お気楽ご夫婦日記

ええかげんなダンナと天然のカミサンの心温まる?日々の記録です。

サーズディ トリッパー~何処へ

2007-07-05 | Weblog
水曜の晩は、翌日は遅くなってもいいという油断から結構夜更かしをします。

早くて3時。遅いと5時。

なので(午前中のアポがない場合)、カミサンが起こしにくるまで寝てます

カミサンは、娘が家を出る8時前にダンナが起きてくると、騒動が2倍になるので決ってその直後の時刻にワタシを起こしにかかるわけです。

そして
この時刻にはモウ一つ意味合いがあって、

よる年波にはイチオウ人並みにダンナも勝てず、

最近 とみに疲労回復が遅いと、

でも休日だからといってアンマシ遅くまで放っておくと、体のリズムが崩れてもいかんだろー、というのが午前8時

というわけです。

イヤほんま 抜けないのよイロンナもんが最近。


そこでカミサンが思いついたのが今回の「ぶらり途中下車の旅」

これは、

運転によるダンナの疲労の軽減と、休日の限られた時間の有効活用及び、じぶんの願望を満たすという三方良し!の近江商人もマッツァオの画期的アイデアであると!本人がアンマシ言うので、

じゃあ一回やってみんべぇ、と今回実行に移された新プロジェクトなのでありますね

そう
JRで行こう!と、

どこへ?
どっかへ ^^;

結局行く先はこっちが考えるんかい!

へ(σ◇σへ)オホホホ☆\(-_-;)

















サーズディ トリッパー

2007-07-05 | Weblog
ボクの亡くなった母親は中学の英語教師をしてまして、

その英才教育のおかげで、小学生3・4年のころには既に中1か中2レベルの英語はマスターしてたので、これは先が楽しみだと、両親のみならず本人も大変期待をしておったのですが、

その後は中1中2とそのまま進歩せずに貯金を使い果たして(・_・)

中3で既に少し苦手、(ー_ー;)ゞ

高校に入るとかなり苦手、(××)/ダメダ

そして受験期には極めて苦手になってしまいますた。ヽ(T_T )ノ~~ コウサン

う~むなぜだろーヽ(。_°)ノ?

なので、信憑性はきわめて低いと思われますが、ワタクシタチの木曜のお出かけは、トラベルやジャーニィーではなくトリップらしー

んで、
木曜日のトリッパー^^

イヤなんかトンデル語感がぴったしじゃない


というわけで、

本日のトリップドキュメンタリーでございますが、
これはマタ新境地を開拓したのですネカミサンが、

いやマジで^^;


実は、昨晩は仕事がまとまってしまったので床に就いたのが午前5時、
そして起床8時、

のわりに非常にメンタルもフィジカルも、今快適なのですね

そりゃまぁ梅雨の中休みで今日は気持ちの良いカラッと晴れで、帰宅時間を少し早くしたということもあるのですが、

それにしてもカミサンの提案による本日の展開が、非常に快適であった、と

そゆわけなのです。


さぁソレデハお待たせしますた^^;

次回本編

「ぶらり途中下車の旅」でし^^











癇に障る

2007-07-05 | Weblog
誰かの言ったことや、テレビや新聞のニュースに腹が立ち、なんか一言言わないと気がすまん!という時は、大抵の場合、コッチの側でなにか上手くないことがあってすっきりしないからなのです。

