東日本大震災から10年・・・11

2021年03月16日 | ブログ

2018年です。

大槌役場は解体が決まり、作業準備が進んでいました。

これについてはいろいろ議論が合ったようですが、地域の方の思いが有線であり、コメントは控えたいと思います。

街の様子は、この時、一種の感動を覚えました。

信号がつき、次々家が建てられています。

復興商店街は、お店がだいぶ下っていました。移転先が決まるということは、生活の目処が立つということでもあり、喜ぶべきでもあり、ちょっと気がかりでもありという思いでした。

 

大きなショッピングモールも再開

どんりゅう庵もこの中に移転していました。

 

この時は募金を受け取っていただけなくて、持ち越しとなりました。

そして2019年。この時を最後に、昨年は訪問ができなかったままです。

 

街もかなり建物、家が増えました。

立派な駅も再建。鉄道がよみがえったのです。

大槌駅前ロータリーで、どんりゅう庵も再開。

そして、解体された旧大槌役場は、公園になりました。

きっと、これでよかったんだと思います。

 

復興商店街は、ここだけ例外的に存続が決まり、いくつかのお店が残っていました。

ここまで、2011年から一昨年2019年までを、駆け足で振り返りました。

もっともっとお伝えしたいことがたっくさんあるのですが、それはまたの機会に譲ります。

が、ここまで復興を成し遂げた力は、やはりすごいと思います。

今年こそは、再び大槌を訪れ、今の様子をお伝えしたいと思います。

最後の、大槌町のシンボルともいえる「蓬莱島」。ひょっこりひょうたん島のモデルになった島をお載せします。

震災直

崩れはて、渡ることも出来ないところから・・・

 

 

形がととのい。。。

すっかり再建されました!!

これからも、この島に、これからの大槌のますますの再興を見守っていってほしいと思います。

頑張ろう東北!これからも!!

 

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東日本大震災から10年・・・10

2021年03月15日 | ブログ

以下、2015年から2019年までを追ってみたいと思います。

震災から3年後に初めて訪れた大槌町に、結局通い続けることになりました。

その間の移り変わりが分かっていただけると思います。

旧大槌町役場

仮設の住宅やお店

そしてどんりゅう庵

2016年は福島に行きました。

ボランティアカットに行った学校です。

 

 

 

 

場所を海岸近くに移すと・・

 

遺族の方が建てたであろう、祠が行かれていました。

そして、地平まで続く災害跡地。

岩手のほど著名ではありませんが、奇跡的に残った一本の松の木です。

 

2017年は再び大槌へ。

旧町役場周辺は、この時は立ち入り禁止になり、道路の整備が始まっています。

 

周辺は、豊富に草花が生いるまでになりました。

どんりゅう庵は移転中。

港へ行くと、次々修復と防潮堤の建設が進められていました。

この頃から、目で見て分かるほどの復旧が進んでいます。

 

復興商店街は、少し店舗を減らしながらも、まだまだここから出られないお店がありました。

 

 

 

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東日本大震災から10年・・・9

2021年03月14日 | ブログ

2014年の東北訪問は雨でした。前年から通い始めた「大槌町」です。

高く積まれていた破片などはすべて撤去され、前年まで入れたところもフェンスで囲われ、工事が始まっていました。

線路などはまだ埋まっていましたが。

役場の跡地も、このように少し手が加えられていました。

水道はそのまま。

この時もどんりゅう庵でカレーをいただき、募金をしました。

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東日本大震災から10年・・・8

2021年03月13日 | ブログ

長く引っ張ってしまいましたが、被災当時を振り返るのは今回までです。

震災から二年めにして、大槌の街や役場を見た後に、旅館の上に船が乗り上げたことで報道された場所に、行ってみました。

この写真はネットからですが、ご存知でしょうか。

海からかなりの距離があるのに、流されてきた大きな船が、このように乗り上げています。

二年後のその場所がこちらでした。

写真だとわかりにくいので、地図を載せてみます。

海から現場まで、直線距離にして200mほどでしょうか。行ってみた時の感じとしては、立っているところから海は、たしか見えなかったと記憶しています。

現在は船も建物も取り壊され、記念碑的なものができている様ですが未確認です。

神奈川から移って、この大槌で復興レストランを開いたカレー店「どんりゅう庵」です。

ひょっこりひょうたん島のモデルになった島があるため、このようなカレーを出しています。

 

当時あちこちで建てられていた復興商店街です。仮設の店舗でみなさん頑張っておられました。

このように、震災から二年めには、少しづつ、復興への歩みが始まったといえるでしょう。

色々、ショックの大きい写真を並べてきましたが、次回とその次で、その後の様子をお伝えできると思います。

 

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東日本大震災から10年・・・7

2021年03月12日 | ブログ

10年めの3・11から一日経ちました。テレビの報道はすっかり他のことに移り、少しモヤっとしますが。

さて、もう少しだけ当時の続きです。

震災から一年後は、宮城県亘理町と岩手県陸前高田市を訪れた私ですが、翌年は岩手県大槌町を中心に訪問してきました。そしてその後、2019年に至るまでの、7年に及ぶ訪問につながるのでした。

この時なぜこの大槌を選んだというのは、震災当時、国民宿舎の上に観光船「はまゆり」が乗り上げた写真を見て、それがあまりに衝撃だったからです。

何かできないか・・・わずかでも募金をもって、訪問してみよう、というただそれだけの動機だったんですよね。

 

高速道路を降りてひたすら海を目指し、地図の上では町中に入っているはずなのに、行けども行けども草原ばかり。。。

 

違うんだ。ここが「街」だったんだ、と気づいた時には愕然としました。

ようやく市街地らしきところにたどり着いたものの、さて、何をどうすればいいやら。。。

建物があるから行ってみよう、という感じで近づいてみると

津波で周辺に何もなくなってしまった中にポツンと残された、何かの会社の社屋の様でした。

その向かい、その後連続して訪れることになる「旧大槌町役場」の建物が、当時のままの姿で残っていました。

津波のは改良区のすごさをまざまざと見せつけられ、なんというか・・・どうしていいのかわからない気持ちになり、とにかく圧倒されました。

出続ける、壊れた水道が、水たまりを延々広げていました。

向かいの建物にも行ってみました。

この時は、通る車もほとんどなく。ひっそりと、ただひっそりと建物だけがある、静寂が広がっていました。

続く。。。。

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