むごたらしさへの抵抗
1
2021年の11月、「テントウムシのファイト」という詩を投稿した。これはほんとうにあったことを書いたもので、寓話(ぐうわ)の意味はなかった。だが、いまになってみると、侵略者ロシアに対するウクライナの抵抗に通じるものがあるような気がしてきた。
テントウムシのファイト
ぞうきんを喰ってでも生きてやる
そんなファイトがひそんでいた
もぞもぞと動く
小さな体に
そのテントウムシを
一歳の孫がねらった
ヒョイとつまんで
口に入れてしまった
テントウムシよ
おまえを喰らった奴(やつ)に
腹くだしで報いる
そんなファイトはまだあるか
ウクライナの「抵抗」は止まらない。「ファイト」は衰えていない。ロシアが内部から崩壊し、独裁者がたおれる日、その日は早く実現するか。
2
金子みすゞの詩集を読んでいると、自分に優しい気持ちがもどってくるようだ。
東日本大震災のとき、「『ごめんね』っていうと/『ごめんね』っていう。/こだまでしょうか、/いいえ、誰でも。」(「こだまでしょうか」)という詩句が、くりかえしコマーシャルで伝えられた。「みんなちがって、みんないい。」(「私と小鳥と鈴と」)の詩句は、多くの人のこころのなかで響きあった鈴の音だろう。
彼女の詩の中に「ゆめとうつつ」という作品がある。無料のインターネット「青空文庫」にまだ収録されていない詩人なので、「金子みすゞ」を検索していてみつけた。
ゆめとうつつ
ゆめがほんとでほんとがゆめなら、
よかろうな。
ゆめじゃなんにも決まってないから、
よかろうな。
ひるまの次は、夜だってことも、
わたしが王女でないってことも、
お月さんは手ではとれないってことも、
ゆりのなかへははいれないってことも、
時計のはりは右へゆくってことも、
死んだ人たちゃいないってことも。
ほんとになんにも決まってないから、
よかろうな。
ときどきほんとをゆめにみたなら、
よかろうな。
反戦詩ではないが、「ゆめがほんとでほんとがゆめなら/よかろうな。」という冒頭の詩句に惹(ひ)かれた。そして、わたしの反戦の思いをこめて、次のような詩を書いた。
ゆめとほんと
ゆめがほんとでほんとがゆめなら、
よかろうな。*
おさな子を
恐怖で泣かすひとごろし
「ほんと」のほんとのそのむごさ
ゆめがほんとでほんとがゆめなら、
よかろうな。
おさな子が
笑いはしゃげるおだやかさ
優しいやさしいそんな「ゆめ」
ゆめがほんとでほんとがゆめなら、
よかろうな。
*金子みすゞ、「ゆめとうつつ」より
産院を爆撃し、避難したひとびとのいる劇場を破壊し、殺戮(さつりく)を止めないロシアの軍隊。むごい現実が「夢」であったらと思うが、そうではない。
だが、あきらめない。希望が現実になることを祈り続ける。
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