「臆病」の中に、ヒントがあった。気づきが次につながるかも?
先週もスタジアムに行ったわけですが、ホームで勝てない。
というより、私はホームで負けない、を継続してほしいので。
マリノス戦はホームで負けなかったという事からすると、怒りはない。
ただ満足もない。というとつまらないので。
あの試合を応援していて気づいた事と、先週から続いている
「臆病」というフレーズがずっと気になり続けていた。
何が臆病なんだろう?
それが得点できない事と繋がっているのだろうか?
この数試合の連敗は、この臆病に繋がっているのだろうか?
と。
ここ数試合の連敗を思い返すと、印象として先制点を入れられている。
そして逆転をしていない。だから負けている。大宮が勝利した試合の
典型は先制して押し切るか?終盤に得点して逃げ切るか?
逆転をして勝つというパターンでここ数年を勝ち進んで来なかったように感じる。
監督が変わっても、大宮が弱いという言われる根源を観たみたいで
やっぱり逆転をして勝てるクラブが強いという印象を与え、実際にタイトルも得ているクラブが多い。
しかもそれが単発ではなく、永続的にできるクラブ。
逆転できなければ、逆転できるようにすればいい。どうやって?
それはリードされている時に、どういうサッカーをしなければならないか?を体得すれば
いいだけの話し、という単純な結論に行きつく。
ポゼッションサッカーを選んだ以上、過去の大宮が勝利したようなパターンではいけないはず。
何故ならポゼッションサッカーは得点される確率が高いからだ。自らのパス回しがこんがらがると、
自分で自分の首を絞める可能性が高いサッカーだからだ。
大宮アルディージャはポゼッションサッカーを選び、過去からの脱皮をしようとしている。
まだまだ過去の殻が残っていて、間違えば窒息死しそうな試合展開もある。
それが「臆病さ」として顕在化したのかな?
なんで臆病に映るのか?それは繰り返すけれども、リードされてからのサッカーを体得できていないからだ。今まさに体得している過程だからだ。
鈴木淳監督になってもそうだが、毎週の練習は「ある状況を想定して」練習する。パスだったり
セットプレーだったりと。でも練習では絶対に体得できないものがある。それは「リードされている状況」だ。
練習試合などで「負けていると思って闘え」、と想定しても実際にそういう状況は「本番の試合」にしか
存在しないと思う。
なんでこんな事を言うのか?というと。
どんな監督でも、自分の戦術を浸透させる場合はリードしているか、
0-0を想定した練習が主であり、気持ちもフラットかリードしている状況を前提として
戦術や「自分たちのサッカー」を磨こうとしているように思うのだ。
始めから逆境状態で、練習する状況は作れない訳ですね。
(練習ではうまく出来た。しかし本番ではリードされ、反撃できなかった。
こういう状態を、練習プロと私は思っている。練習の達人。そういう人間ばかりでは、
強いクラブにはならない。大宮アルディージャも練習プロの多いチームだったかもしれない。)
だからリードされているのに、リードしているサッカーをやっていては勝てないという事だ。
大宮アルディージャはそういう事が多かったクラブ。
だから勝てない。逆転出来ないわけです。だから弱いという事。。。
しかし弱いクラブも強くなれる。
それは臆病を捨てる事から始める事だ。その臆病を捨てるには「勇気」「チャレンジ」が必要かもしれない。
それを行使しない限り、勝利には近づかない。
勇気とチャレンジがあれば、リードされていても勝利に近づく方法は生まれる、必ず。
今の大宮アルディージャにもそれは例外なく訪れる。
その結果が、今回のマリノス戦ではなかったか?
リードされ、がっくりする選手もいれば、なんで、得点された?でとどまっている選手もいる。
また、こんなんで終わりのホイッスル聞きたくない、と思った選手もいるだろうし。
負けるのかな。。と感じた選手もいただろうし。
いやこれからだ!と息巻いた選手もいただろう。
結果引き分けまで、持って行けた。
それは臆病さを持ちながらも、臆病さをかなぐり捨てようを思ったからの行動があったからだろう。
その行動こそ、「リードされた場合のサッカー」が体得しつつあるという事ではないか?
