les généalogies des Essais―Delfini Workshop annexe

エセーの系譜をおもに検討。

Cioranを読む(112): Hegel et nous(21)

2012年05月05日 | Cioran

■旧暦閏3月15日、土曜日、、子どもの日

(写真)夏の花

今日はよく眠った。6時半には目が覚めた。風が強いが、やっと連休らしい晴れ。午前中、仕事、午後、いつもの喫茶店で読書。帰りに頼まれた買物を済ませる。夕方には、風が止んだ。



La conclusion tirée, d'ailleurs assez séduisante, est la suivante: l'iiationalité organique de la vie. Pour nous, qui ne croyons plus à l'absolu, le relativisme s'impose. Hegel, lui, s'en éloigne en rasion de sa conception de l'absolu englobant toutes les formes finies de l'histoire et les remplissant de sens en les faisant participer à son infinité dynamique. Cette idée romantique de la présence de l'infini dans formes finies mêne au-delà de la relativité. Cioran Solitude et destin pp. 169-170 

ここから導かれる魅力的な結論は次のとおりである。生は非合理的な有機体である。絶対的なものをもう信じていないわれわれには、相対主義は不可避である。だが、ヘーゲルの場合は、絶対という概念があるために、相対主義に陥らずに済んでいる。絶対という概念は、歴史の有限な諸形式すべてを含み、すべての有限な諸形式は、そこで、有限な諸形式すべてを歴史の無限のダイナミズムに関与させるのである。有限な諸形式の中に無限の存在があるというロマン主義的なこの理念は、相対性を乗り越えるところまで行く。

※ les remplissant de sens en les faisantの部分がよくわからない。

■この個所を読むと、ブレイクの詩が思い出されて来る。

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour.

一粒の砂の中に世界を見て、
一輪の野の花の中にも天上を感じる。
きみの掌で無限をつかみ
一時の中に永遠をつかむ。

ブレイク(1757-1827)とヘーゲル(1770-1831)は同時代人。これに、ゲーテ(1749-1832)とヘルダーリン(1770-1843)を加えると、時代の共通の空気が見えてくる。この中では、ゲーテだけ、ロマン派とは毛色が違い、全体的に整った古典的な人間像を想起させる。社会哲学者の石塚省二先生によれば、ヘーゲル=ゲーテのラインと、ルカーチ=トーマス・マンのラインが、それぞれの「全体性」の理念の具現化として、対応するという。ヘーゲルのゲーテは、まだ、幸福な全体性を維持しているのに対して、ルカーチのマンは、すでに、ゲーテへの郷愁を含み、いささか、苦しげに見える。




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