収容所監視者の心理Part2
心理学者なら誰しも、そしてこういうことを自ら経験した者ならなおのこと関心のある、収容所監視者の心理だ。
なぜ血の通った人間がほかの人間に、この報告にもあるようなことができたのか。
こうした報告を聞いて、その通りに受け止め、そのようなことがあり得ると知った者は、では心理的にどうしたらそんなことができるのかと訊ねるのだ。
そうですか🐰
ミィちゃん昨日は沖縄の米軍基地界隈の報告を聞いたよ。
学費を稼ぐためにガソリンスタンドで働いていた男子が火だるまになった件。
たまたまオートバイが倒れ、ガソリンが漏れて服についてしまった。
それを見ていた米兵がおもしろがって、ライターの火を近づけ・・・
一命はとりとめたものの、焼けた皮膚は元に戻らず、辛い人生を送ったそうです🐧
レイプもすごい。
集団レイプも少なくない🐦
当時の沖縄は非常に治安が悪かったみたい。
なぜそんな危険な所で生活してたんだろう。
本土に移住すればいいのにʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
と思ったが、
レイプってあんまり表沙汰にならないというか。
近所でそういうことがあっても気づかなかったのかもしれません(*´-`)
厳寒の作業場で、二時間ごとに数分、ストーブにあたる許可がもらえた。
そんな時、私たちがこぞって大喜びしたのは言うまでもないが、この喜びを取り上げることに快楽を覚える現場監督や監視兵が必ずいた。
サディスト上位というより下っ端サディストじゃない?🦩
いわゆるチンピラ、ゴロツキ、メシウマ🦄
気分次第でだめだと言ったり、見事に炎を上げている焚きつけごとストーブを雪の中にひっくり返すその表情からは、サディスティックな満足感がありありと読み取れた。
福島のドヤ顔を彷彿とさせるね。
まああれは小心者だから自分ではやらんが🐺
誰かがやってくれると気分爽快!メシウマ(*゚▽゚)ノ
三番目に指摘されるのは、収容所の監視者の多くが、収容所内で繰り広げられるありとあらゆる嗜虐行為を長年見慣れてしまったために、薬の服用量がだんだん多くなるのに似て、すっかり鈍感になっていた、ということだ。
老人収容所、いわゆる介護施設界隈でも見慣れた風景でつ🐹
心が干からびてしまった人々の多くは、少なくとも進んでサディズムに加担はしなかった。
しかし、それがすべてだ。
彼らはほかの連中のサディズムになんら口を挟まなかった。
心が干からびてしまった人々はサディズムに対する認識が甘いんだよ。
彼らにとっては老人を一人で放ったらかしにすることが唯一のサディズムなのだ。
老人収容所の場合はね。
カポーはどうかしら🦢
あれこれちょっかい出すのは彼らなりの親切心だったりしてwww
四番目にあげられるのは、収容所の監視者の中にも役割から逸脱する者はいた、ということだ。
いい意味でね🦋
収容所の所長は親衛隊員だった。
解放後に明らかになったことだが、この所長はこっそりポケットマネーからかなりの額を出して、被収容者のために近くの町の薬局から薬品を買って来させていた。
続き希望🕷️
解放後、ユダヤ人被収容者たちはこの親衛隊員をアメリカ軍からかばい、その指揮官に、「この男の髪の毛一本たりとも触れないという条件のもとでしか引き渡さない」と申し入れたのだ。
グッジョブ🦂
指揮官はこの親衛隊員を改めて収容所長に任命し、親衛隊員は私たちの食糧を調達し、村の人々から衣類を集めてくれた。
グッとくるわ〜(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
親衛隊員ってことはドイツ人でしょ?🐇
バリバリの愛国主義者ですよね。
でも人間であることはやめなかったってことですかね(ᵔᴥᵔ)
同じ収容所の被収容者の班長は時と場所を選ばず、また手段も選ばずに、手あたり次第に被収容者を殴ったが、先の所長は私の知る限りではただの一度も「彼の」被収容者に手を挙げたことはなかった。
その話を聞いて、ある老人を思い出した🌹
外地で収容所の監守をやっていたんだけれども、彼は囚人に親切な監守だった。
ほかの監守たちはサディストだったが、彼だけは同じ人間として接していた。