リードされたら、まず。果敢にボールを奪いに行かないといけない。簡単に振り切られる事も覚悟で
ボール保持者にプレッシャーとボディコンタクトとファール覚悟で、ボールを奪いに行かないとダメ。
それがない限り、自分たちにボールが来る事はない。ポゼッションサッカーは成立しない。
とにかく奪って、奪って奪い続けなければならない、辛いけど。そういう体験は本番の試合しか体得できない経験。この事は鈴木淳監督が言葉で伝えても、大宮の選手にはあまり浸透していなかったと思うのだ。
(教える、伝えるって難しい。。。)
ただ徐々に、分かってきた選手もいるはずだ。上田もその一人だね。渡部も少し理解しているね。村上は十分理解している。杉山は合格点だね。CKになったけど、杉山の闘志を村上が背中を叩いて激励してたね。
分かる者同士はわかるんだね。
闘志は、身体を張らないと分からない。途中から入った大剛のようなプレーではダメ。ボディコンタクトを恐れるな。縦にボールを入れる事を恐れるな。縦にドリブルで切れ込む事を恐れるな。リスクは承知の上。それを覚悟でプレーする。それは「リードされた場合のサッカー」だ。
決して0-0では体験できない事。
大宮アルディージャが、臆病だったのは常に「温室」の状態でサッカーを理解していたために起こった
「優等生」サッカーだったのかもしれませんね。
それに気づいて変化した。そして結果も追いついた試合。それを私は評価したい。そして選手たちも、自分たちの臆病さに気づいて、乗り越えつつあるという事を気づいてほしい。自分たちは、徐々に変化していると。
今シーズン、鈴木淳監督のサッカーを信じて志向してほしい。それ以外に私が観たいのは、逆転して勝てる試合だ。その時は、大宮は必ず勝利する。ホームでもアウェイでも関係なく、次のステージに上がれるはずだ。その過程であると私は思いたいし、逆転できるクラブこそ真に底力があるメンバーだと認めたいと思う。(その時、0-1になってもタフな精神力な選手集団になれると思う。ガンバ大阪みたいに)
またもう一つの「気づき」は、観衆を含めた応援だ。
スタジアム中が臆病なのではなかったか?という事だ。
上記の事を選手たちに強いるのであれば、それを選手たちだけに押し付けるのは「酷」である、という事だ。もう走れないという状態でも走れと言い、攻めるのが怖い時でも攻めろ!と言い、負けている時に相手ゴールに迫れ、という。そんな酷なメッセージを送らないといけない場合もある。そして同時にそれがスタジアムで応援する側の責務でもあると思う。
選手たちを後押しして、辛い時でも走れ、いや走ってくれ~!と応援しなければ選手たちは走れない。
苦しいけど、スタジアム中が求めなければ選手たちはシュートを打てない。そういう状況はあるんだ。
逆にいえば、スタジアム中がメッセージを送らない限り、最後ギリギリの勝負では相手チームに勝利が行ってしまう事を多々あるという事。だからこそ応援をしようじゃないか?という事。応援と言うより、メッセージを送ろうじゃないか?という事だ。
声、拍手、声援、チャントだ。
現にマリノス戦では、スタジアムの要求度は上がったはずだ。勝ってほしい、がんばれ、次があるからどんどん攻めろ!表現方法はバラバラだろうけれども、スタジアムの熱は高まった。それに選手たちも応えた。
結果はドロー。しかし得点まで出来た。
スタジアムからの臆病を徐々に薄められた時、大宮の結果も変わって来ると思う。
臆病で応援できない人が一人ずつ変化すれば、変わると思う。野次りたいやつはヤジらせろ、地蔵なやつは地蔵でいい。決して強制的にその人たちを変えようとしてもダメ。
自分の中から変わろうと思わないと人間は変わらない。
選手は変わろうとしている。誰に強制されるわけでもなく、チャレンジし多くの失敗を見ながらもピッチで変わろうとしている。
今度は、応援する側だ。「臆病」で応援できない方。選手たちは変わろうとしています。今度は貴方の番かもしれません。拍手、声だし、そんな事が難しいようだったら、
選手たちが頑張っていると思ったら、拍手しておげてください。
選手の名前を呼んで上げてください。そして勝ってほしい、というメッセージを発してください。
そしてそれを微々たる事でも継続してください。そうしたら変化が起こります。
怖い事はない。何故なら、隣も、前の後ろも、貴方が応援している大宮アルディージャが好きなんです。
同じく応援する気持ちがある人。敵じゃない。だから安心してください。
ピッチへ選手たちを激励しましょう。
選手側、応援する側。この二つに潜む、臆病さが消え始めた時。確実に大宮アルディージャにも変化あると思います。順位にも変化あり、そして試合にも変化あり、またスタジアムの雰囲気にも変化あり、そして
入場者数にも変化ある。
大宮アルディージャの試合は楽しいのだ。選手も応援する側も、みんなが参加して作りあげる試合。
それが毎試合ある楽しいスタジアム。そのためにも
大宮アルディージャにかかわるみんなが少しずつ臆病を減らす方向へ行こうじゃありませんか?