ようするにいらいらと怒りっぽくなっているので、なんでも良いのですね鬱憤を晴らす相手先などは。

同じような言葉で、
「癇性」というのがあって、これは怒りっぽい、気が短いというんじゃなしに、何事につけ病的に潔癖であるコトを言うそうです。

「癇」というのはどうやら人全般が持つ神経的特質の一種で、正常に生きていく為の精神バランスを保つのに必要な要素の一つであると言えると思いますが、

一方で、
「寛容」という精神があり、こちらは心が広く、他人をきびしくとがめだてしないこと、よく人を受け入れることを言います。

こちらの「寛」は、周囲、他に対して態度がゆるやかであるわけで、さっきの「癇」とは真逆ですが、両方おなじ「カン」というのが面白い。


人という動物が、自己を守り生き抜く為には、神経を尖らせて外敵に対する備えを怠らないコトが必要で、その道具として「癇」という性質を持っており、

しかし他方では

互いに助け合いながら己の弱さを補い合うために必要な「寛」という性質も与えられている

と、そういうことなのでしょう。

両方が必要で要はバランスなんだよと、だから両方がともに「かん」なのかもしれません。

だとしたらうまくしたもんです。


エライ理屈っぽい書き出しになりましたが、このブログで時々ボクが癇癪を起こすのは何故なんだろうと、ちょっとそんなことを思ったものですから。

実は帰りの車でNHKのニュースをぼんやり聞いていたら、今日もまたあったんですね、癇に障ることが^^;

曰く、

東京のどこかのホテルで、アメリカ産のお米のキャンペーンとしてライスサラダかなんだか(あやふやでスイマセン)のサービスが始まったとかなんとか。

ガットウルグアイラウンドの取り決めで、わが国は年間ナンボかの米を輸入するコトが義務づけられているそうです。

しかし実際その米が市場出回ることはほとんどなくて、9割は政府が買い上げ加工品の原料になったり、他国への援助物資としてそのままマタ海外に出ていっておりまして、

1割だけが一般流通している、とそんなことだったと思います。

その1割は現在中国産のものが占有しており、これにアメリカが割って入ろうと今回のキャンペーンになったそうです。

アメリカの本音は、実は市場に出ない9割のほうには既に入っている米国米(ややこしー^^;)を、市場流通の側に送り込み、やがて日本市場に大量の米国米を流通させることにあるようで、

というのも、市場流通している中国米はジャポニカ種、僕らの普段食べてるお米なのに対して、米国米は長粒種で、これがなぜ市場流通側に回してもらえないかというと、日本人の舌に合わないから(日本政府の言い分)なんだそーです。

なので、おいしいよーと何億円かの予算をかけて大キャンペーンを張ったのだと、

要は理屈こきに屁理屈で返すみたいな、

そんなことがラジオから流れてきたので癇に障ったわけなのですね


日本政府が輸入したお米の1割しか市場に出ないようにしているのは、言うまでもなく日本のお米、日本農業を保護するためです。

農家の集票とか政治家の地盤とか、その本音のところがどうであろうと、

また、アメリカの農家の人の暮らしぶりがどうかとか、

また、じゃあ日本がアメリカ市場に輸出する自動車はど-なんだとか、

それはもう、
世界のあらゆる地域のすべての人々の状況を鑑みて、バランスをとっての発言など到底出来るはずもないわけですから、

本来、ちゃんとそんなことも勉強した上で、癇に障ってくる部分を検証すべきである、という考え方が正論であろーとは思います。

したがって、

この場合の「癇」には、「寛」も必要なのかもしれない。

しかし、

今回の「癇」の原因には最近読んだある本のある一節がボクの気分に大きく影響していて、その部分でちょっと譲れない気持ちもあるのです。

その一節はこんなものです。

「農作物を輸入してくるということは、穀物や野菜と一緒にその取れた地域の水や空気もいっしょに根こそぎ奪ってくるということなのです。」

よく言ってますが、商品と食品をいっしょくたに考えると大変なことになる、ということだと思います。

地球の未来とか、環境問題というのはそういうこと、問答無用です。

だから「癇」でもよいのだ、と。


理想論に偏らず、現実を直視し対案を持って、段階的に解決するというまっとうな方法論

それが「寛」
でも「寛」だけではシテヤラレテしまう。

そのための「癇」もありやろ、と
「癇」からスタートする二律背反がないといかんやろということです。