戦争が終わり監守らはB級戦犯として裁かれる側になったが、米兵の証言によりこのおじいさんは無罪放免。
無事に帰還し、長い年月を経てミィにその話を伝えた次第です。
初回訪問の際、上の人間から「気難しい人だから気をつけて」って言われたんだけど、特に気難しくなかったでつ。
肺ガンの末期であんまり元気じゃなかったけど、いろいろ話をしてくれて、
「自分は甲種合格だ」と言ったので、「わあ、すごいですね」と。
それから戦時中の感動秘話をいろいろ話してくれました。
「甲種合格」が通じてうれしかったのかもしれない。
戦後生まれは知らないからね、普通🐷
実はミィも前日に知ったばっかりなの(>_<)
たまたまお客様が「自分の父親は甲種合格だった」って言うから、
「こうしゅ合格ってなんですか?」って教えてもらったの。
まもなくおじいさんは入院して、それっきりになっちゃったけど、
人生の最期にわかってくれる人に話せてよかったね( ◠‿◠ )
ミィもいい話が聞けて幸せですたー😹
このことから見て取れるのは、収容所監視者だということ、あるいは逆に被収容者だということだけでは、ひとりの人間について何も語ったことにはならないということだ。
正解👍
人間らしい善意は誰にでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも善意の人はいる。
境界線は集団を越えて引かれるのだ。
したがって、一方は天使でもう一方は悪魔だった、などという単純化は慎むべきだ。
そうそう🐼
事実はそうではなかった。
監視者として被収容者に人間らしく対することは、常にその人個人のなせるわざ、その人のモラルのなせるわざだった。
善人アピールしまくりの宮城の心臓マッサージ師なんかは、もしも死にかけている人が岸田だったらどうなのか・・・
いつもと同じように岸田に手を貸しますか?
それとも、
こんなやつどうなろうと知ったこっちゃねぇ。
もがき苦しむ岸田を見てニヤニヤ、メシウマ?
人間と餓鬼の違いはこれだよカメムシ🦆
こうしたことから私たちは学ぶのだ。
この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない。
まともな人間とまともではない人間。
このふたつの種族はどこにでもいる。
いるいる🐨
どんな集団にも入り込み、紛れ込んでいる。
まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。
したがって、どんな集団も純血ではない。
監視者の中にもまともな人間はいたのだから。
逆にどんな集団にもまともが紛れ込んでいると言った方が正しい。
どの集団であれ、人間らしい人間は少ない。
大多数の人間は餓鬼らしさを発揮している。
彼らは自己顕示欲が強く、目立ちたがり屋。
お節介焼き🍄
結果、人間らしい人間は隅っこに追いやられ、いるんだかいないんだかわかんない(๑˃̵ᴗ˂̵)
強制収容所の生活が人間の心の奥深いところにぽっかりと深淵を開いたことは疑いない。
この深みにも人間らしさを見ることができたのは驚くべきことだろうか。
いやいや👋🏽
この人間らしさとは、あるがままの、善と悪の合金とも言うべきそれだ。
あらゆる人間には善と悪を分かつ亀裂が走っており、それはこの心の奥底にまで達し、強制収容所が暴いたこの深淵の底にも達していることがはっきりと見てとれるのだ。
善と悪を分かつ亀裂。
どちらを選ぶかはユウたち次第です🧞♀️
私たちは恐らくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
ではこの人間とは何者か。
人間とは、「人間とは何か」を常に決定する存在だ。
Exactly🦚
人間とはガス室を発明した存在だ。
原子爆弾を発明した存在だ🐕
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。
そんなことはAIでもできる🐈⬛
今やテクノロジーはフランクルやアドラーがぶっ飛ぶほどに進化している。
誰が善人で誰が悪人かなんてのは、もはや簡単に判別できなくなっている。
やっぱサニワじゃないと無理っすね🐝
ギャハハー(^∇^)