なんせ今日びの鰻はゲンサンチがどーたら大変そうなうえ時期が時期なので、まずは行きしなに予約を入れておくことにする。
無人の店頭から奥に声をかける、すると見慣れない化粧濃い目のオクサンが出てきて、流石に主は奥で戦争か今日ばかりは?
白焼きと蒲焼を頼む。さて
どこに行こうかと、そこでようやく枯山水、であります。
ホントは、上鴨神社にいくぞ、と予告を入れていたのでカミサンはてっきりそのつもりでいたのですが、まー何故上鴨神社だと、その理由もこの前“下”だったので今度は“上”に行っとかんとキモチガワルイから、と言うダンナの融通の利かない性格による、
そんだけなので直ぐ変わって、西大路の上のほうまで来ちゃったからじゃあもう少し奥に行こうと、立命から進んでいくと『龍安寺』の看板
「寄る?」「寄る!」
で決定!
ダンナは学生時分から数回は来てる。カミサンは初めてだが、この前、嵐電の旅の巻きから行きそびれた感を引きずっていたようで彼女は、ただ
夏休みの京都、しかも知名度超メジャー級のお寺
なので少し心配なダンナ。
まー何はともあれいきましょー。
駐車場から灼熱の道を進むと、見覚えのある光景があらわれてやはり流石京都、ガイジンさんが多いですな。
そして声がでかいのだ彼ら。
これが本日ずーっと付いて回るガッカリで、ほんまにこの日の枯山水は日本人より外人さんのがぜんぜん多数派を占めていたのですね。
ほんまに声がでかいのだ彼ら。
ボクラが京都に来ているのに対し、彼らはニッポンに来てるのだからある程度しょうがないのですが、それにしてもやかましいこと^^;
このへんは、異国に行けば借りてきた猫のように大人しい日本人を見習っていただきたい^^;
近頃流行の“モッタイナイ”とか貴重な正の価値も、実は周りを取り巻いている斯様な負の価値観にある意味支えられて出来上がってもいることを、これは当の日本人でも判らないのが多いでしょうが、結果としてのイデオロギーだけを移植しても根付かないのはこゆところだろー。
ずずずずっと入って、石庭へ。
まずまーヒトが多いこと^^;
なので、
あれ?みたいなのが初見の感想、ダンナの。
なので
カミサンにいたってはきっと(・ ・。)え?なにこれ?
だっても石と砂がぼよーんと広がる狭っまい庭をそれは大勢のガイジンさんがワイワイとたむろっている光景がそこには、、
このように^^;ふつーにナニコレ感から入るのが正解きっと。
それが、
白砂の輝きからやがてそのうち、想像の世界に入っていけるのだが山水の美しさに普段触れ慣れているヒトには、
この日はそれどころじゃないのでカミサンには、ガイジンさんが五月蝿いので^^;
しかもこのお庭、残念ながら方丈には立ち入ることができず、つまり庭から極近い場所からしか見れない。
この前の円通寺ではっきり判った、「お庭はお座敷の奥から見るように出来ている」法則はきっとここにも当てはまるはず、
なので一生見れないベストポジションでは、ということになる。
ましてやワイワイガヤガヤウロウロなので、初めて触れる龍安寺石庭は
(・ ・。)え?なにこれ?
失敗したかなーと後悔し始めたダンナを尻目に、実はこの数分後にカミサンは覚醒するのである^^;
無人の店頭から奥に声をかける、すると見慣れない化粧濃い目のオクサンが出てきて、流石に主は奥で戦争か今日ばかりは?
白焼きと蒲焼を頼む。さて
どこに行こうかと、そこでようやく枯山水、であります。
ホントは、上鴨神社にいくぞ、と予告を入れていたのでカミサンはてっきりそのつもりでいたのですが、まー何故上鴨神社だと、その理由もこの前“下”だったので今度は“上”に行っとかんとキモチガワルイから、と言うダンナの融通の利かない性格による、
そんだけなので直ぐ変わって、西大路の上のほうまで来ちゃったからじゃあもう少し奥に行こうと、立命から進んでいくと『龍安寺』の看板
「寄る?」「寄る!」
で決定!
ダンナは学生時分から数回は来てる。カミサンは初めてだが、この前、嵐電の旅の巻きから行きそびれた感を引きずっていたようで彼女は、ただ
夏休みの京都、しかも知名度超メジャー級のお寺
なので少し心配なダンナ。
まー何はともあれいきましょー。
駐車場から灼熱の道を進むと、見覚えのある光景があらわれてやはり流石京都、ガイジンさんが多いですな。
そして声がでかいのだ彼ら。
これが本日ずーっと付いて回るガッカリで、ほんまにこの日の枯山水は日本人より外人さんのがぜんぜん多数派を占めていたのですね。
ほんまに声がでかいのだ彼ら。
ボクラが京都に来ているのに対し、彼らはニッポンに来てるのだからある程度しょうがないのですが、それにしてもやかましいこと^^;
このへんは、異国に行けば借りてきた猫のように大人しい日本人を見習っていただきたい^^;
近頃流行の“モッタイナイ”とか貴重な正の価値も、実は周りを取り巻いている斯様な負の価値観にある意味支えられて出来上がってもいることを、これは当の日本人でも判らないのが多いでしょうが、結果としてのイデオロギーだけを移植しても根付かないのはこゆところだろー。
ずずずずっと入って、石庭へ。
まずまーヒトが多いこと^^;
なので、
あれ?みたいなのが初見の感想、ダンナの。
なので
カミサンにいたってはきっと(・ ・。)え?なにこれ?
だっても石と砂がぼよーんと広がる狭っまい庭をそれは大勢のガイジンさんがワイワイとたむろっている光景がそこには、、
このように^^;ふつーにナニコレ感から入るのが正解きっと。
それが、
白砂の輝きからやがてそのうち、想像の世界に入っていけるのだが山水の美しさに普段触れ慣れているヒトには、
この日はそれどころじゃないのでカミサンには、ガイジンさんが五月蝿いので^^;
しかもこのお庭、残念ながら方丈には立ち入ることができず、つまり庭から極近い場所からしか見れない。
この前の円通寺ではっきり判った、「お庭はお座敷の奥から見るように出来ている」法則はきっとここにも当てはまるはず、
なので一生見れないベストポジションでは、ということになる。
ましてやワイワイガヤガヤウロウロなので、初めて触れる龍安寺石庭は
(・ ・。)え?なにこれ?
失敗したかなーと後悔し始めたダンナを尻目に、実はこの数分後にカミサンは覚醒するのである^^;