今世紀初めのころのローカル支線用ディーゼルカー。日本でも存在していたようですが元祖はヨーロッパなのでしょうね。ドイツのがいくつかモデル化されています。このバスが後ろ合わせに連結されたみたいなのはETA-8、片ボギー車を2台くっつけた珍しいスタイルです。プロイセン王国鉄道時代に生まれたもの。広々した草っ原、その田舎道を歩く人といっしょに写っている実物の写真がありましたが、こうゆうシーン好きですね。固定連結車なのに等級ちがいで色が違うところが面白いですよね。ルーフは白、窓枠の上部にアールが付いていたりしてクラシカルです。この塗色は王立鉄道時代だけ。DRG時代になって濃オリーブ一色になり、第2次大戦後のものはDBのえんじ一色。ひと昔前、時代別にKATOが商品化しているのだけれど現在はありません。いずれも中古で手に入れました。
ドイツ製Nゲージで見事なのはマークやレタリングですね。(以前、魚運搬車でも書きましたが)おそらく時計の文字盤印刷に使うような技術レベルだと思うけれど車体はもちろん、下回り、台枠の銘板や各種表示まで再現されている。残念ながら私の視力では肉眼で読めない。5倍のルーペで見ると文字が読める。すごい!と思う。ゆえに高価。おそらく日本のメーカーはここまでコストをかけても客がいない(売れない)と考えているのだろうが、貨車なんて子供は買わないはず、高くてもいいから作ってみたらいいのに。
日本製のNゲージ貨車にひとこと。前々回書いたように貨車ファンなのです。現在のようにコンテナ貨車ばかりになる前、さまざまな貨車があった時代。鉄道の歴史の中ではそうした時代のほうが長いのですが日本のメーカーではごく一部しか商品化されていない。中でもいちばん多くの車種をリリースしているのがKW社。次いでKT社、MA社かな。しかし、このKW社製品、金型が古すぎるのか、見るに耐えないバリが出ているものを平気で売っている。木造貨車を出しているのはこのメーカーだけなのでとても残念。さらに二軸貨車の軸受けやブレーキは重要なディテールなのに流用と省略は目に余る。おまけにセット売りしている車両のナンバーがみな同じというにいたってはお客をナメているとしか思えませんね。スケールモデルというつもりで作ってないのでしょうね。黒い箱が連なっていれば貨物列車に見える、程度の感覚なんですかね。中学生のころ最初に買ったHOゲージはこのメーカーのもの、愛着がある分失望も激しい。何両か買ったもののすべてがっかり。むろん写真を撮る気もおきない。
他のKT社、MA社はマシですが戦後の貨車に限定されている。日本貨車の特徴であるブレーキが省略されてないのは進歩だけれど、妻面のブレーキサイド表示やレタリングが省略されているKT社はいま一歩。そして、声を大にして言いたいこと、なんでワムやテムの扉が開閉できないの!micro_train社のボックスカーもFLEISCHMANNもMINITRIXの貨車も海外製品はほとんど開閉できるよ。ディテールではMA社がいちばんだと思うけど扉の開閉は考慮外か。それから、タンクロコのおまけに貨車をつけるのやめて欲しい。なんでC-10と一緒に石炭車が付いているのかわからない。そんなことするならC-10の特徴である機関車本体、水タンクのリベットを再現するコストにかけて欲しいと切に思う。
他のKT社、MA社はマシですが戦後の貨車に限定されている。日本貨車の特徴であるブレーキが省略されてないのは進歩だけれど、妻面のブレーキサイド表示やレタリングが省略されているKT社はいま一歩。そして、声を大にして言いたいこと、なんでワムやテムの扉が開閉できないの!micro_train社のボックスカーもFLEISCHMANNもMINITRIXの貨車も海外製品はほとんど開閉できるよ。ディテールではMA社がいちばんだと思うけど扉の開閉は考慮外か。それから、タンクロコのおまけに貨車をつけるのやめて欲しい。なんでC-10と一緒に石炭車が付いているのかわからない。そんなことするならC-10の特徴である機関車本体、水タンクのリベットを再現するコストにかけて欲しいと切に思う。
日本メーカーのNゲージ模型作りで納得のいかないところがいくつかある。まずは蒸気機関車。普及品ではMA社とKT社が市場を二分しているがMA社が機種で圧倒していて大正期から昭和期まで、戦時型も含め商品化している姿勢はとても評価している。しかし、そのディテール、なぜあのような型式銘板なのか。別パーツでピカピカの金色ホットスタンプを施した型式プレートにこだわるのか理解できない。ファンはあれをオモチャっぽいと思わないのだろうか。実物はあんなに出っ張ってないしギラりとしていない。それになぜ、機関車製造会社の楕円銘板はじめボディーにあるプレートや各種表示などのレタリングを省きまくるのだろう。ゴールドと白、2色、2回のタンポ印刷をすればいいのではないか。ずっと実感が出てくると思う。つぎにボイラー前部の弧状の手すり(左2枚の写真)。わざわざ別パーツにする必要があるのか。オーバースケールもいいところで金型で表現すべきだと思う。別パーツにすべきは本体側面のパイピングだろう。最悪なのはキャブ内をまるまる占拠しているモーターである。ドイツ製はテンダー内にモーターを収めている例まであるのになぜもっと小型化できないのか。そのうえ走りも悪い。日本のNゲージは電車オタクばかりで蒸気機関車は少数派、気合を入れて作っても売れないからか。それにしてはすぐ品切れ、意図的なハングリーマーケット化。Nゲージの初期からモーターの大きさは指摘されていた課題だと聞くが何年も放置しているのはメーカーの怠慢、ファンを侮っているとしか思えない。FLEISCHMANNかMINITRIXが日本型蒸気機関車を作る気はないだろうか。売れると思うけどな。
むかし、といっても40年くらい前。さまざまなタイプの貨車を連ねた貨物列車が走ってました。国鉄(今では懐かしい響きです)田端駅が最寄り駅だったもので、駅へ行くには広い貨物操車場を渡る陸橋を通ります。当時、幹線から退いた9600やD-51が行ったり来たり入れ換えをしていましたね。擬人化するなら老骨に鞭打ってとか、最後のご奉公とかセンチメンタルな言葉を連ねるところでしょうが、私にはそうした感傷はないので、まあ薄汚れた蒸気機関車という記憶です。しかし鉄橋下を通る音やにおいまで思い出しますが、実働の迫力、ありましたね。入れ換え作業は茶のボディーに黄帯のDD-13に置き換わりつつあったころです。そのころの田端操車場を模型で再現するのがひとつの夢ですね。それにしても日本型蒸気機関車や貨車のNゲージ模型は何とかなりませんかね。以前に書いたイギリス製よりはややマシですが、それにしてもつくりやディテールなど”玩具”の時代を引きずってるなあ。
レイアウト、最近ではジオラマというんですかね。昔はレイアウトと言っていたんですがいつごろからこうなったのでしょう。20代ごろ自宅で使っていたA0版の製図版、さすがに使わなくなって物入れの隅に立てかけてあったものを建設用地にすることに。どうせ模型雑誌に掲載されているようなのは最初から作れない。実際のスケールにしても134m×190m、ローカル線のまた支線、端末の小さな駅位の敷地です。なるべくイージーに、お金もかけず、よいしょと引っ張り出して常時運転出来ればいいやというスタンスかな。じつは中学生くらいのころ作りかけて、雑誌にあるような出来を目指してみごと挫折という経験があるもので、この歳になると自分の性格もよくわかっているし、ライトに、イージーにと言い聞かせつつ製作を開始。