私は来週もまた応援に行きますよ。
先週もスタジアムに行ったわけですが、ホームで勝てない。
というより、私はホームで負けない、を継続してほしいので。
マリノス戦はホームで負けなかったという事からすると、怒りはない。
ただ満足もない。というとつまらないので。
あの試合を応援していて気づいた事と、先週から続いている
「臆病」というフレーズがずっと気になり続けていた。
何が臆病なんだろう?
それが得点できない事と繋がっているのだろうか?
この数試合の連敗は、この臆病に繋がっているのだろうか?
と。
ここ数試合の連敗を思い返すと、印象として先制点を入れられている。
そして逆転をしていない。だから負けている。大宮が勝利した試合の
典型は先制して押し切るか?終盤に得点して逃げ切るか?
逆転をして勝つというパターンでここ数年を勝ち進んで来なかったように感じる。
監督が変わっても、大宮が弱いという言われる根源を観たみたいで
やっぱり逆転をして勝てるクラブが強いという印象を与え、実際にタイトルも得ているクラブが多い。
しかもそれが単発ではなく、永続的にできるクラブ。
逆転できなければ、逆転できるようにすればいい。どうやって?
それはリードされている時に、どういうサッカーをしなければならないか?を体得すれば
いいだけの話し、という単純な結論に行きつく。
ポゼッションサッカーを選んだ以上、過去の大宮が勝利したようなパターンではいけないはず。
何故ならポゼッションサッカーは得点される確率が高いからだ。自らのパス回しがこんがらがると、
自分で自分の首を絞める可能性が高いサッカーだからだ。
大宮アルディージャはポゼッションサッカーを選び、過去からの脱皮をしようとしている。
まだまだ過去の殻が残っていて、間違えば窒息死しそうな試合展開もある。
それが「臆病さ」として顕在化したのかな?
なんで臆病に映るのか?それは繰り返すけれども、リードされてからのサッカーを体得できていないからだ。今まさに体得している過程だからだ。
鈴木淳監督になってもそうだが、毎週の練習は「ある状況を想定して」練習する。パスだったり
セットプレーだったりと。でも練習では絶対に体得できないものがある。それは「リードされている状況」だ。
練習試合などで「負けていると思って闘え」、と想定しても実際にそういう状況は「本番の試合」にしか
存在しないと思う。
なんでこんな事を言うのか?というと。
どんな監督でも、自分の戦術を浸透させる場合はリードしているか、
0-0を想定した練習が主であり、気持ちもフラットかリードしている状況を前提として
戦術や「自分たちのサッカー」を磨こうとしているように思うのだ。
始めから逆境状態で、練習する状況は作れない訳ですね。
(練習ではうまく出来た。しかし本番ではリードされ、反撃できなかった。
こういう状態を、練習プロと私は思っている。練習の達人。そういう人間ばかりでは、
強いクラブにはならない。大宮アルディージャも練習プロの多いチームだったかもしれない。)
だからリードされているのに、リードしているサッカーをやっていては勝てないという事だ。
大宮アルディージャはそういう事が多かったクラブ。
だから勝てない。逆転出来ないわけです。だから弱いという事。。。
しかし弱いクラブも強くなれる。
それは臆病を捨てる事から始める事だ。その臆病を捨てるには「勇気」「チャレンジ」が必要かもしれない。
それを行使しない限り、勝利には近づかない。
勇気とチャレンジがあれば、リードされていても勝利に近づく方法は生まれる、必ず。
今の大宮アルディージャにもそれは例外なく訪れる。
その結果が、今回のマリノス戦ではなかったか?
リードされ、がっくりする選手もいれば、なんで、得点された?でとどまっている選手もいる。
また、こんなんで終わりのホイッスル聞きたくない、と思った選手もいるだろうし。
負けるのかな。。と感じた選手もいただろうし。
いやこれからだ!と息巻いた選手もいただろう。
結果引き分けまで、持って行けた。
それは臆病さを持ちながらも、臆病さをかなぐり捨てようを思ったからの行動があったからだろう。
その行動こそ、「リードされた場合のサッカー」が体得しつつあるという事ではないか?
