誰かの言ったことや、テレビや新聞のニュースに腹が立ち、なんか一言言わないと気がすまん!という時は、大抵の場合、コッチの側でなにか上手くないことがあってすっきりしないからなのです。
ようするにいらいらと怒りっぽくなっているので、なんでも良いのですね鬱憤を晴らす相手先などは。
同じような言葉で、
「癇性」というのがあって、これは怒りっぽい、気が短いというんじゃなしに、何事につけ病的に潔癖であるコトを言うそうです。
「癇」というのはどうやら人全般が持つ神経的特質の一種で、正常に生きていく為の精神バランスを保つのに必要な要素の一つであると言えると思いますが、
一方で、
「寛容」という精神があり、こちらは心が広く、他人をきびしくとがめだてしないこと、よく人を受け入れることを言います。
こちらの「寛」は、周囲、他に対して態度がゆるやかであるわけで、さっきの「癇」とは真逆ですが、両方おなじ「カン」というのが面白い。
人という動物が、自己を守り生き抜く為には、神経を尖らせて外敵に対する備えを怠らないコトが必要で、その道具として「癇」という性質を持っており、
しかし他方では
互いに助け合いながら己の弱さを補い合うために必要な「寛」という性質も与えられている
と、そういうことなのでしょう。
両方が必要で要はバランスなんだよと、だから両方がともに「かん」なのかもしれません。
だとしたらうまくしたもんです。
エライ理屈っぽい書き出しになりましたが、このブログで時々ボクが癇癪を起こすのは何故なんだろうと、ちょっとそんなことを思ったものですから。
実は帰りの車でNHKのニュースをぼんやり聞いていたら、今日もまたあったんですね、癇に障ることが^^;
曰く、
東京のどこかのホテルで、アメリカ産のお米のキャンペーンとしてライスサラダかなんだか(あやふやでスイマセン)のサービスが始まったとかなんとか。
ガットウルグアイラウンドの取り決めで、わが国は年間ナンボかの米を輸入するコトが義務づけられているそうです。
しかし実際その米が市場出回ることはほとんどなくて、9割は政府が買い上げ加工品の原料になったり、他国への援助物資としてそのままマタ海外に出ていっておりまして、
1割だけが一般流通している、とそんなことだったと思います。
その1割は現在中国産のものが占有しており、これにアメリカが割って入ろうと今回のキャンペーンになったそうです。
アメリカの本音は、実は市場に出ない9割のほうには既に入っている米国米(ややこしー^^;)を、市場流通の側に送り込み、やがて日本市場に大量の米国米を流通させることにあるようで、
というのも、市場流通している中国米はジャポニカ種、僕らの普段食べてるお米なのに対して、米国米は長粒種で、これがなぜ市場流通側に回してもらえないかというと、日本人の舌に合わないから(日本政府の言い分)なんだそーです。
なので、おいしいよーと何億円かの予算をかけて大キャンペーンを張ったのだと、
要は理屈こきに屁理屈で返すみたいな、
そんなことがラジオから流れてきたので癇に障ったわけなのですね
日本政府が輸入したお米の1割しか市場に出ないようにしているのは、言うまでもなく日本のお米、日本農業を保護するためです。
農家の集票とか政治家の地盤とか、その本音のところがどうであろうと、
また、アメリカの農家の人の暮らしぶりがどうかとか、
また、じゃあ日本がアメリカ市場に輸出する自動車はど-なんだとか、
それはもう、
世界のあらゆる地域のすべての人々の状況を鑑みて、バランスをとっての発言など到底出来るはずもないわけですから、
本来、ちゃんとそんなことも勉強した上で、癇に障ってくる部分を検証すべきである、という考え方が正論であろーとは思います。
したがって、
この場合の「癇」には、「寛」も必要なのかもしれない。
しかし、
今回の「癇」の原因には最近読んだある本のある一節がボクの気分に大きく影響していて、その部分でちょっと譲れない気持ちもあるのです。
その一節はこんなものです。
「農作物を輸入してくるということは、穀物や野菜と一緒にその取れた地域の水や空気もいっしょに根こそぎ奪ってくるということなのです。」
よく言ってますが、商品と食品をいっしょくたに考えると大変なことになる、ということだと思います。
地球の未来とか、環境問題というのはそういうこと、問答無用です。
だから「癇」でもよいのだ、と。
理想論に偏らず、現実を直視し対案を持って、段階的に解決するというまっとうな方法論
それが「寛」
でも「寛」だけではシテヤラレテしまう。
