アゼリー・トルコ両語の月曜から日曜までの呼び方を記しますと、

アゼリー語
bazar ertäsi・çärşänbä axşamı・çärşänbä・cümä axşamı・cümä・cümäşänbä・bazar

トルコ語
pazartesi・salı・çarşänbä・perşänbä・cümä・cümaretesi・pazar

となります。
金曜日がお休みで土曜から一週間が始まるという発想法は同じようですね。

更に両国と隣り合ったイランでの一週間の呼び名を見てみますと、

do şanbe・se şanbe・čahār şanbe・panj şanbe・joma’・ şanbe・ yek şanbe

となります。
土曜の「 şanbe夜」から1・2・3・4・5と、覚える側としてはこっちの方がわかり易そうですね。
金曜の呼び方がアゼリー語やトルコ語と同じなのも興味深いところです。
もともと、アラビア語に由来しているから当然といえば当然なんですが。

他のムスリムの話者が多い言語ではどうなんでしょうね。

それでは。



ビールの呼び方。

2006-04-01 16:17:10 | Lisan-i Etrak
こんにちは。

先日、こんなビールを買って飲みました。
ロシアのビールを飲むのは久しぶりでしたが、そんなに悪くない味でした。

で、そのビールを飲みながらなんとなく感じたのですが、
「ビール」に対応する語としてロシア語の音訳を使ってる人々って、結構多いんじゃないでしょうか。特に中央アジアでは。

ロシア語でビールはпиво[pivo]というのですが、
東は新疆のウイグル語のpiwa、
西はアゼリー語のpiväと、
音訳だなと一見して理解できる呼び方が、かなり広域に渡って使用されているようです。

現在は中華人民共和国の国民とされているウイグル人や、
言語的にトルコの人々と近いと言われるアゼルバイジャン人たちが、
一様にロシア語からの音訳で「ビール」と言っていることを思うと、
往時のロシアの近接地域への影響力をつくづく感じさせられます。

アラビア語やトルコ語におけるフランス語からの「輸入語」についても、
似たようなことが考えられるかもしれませんね。多分。
(そういえば、両言語とも、ビールはフランス語bièraの音訳でしたね)

それでは。



トルコ語の「だけど」。

2006-03-07 14:35:14 | Lisan-i Etrak
こんにちは。

前回ここに書かせて頂いた通り、先日オスマン語の教書を久方振りに読み返してみたのですが、一通り読んでみて、「トルコ語って『外来語』の影響を受けた表現が矢鱈と多いのね」とつくづく感じました。

例えば、逆接の接続詞。
現在(トルコ共和国の)トルコ語で逆接の接続詞といえば、fakat、ama、halbukiなどがあると思うのですが、いづれもアラビア語、乃至ペルシア語の影響を強く受けた表現であると思われます。
ただ、原義とは少し違う意味合いで用いられている場合もあるようで。

まづama。これはアラビア語のammāﺎﻣﺍですよね。
Redhouseのオスマン語辞典ではトルコ語であるとしていますけれども、アラビア語からの外来語と考えても、間違いないでしょう。これは原義とほぼ同じ。

ついでfakat。これはアラビア語のfaqatﻂﻘﻓですね。Wehrのアラビア語辞典を引いてみますと、”only, merely, sorely ; and that ends it”とあり、どうも逆接の意味ではなさそうです。ではペルシア語ではとSteingassを見てみれば、”only, sorely, merely, simply”とアラビア語とほぼ同じ語義のようで、やはり逆接として用いられることはないようですね。

最後にhalbuki。こいつはちとややこしい。現在のトルコ語辞書では一単語であるように扱われていますが、hal・bu・kiと三つに解体できる語のようで、halはアラビア語のhālﻝﺎﺣ(「状態・状況」)、kiはペルシア語で英語のthatの如き用法をするkeﻪﻛでしょう。buについてはよく判りませんが、ペルシア語にhāl ān keﻪﻛ ﻥﺁ ﻝﺎﺣ(”the fact is that; whereas, now that, though, notwithstanding”)という表現があることから考えて、指示代名詞のānをトルコ語のbu(「これ・この」)に置き換えたものなのではないでしょうか(無理かな…)。とするならば、原義の逆接としての側面がトルコ語では第一義となっている、とも考えることが出来ると思います。

原義の意味からやや離れているモノもあるとはいえ、現在のトルコ語においても、全く「文法」を異にする言語からの「外来語」が接続詞レヴェルにおいても見られるというのは、面白いことだと思います。SOV構文の膠着語であり、元来「外来語」であったモノを換骨脱退して西洋近代の物質的・精神的所産に対する訳語を生み出したという点で、しばしば比較されて論じられるトルコ語と日本語ですが、中国の漢語を「書き下し」「和訓」によって自己の文構造・文脈の中に取り込んでしまった日本語に対し、近接する人的集団の言葉を「そのまま」取り入れたことも少なくないトルコ語は、語学に関心を抱く者にとっては、興味深い言語の一つであるといえるのではないでしょうか。

それでは。