祈りを、うたにこめて

祈りうた(漢字のこえ   「憂」と「優」と  「赤」と「赦」と)

「憂」と「優」と

 

 

(うれ)いをもつひとは優(やさ)しい とはかぎらない

憂鬱(ゆううつ)でふさがったこころに

あなたのかなしみをかんじとる

そのすきまは 

ないかもしれない

 

優しいひとには憂いがない とはかぎらない

優しいこころには

あなたのさびしさをうけとめる

きずのようなすきまが 

あるかもしれない

 

 

 

「赤」と「赦」と

 


真っ赤なうそを かお赤らめもせずについたのだった

おかあちゃんはただ 「そうかい」とうなずいたのだった

 

あるとき ともだちがほんとうのことをしらせた

そのときも かお赤らめもせずいいはったのだった

 

おかあちゃんは そのときもただ「そうかい」とうなずいたのだった

オレは おかあちゃんのめをみられなかったけれど

 

―ごじゅうねんたって

いまオレは おかあちゃんのしゃしんにおわびする

 

「おかあちゃん、あのときオレはうそをついた

ごめんね ほんとうにごめんね」

 

かってだけれど しゃしんのおかあちゃんが

「そうかい、そうかい もうとっくに赦(ゆる)しているよ」 そううなずいてく
 れているようなのだ

 

 

●ご訪問ありがとうございます。
 憂いと優しさとは、ほんとうは噛(か)みあうものではないかもしれません。健(すこ)やかさと憂い、憎しみと優しさ(あるいは赦し)のほうが、組み合わせとして合っているのかもしれません。この日本で起こった先日の事件―元首相の殺害という事件を考えるだけでも。
 決してゆるせない、という声があがっています。
 そのなかで、わたしも憂いの気持ちを強くいだきながら、赦(ゆる)しという優しさの在り処(ありか)も探ろうとしています。
 憎むこころをこそ憎む、という精神の健やかさとは何でしょうか。このわたしにもてるでしょうか。
 止まない虐待、依然として続いているロシアの侵略、それらをふくめて、自分の罪深さを棚に上げて非難するのでなく、ほんとうの解決、まことの赦しにつながる神の優しさ(あるいは正義)とは何でしょうか。このわたしに追求できるでしょうか。

 主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。(旧約聖書「詩篇」37章7節)

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