祈りを、うたにこめて

祈りうた(不安・平安  悶)

(もん)


そんながんじょうな扉のむこうに籠ったきりの君
心は悶々としていないかい?

自我の扉 自意識の扉 ひとりで尖っている門
そんな役立たずの囲いなんて壊してしまったらどう?

心は 窮屈な部屋から出たがっているよう
開門! そう叫びたがっているよう なんだけど

(かんぬき)を一本 たった一本はずしさえすれば
君の心は 門から青空へとびたつことができるんだけど


悶々とするのは若さのあかし かもしれない
たえず心をもてあまして

今日の息さえおもいきり吸えない
いや 今日へ息さえおもいきり吐けない

ひとはどうして
生きて二十歳を越えるのか ただ優しくて

笑う門にくるのは福ばかりではないけれど
閉じこもっていたら 君よ! 青春はちぢこまるばかりだ




●ご訪問ありがとうございます。
 わたしの十代はそれこそ悶々の日々でした。どこから来たのか、どこへ行くのか、何も方向性がないような毎日でした。アパートの三畳一間の戸をしめきり、こたつにもぐって鬱々としていました。
 そんなわたしに、いくつかの本が示されました。
 椎名麟三の「深夜の酒宴」、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、フランクルの「夜と霧」、サン・テグジュペリの「人間の土地」、キルケゴールの「不安の概念」、そして石原吉郎の詩。
 これらの本がわたしに指し示したこと、それは、「生きてみようよ!」ということでした。「聖書があるじゃないか!」ということでした。
 せっぱつまっていたわたしは、知らずのうちに神さまに向かって、「助けて!」と叫んでいたのだと思います。



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