リードされたら、まず。果敢にボールを奪いに行かないといけない。簡単に振り切られる事も覚悟で
ボール保持者にプレッシャーとボディコンタクトとファール覚悟で、ボールを奪いに行かないとダメ。
それがない限り、自分たちにボールが来る事はない。ポゼッションサッカーは成立しない。
とにかく奪って、奪って奪い続けなければならない、辛いけど。そういう体験は本番の試合しか体得できない経験。この事は鈴木淳監督が言葉で伝えても、大宮の選手にはあまり浸透していなかったと思うのだ。
(教える、伝えるって難しい。。。)
ただ徐々に、分かってきた選手もいるはずだ。上田もその一人だね。渡部も少し理解しているね。村上は十分理解している。杉山は合格点だね。CKになったけど、杉山の闘志を村上が背中を叩いて激励してたね。
分かる者同士はわかるんだね。
闘志は、身体を張らないと分からない。途中から入った大剛のようなプレーではダメ。ボディコンタクトを恐れるな。縦にボールを入れる事を恐れるな。縦にドリブルで切れ込む事を恐れるな。リスクは承知の上。それを覚悟でプレーする。それは「リードされた場合のサッカー」だ。
決して0-0では体験できない事。
大宮アルディージャが、臆病だったのは常に「温室」の状態でサッカーを理解していたために起こった
「優等生」サッカーだったのかもしれませんね。
それに気づいて変化した。そして結果も追いついた試合。それを私は評価したい。そして選手たちも、自分たちの臆病さに気づいて、乗り越えつつあるという事を気づいてほしい。自分たちは、徐々に変化していると。
今シーズン、鈴木淳監督のサッカーを信じて志向してほしい。それ以外に私が観たいのは、逆転して勝てる試合だ。その時は、大宮は必ず勝利する。ホームでもアウェイでも関係なく、次のステージに上がれるはずだ。その過程であると私は思いたいし、逆転できるクラブこそ真に底力があるメンバーだと認めたいと思う。(その時、0-1になってもタフな精神力な選手集団になれると思う。ガンバ大阪みたいに)
またもう一つの「気づき」は、観衆を含めた応援だ。
スタジアム中が臆病なのではなかったか?という事だ。
上記の事を選手たちに強いるのであれば、それを選手たちだけに押し付けるのは「酷」である、という事だ。もう走れないという状態でも走れと言い、攻めるのが怖い時でも攻めろ!と言い、負けている時に相手ゴールに迫れ、という。そんな酷なメッセージを送らないといけない場合もある。そして同時にそれがスタジアムで応援する側の責務でもあると思う。
選手たちを後押しして、辛い時でも走れ、いや走ってくれ~!と応援しなければ選手たちは走れない。
苦しいけど、スタジアム中が求めなければ選手たちはシュートを打てない。そういう状況はあるんだ。
逆にいえば、スタジアム中がメッセージを送らない限り、最後ギリギリの勝負では相手チームに勝利が行ってしまう事を多々あるという事。だからこそ応援をしようじゃないか?という事。応援と言うより、メッセージを送ろうじゃないか?という事だ。
声、拍手、声援、チャントだ。
現にマリノス戦では、スタジアムの要求度は上がったはずだ。勝ってほしい、がんばれ、次があるからどんどん攻めろ!表現方法はバラバラだろうけれども、スタジアムの熱は高まった。それに選手たちも応えた。
結果はドロー。しかし得点まで出来た。
スタジアムからの臆病を徐々に薄められた時、大宮の結果も変わって来ると思う。
臆病で応援できない人が一人ずつ変化すれば、変わると思う。野次りたいやつはヤジらせろ、地蔵なやつは地蔵でいい。決して強制的にその人たちを変えようとしてもダメ。
自分の中から変わろうと思わないと人間は変わらない。
選手は変わろうとしている。誰に強制されるわけでもなく、チャレンジし多くの失敗を見ながらもピッチで変わろうとしている。
今度は、応援する側だ。「臆病」で応援できない方。選手たちは変わろうとしています。今度は貴方の番かもしれません。拍手、声だし、そんな事が難しいようだったら、
選手たちが頑張っていると思ったら、拍手しておげてください。
選手の名前を呼んで上げてください。そして勝ってほしい、というメッセージを発してください。
そしてそれを微々たる事でも継続してください。そうしたら変化が起こります。
怖い事はない。何故なら、隣も、前の後ろも、貴方が応援している大宮アルディージャが好きなんです。
同じく応援する気持ちがある人。敵じゃない。だから安心してください。
ピッチへ選手たちを激励しましょう。
選手側、応援する側。この二つに潜む、臆病さが消え始めた時。確実に大宮アルディージャにも変化あると思います。順位にも変化あり、そして試合にも変化あり、またスタジアムの雰囲気にも変化あり、そして
入場者数にも変化ある。
大宮アルディージャの試合は楽しいのだ。選手も応援する側も、みんなが参加して作りあげる試合。
それが毎試合ある楽しいスタジアム。そのためにも
大宮アルディージャにかかわるみんなが少しずつ臆病を減らす方向へ行こうじゃありませんか?
私は来週もまた応援に行きますよ。
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