そのための「癇」もありやろ、と
「癇」からスタートする二律背反がないといかんやろということです。
ようするにいらいらと怒りっぽくなっているので、なんでも良いのですね鬱憤を晴らす相手先などは。
同じような言葉で、
「癇性」というのがあって、これは怒りっぽい、気が短いというんじゃなしに、何事につけ病的に潔癖であるコトを言うそうです。
「癇」というのはどうやら人全般が持つ神経的特質の一種で、正常に生きていく為の精神バランスを保つのに必要な要素の一つであると言えると思いますが、
一方で、
「寛容」という精神があり、こちらは心が広く、他人をきびしくとがめだてしないこと、よく人を受け入れることを言います。
こちらの「寛」は、周囲、他に対して態度がゆるやかであるわけで、さっきの「癇」とは真逆ですが、両方おなじ「カン」というのが面白い。
人という動物が、自己を守り生き抜く為には、神経を尖らせて外敵に対する備えを怠らないコトが必要で、その道具として「癇」という性質を持っており、
しかし他方では
互いに助け合いながら己の弱さを補い合うために必要な「寛」という性質も与えられている
と、そういうことなのでしょう。
両方が必要で要はバランスなんだよと、だから両方がともに「かん」なのかもしれません。
だとしたらうまくしたもんです。
エライ理屈っぽい書き出しになりましたが、このブログで時々ボクが癇癪を起こすのは何故なんだろうと、ちょっとそんなことを思ったものですから。
実は帰りの車でNHKのニュースをぼんやり聞いていたら、今日もまたあったんですね、癇に障ることが^^;
曰く、
東京のどこかのホテルで、アメリカ産のお米のキャンペーンとしてライスサラダかなんだか(あやふやでスイマセン)のサービスが始まったとかなんとか。
ガットウルグアイラウンドの取り決めで、わが国は年間ナンボかの米を輸入するコトが義務づけられているそうです。
しかし実際その米が市場出回ることはほとんどなくて、9割は政府が買い上げ加工品の原料になったり、他国への援助物資としてそのままマタ海外に出ていっておりまして、
1割だけが一般流通している、とそんなことだったと思います。
その1割は現在中国産のものが占有しており、これにアメリカが割って入ろうと今回のキャンペーンになったそうです。
アメリカの本音は、実は市場に出ない9割のほうには既に入っている米国米(ややこしー^^;)を、市場流通の側に送り込み、やがて日本市場に大量の米国米を流通させることにあるようで、
というのも、市場流通している中国米はジャポニカ種、僕らの普段食べてるお米なのに対して、米国米は長粒種で、これがなぜ市場流通側に回してもらえないかというと、日本人の舌に合わないから(日本政府の言い分)なんだそーです。
なので、おいしいよーと何億円かの予算をかけて大キャンペーンを張ったのだと、
要は理屈こきに屁理屈で返すみたいな、
そんなことがラジオから流れてきたので癇に障ったわけなのですね
日本政府が輸入したお米の1割しか市場に出ないようにしているのは、言うまでもなく日本のお米、日本農業を保護するためです。
農家の集票とか政治家の地盤とか、その本音のところがどうであろうと、
また、アメリカの農家の人の暮らしぶりがどうかとか、
また、じゃあ日本がアメリカ市場に輸出する自動車はど-なんだとか、
それはもう、
世界のあらゆる地域のすべての人々の状況を鑑みて、バランスをとっての発言など到底出来るはずもないわけですから、
本来、ちゃんとそんなことも勉強した上で、癇に障ってくる部分を検証すべきである、という考え方が正論であろーとは思います。
したがって、
この場合の「癇」には、「寛」も必要なのかもしれない。
しかし、
今回の「癇」の原因には最近読んだある本のある一節がボクの気分に大きく影響していて、その部分でちょっと譲れない気持ちもあるのです。
その一節はこんなものです。
「農作物を輸入してくるということは、穀物や野菜と一緒にその取れた地域の水や空気もいっしょに根こそぎ奪ってくるということなのです。」
よく言ってますが、商品と食品をいっしょくたに考えると大変なことになる、ということだと思います。
地球の未来とか、環境問題というのはそういうこと、問答無用です。
だから「癇」でもよいのだ、と。
理想論に偏らず、現実を直視し対案を持って、段階的に解決するというまっとうな方法論
それが「寛」
でも「寛」だけではシテヤラレテしまう。
そのための「癇」もありやろ、と
「癇」からスタートする二律背反がないといかんやろということです。