お気楽ご夫婦日記

ええかげんなダンナと天然のカミサンの心温まる?日々の記録です。

ひじきの西さん6

2007-07-07 | Weblog
多分その日は、ボクのために多少ゆとりを持ったスケジュールを組んでいただいてたのだと思います。

西家に戻って一通りの片付けを済ますと、この屋のあるじは、居間にどっかりとおちつき、ボクを招き入れてくれました。

8畳ほどの居間から直ぐ、一段落りた台所では奥さんが料理の支度を始めています。


その後の火事で、今はもうないこの西さんちの居間で、ボクはその後何度勝手に上りこんでいろんな話をしたのだろうか。

いや実際は、そうでもなのかもしれない。

紀州に出ることなど一年にせいぜい数回、しかも毎回立ち寄るわけでもなし、

お邪魔している時間も20分30分、1時間もいるとそれは本当にお邪魔になるので^^;、そんなもんだったろうと思いますから。

西さんにしたら、取引先の会社の担当者、おそらく、あたりまえのその関係しか意識はされていなかったはずです。


この日、その後どのようなお話をして御いとましたのか、もうはっきりと思い出すことは出来ませんが、最初のころよく話題になったのは紀伊長島の地域ブランド作りのことでした。

当時の商工会議所が、海幸山幸に恵まれたこの地域の産品やサービスを売り出す事に熱心で、西さんはじめ、干物屋さんやお菓子屋さん、民宿の方々にお味噌屋さん(この河村さんにも随分お世話になって、今もエコデスに商品があります)が、スクラムを組んで、商品開発から、販売拠点の整備、販売促進やイベント企画など様々な取り組みをしてみえました。

この事業はその後大きな成果を挙げ、今では紀伊長島のみなと市や道の駅まんぼうなどに行くと、美味そうなものが多士済々百花繚乱、一ひねりあるお土産物や、土地の新鮮な特産品がならんでたいそう賑わっています。

そして
むろん西さんちの「寒ひじき」もその中の主要商品です。

しかしこのころ、
西さんから出てくる言葉は、そう前向きなものばかりではありませんでした。

地域のメンバーは皆さん一国一城の主ですから、それは当然なのですが、
ご自分のひじきや海産物に、一点の曇りもないほどの自信と誇りを持っておられた西さんには、どうやら策を労して売り込みを行うみんなのスタイルに違和感を持っておられたのではないか、とボクには思えたのです。

当時のご関係者に、万が一この書き込みから生じた誤解によりご迷惑がかかるといけませんから、予めお断りしておくのですが、
西さんの言葉に、当時ボクは自分の仕事上の悩みや行き詰まりを重ねて、自己流の解釈をしていた節がありました。


最初にお邪魔したときは、1店舗の店長でした。
その後食品部門の販売を任されて、じきに商品開発部門(仕入れの担当ですね)へと移り、会社の全商品の統括をする開発部長に、
このころから経営会議のメンバーにもなって、ほどなく営業全体の責任者になっていました。

この間わずか数年。

バブル期の終わった経費節減に奔走する百貨店から転職したこの新しい町で、
ボクは最初、お客様と直接せっして、満足し喜んでもらえるような品揃えや展開の工夫と毎日の接客という仕事に夢中になっていました。

今回の西さんへの取材自体もその工夫の中で、商品にモノガタリを付けること、そう、ひじきの向こうに紀伊長島の海の色や、西さんの笑顔が見えるような売り方をすればキット楽しいだろうと、そういうことがあったからなのですから。


組織がなんらかの行動を興し成果を上げるためには、
プランから実行、そしてチェックをし修正を行いまた再起動させる、その事を繰り返し繰り返し進んでいく必要があります。

そして、
多くの人間が寄ってたかって進んでいくその中では、当然非効率でずれたプランや、当初の思惑から外れた行動が多々発生し、

そういうモノがかえって、次のより効果的で的を得た方策へと進化していくのが組織のムーブメントとして標準的な正さではあるのです。

そしてその中で、その組織としての真っ当な行動を制御するハンドリング機能は、本来のエンジン以上に重要で、
組織の中で上に行けばいくほど、ハンドルを持たされる機会は多くなります。


それが仕事というものだ、というのが正しい意見です。
それにやり甲斐生きがいを見出すのが正しい生き方です。


でも
西さんはエンジンのような人なのだ、と

そしてそれはボクも同じだ、と

そういう風に当時のボクは思ったのかもしれません。
























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