Life Goes On

by Madonnalily

内的勝利

2024-06-03 07:13:43 | 日記
この究極の観点に立てば、たとえカロリーの乏しい食事や睡眠不足、さらには様々な精神的コンプレックスを引き合いにして、あの堕落は典型的な収容所心理だったと正当化できるとしても、それでもなお、いくら強制収容所の被収容者の精神的反応といっても、やはり一定の身体的、精神的、社会的条件を与えれば自ずと現れるもの以上の何かだったとしないわけにはいかないのだ。
そこからは人間の内面にいったい何が起こったのか、収容所はその人間のどんな本性を露わにしたかが、内面の決断の結果としてまざまざと見えてくる。

実におもしろい🕷️
現代版スタンフォード監獄実験でもいろんなものがまざまざと見えてくるよーん🐞


典型的な被収容者になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、己の尊厳を守る人間になるかは自分自身が決めることなのだ。

強制収容所に限らずそうでつね🐹
いつの時代にも、どんな状況にも適用可能な不朽の真理。


私が怖れるのはただ一つ、私が私の苦悩に値しない人間になることだ。
ドストエフスキー

ブラボー!パチパチ👏

福島の大ボラ吹きなんかはテメエの苦悩に値しない人間に成り下がって大満足してますよね🐁


そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようが雁字搦めに制限される中でどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。

行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。
そうではない。
およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。

Exactly🦋


苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。
苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は初めて完全なものになるのだ。

現代人はすべての苦悩を排除することに意味を見出しちゃってんだよね🐧
心理学者であれ坊さんであれ🐦


ひとりの人間が避けられない運命と、それが引き起こすあらゆる苦しみを甘受する流儀には、極めて厳しい状況でも、また人生最後の瞬間においても、生を意味深いものにする可能性が豊かに開かれている。

無限の可能性ってこれだね🐨
うんこスピリチュアルやゾンビババアが日々垂れ流している可能性もどきは、逆に可能性を縮め不可能性を強化する流儀でしかない🐼


勇敢で、プライドを保ち、無私の精神を持ち続けたか、あるいは熾烈を極めた保身のための戦いの中に人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹と成り果てたか、苦渋に満ちた状況と厳しい運命がもたらした、己の真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。
そして苦悩に値したか、しなかったか。

Xを読み漁っちゃあ保身のために駆けずり回っているような連中は人間性を忘れたというより人間を捨ててますよね🐣

まさに堕落を地で行く群れの一匹🐍


確かにこのような高みに達することができたのは、極少数の限られた人々だった。
収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人々だったかもしれない。
けれども、それがたった一人だったとしても、人間の内面は外的な運命より強靭なのだということを証明してあまりある。

今どきの日本を見回しても、このような高みに達することができたのは極少数の限られた人々だけですわ👾
大多数は群れの一匹、烏合の衆👽


強制収容所を心理学の立場から観察してまず明らかになるのは、あらかじめ精神的にまた人間的に脆弱な者が、その性格を展開していく中で収容所世界の影響に染まっていく、という事実だった。
脆弱な人間とは内的な拠り所を持たない人間だ。

逆にいうと外的世界に拠り所を求める人間ですね🎃
群れの集団からの評価だったり、かつて誰かに言われた誇らしい一言だったり、
ドヤー!顔になってしまうような出来事だったり、
このような不確かな情報に支えられ、根拠のない自信に満ち溢れている人間🤖


このような人間は、過酷極まる外的条件が人間の内的成長を促すことがある、ということを忘れている。

というより知らないんでちゅよ🐇
最高に甘美な蜜の味を🍯


収容所生活の外面的困難を内面にとっての試練とする代わりに、目下の自分のありようを真摯に受け止めず、これは非本来的な何かなのだと高を括り、こういうことの前では過去の生活にしがみついて心を閉ざしていた方が得策だと考えるのだ。

昔はああだった、こうだった、
日本文化はどこへ行った、などなど🐢


このような人間に成長は望めない。
過酷さのもとで高いレベルへと飛躍することはないのだ。

これほどもったいない話は他にないわね🦩
せっかく生んでもらったのに1ミリも成長せず、
おかあさん生んでくれてありがとう😘
などという三文芝居で満足しているとは。。。


もちろんそんなことができるのはごく限られた人々だった。
しかし彼らは外面的には破綻し、死すらも避けられない状況にあってなお人間としての崇高さに達したのだ。
ごく普通のありようをしていた以前なら、彼らにしても可能ではなかったかもしれない崇高さに。

やっぱ多数派に属していると堕落するね🐠
あれらはお互いの足を引っ張り合ってるようなもんだからな🐟
相手が自分より高みに行かないように。


人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。
さあこれからが本番だと思っているうちに終わってしまう。
ビスマルク

一瞬一瞬が本番なのにね( ^ω^ )

お客様は神様なのにねー🧚🏻‍♀️


これはこう言い換えられるだろう。
「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、私の真価を発揮できる時が来る、と信じていた」

ふふふ(๑˃̵ᴗ˂̵)
フランクルってジョークがめっちゃ上手ね。

ユダヤ人ってユーモア精神を持たない民族かと思ったわ(*≧∀≦*)


けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。
おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、
あるいは極少数の人々のように内面的な勝利を勝ち得たか、ということに。

深いにゃー🐈‍⬛

要するに外的勝利に躍起になってる民たちは、内的には完全に負けてるってことだにゃ(ᵔᴥᵔ)

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