ディープインパクト@まこっさん

まこっさんの心の叫び(ハーツクライ)をどうぞ。

乙訓平和のつどい

2005-08-26 | 色々な行事
僕の住んでいる街は2市1町あわせて
乙訓(おとくに)と呼ばれ
独特の文化圏を形成しています。
乙訓の人口はあわせて15万人強で
面積は城陽市とほぼ同じだそうです。

それぞれの街が独立意識が強く
今流行りの市町村合併もされる気配すらありません。
それでも「乙訓は1つ」という意識も強いのが不思議なところです。

古くは784年から794年まで
わずか10年間ですが『長岡京』という
都が存在していたまさにその場所です。
ちょうど奈良の平城京と京都の平安京の間の時期です。
当時、疫病が流行したり都の造営責任者が暗殺されたりで
平安京へ遷都されたそうです。

今は京都や大阪のベッドタウンで
人口密度はかなり高いですね。
僕の住む向日市は人口5万4千人。
面積はわずか7.67平方キロメートル。
原付があれば十分です。

そんな小さな街に小学校が6つ、中学校が3つ
高校が公立と私立が1つずつあります。
JRの駅が1つ、阪急の駅が2つ半あります。
洛西口駅はホームの半分が京都市です。
京都市内へは約15分、大阪市内へは約40分です。

幹線道路は国道171号線が走っており
1号線や9号線もすぐそばで、名神高速も近くです。
とまぁ、こんな便利なところだと
言いたいだけなんですが…。


さて本題に。

夕方から長岡京市の産業文化会館ホールで
第3回「乙訓平和のつどい」を行いました。
「世界の平和運動と憲法9条」がサブタイトル。

私の所属する乙訓平和委員会も実行委員会から参加し
企画・運営のお手伝いをさせてもらいました。

最初に『憲法』というビデオを上映し
次に、原水爆禁止世界大会に参加した青年からの報告
そして(まこっさんも行った)N.Yでの
NPT再検討会議の報告がありました。

そしてメインの企画は、地元乙訓在住の
同志社大学名誉教授 望田幸男さんの講演でした。

戦後60年:ドイツと日本―「靖国」をめぐって―

「靖国」をめぐる5つの論点整理から始まり
ドイツの戦後補償と戦没者追悼施設の現状に触れ
ドイツから何を学ぶのか、日本の未来はどうあるべきかを提起されました。
東アジアの平和が今後ますます重要であり、
今こそ憲法9条の値打ちが輝く時代になっていることなど
予定の1時間を超えるほど熱っぽく語っていただきました。

ただ注意が必要なのは、靖国推進派・憲法改正論者の中にも
東アジアの安定を唱える勢力があり(座長は中曽根元首相)
彼らの頭には 大東亜共栄圏 の思想が根深くあり
今まさに、その主張を全面的に押し出し始めていることです。

個人的に興味深かったのは ノイエヴァッフェ といわれる
戦没者追悼施設のお話でした。
いつかドイツに行く機会があれば
ぜひ訪れてみたいものです。

つどいの最後には幻の国民歌といわれる
われら愛す をみんなで合唱しました。

まこっさんは実行委員会を代表して
閉会の挨拶をさせていただきました。

望田先生のお話にちなんで
「第2次世界大戦前のドイツではナチスが
比例代表制の選挙制度のもとで圧勝し
独裁の道を許した」ことを紹介し
今の日本も「戦前」の雰囲気が漂い始めているなかで
「郵政」としか叫ばない首相に対し
白紙の委任状を絶対与えてはいけないこと
憲法を守り、アジアの平和への確かな道を示す
確かな野党 の勢力をのばさなければ
「いつかきた道」に戻りかねないと訴え、
9月11日の総選挙の投票を呼びかけました。

最後に、
顔の見えるピースメッセージを貸してくれた
マヤノTOPくん、おっちぃ、
憲法9条タペストリーを貸してくれた
ねぎプロジェクトのみなさん
ありがとうございました。
どちらも、凄く目立っていて絶賛されていましたよ。


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2 コメント

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いつかきた道 (マヤノTOP)
2005-08-27 13:02:23
靖国の問題にしても、憲法9条の問題にしても、日本が戦争に向かっているような気がしてなりませんね。



顔署名喜んでいただいて光栄です。



ではまた。
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戦争前夜。 (まこっさん)
2005-08-27 22:59:36
僕たちが、今の老人たちに対して

ふと思う素朴な疑問。

「なんで戦争を止められなかったの?」



今の僕たちの行動が未来を決めます。

顔署名も人の心を動かします。

ホントありがとうございました。
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